日本の鉄道は高速化が進み、鉄道による列島縦断の時間も短くなりました。しかし、最北端の稚内駅と最南端の西大山駅を列車で移動する場合、以前より所要時間が長くなりました。

高速化が進んだにも関わらず、なぜ長くなったのでしょうか。

一時は「24時間」を射程に収めたが…

 日本で最も北にある駅は、JR北海道の宗谷本線・稚内駅。これに対して最南端は沖縄都市モノレール(ゆいレール)の赤嶺駅ですが、ゆいレールが2003(平成15)年に開業する前は、JR九州の指宿枕崎線にある西大山駅(鹿児島県指宿市)が最南端でした。

最北の駅から最南の駅へ 新幹線が整備されても「日本縦断」の時...の画像はこちら >>

最北端の稚内駅(左、駅舎改築前)とJR最南端の西大山駅(右)(2004年3月、草町義和撮影)。

 JR線に限れば、いまでも西大山駅が最南端。稚内駅と西大山駅は同じJR線の駅ですから、1枚の乗車券で両駅を移動して日本列島を縦断することも不可能ではありません。距離は途中経由する路線によって多少変わりますが、おおむね3000km程度。直線距離でも約1800km離れています。この区間を鉄道だけで移動すると、どのくらいの時間がかかるのでしょうか。

 記者(草町)は九州新幹線の鹿児島ルートが一部開業した2004(平成16)年3月、稚内駅から列車を乗り継いで西大山駅まで移動したことがあります。このときの最短所要時間は27時間7分でした。

 そして2011(平成23)年3月12日には、九州新幹線の鹿児島ルートが全線開業。

稚内→西大山の最短所要時間も25時間50分に縮まりました。実際は九州新幹線の全通前日に発生した東日本大震災の影響を受け、25時間50分で移動できるようになったのは同年9月以降のことですが、1日分=24時間が目前に迫ったのです。

 ところが、2018年9月時点の時刻表で調べてみると、最短所要時間は29時間21分。2011(平成23)年より3時間半ほど長くなっています。このあいだの2016年には北海道新幹線の新青森~新函館北斗間が開業し、さらなる鉄道の高速化が図られたはず。なぜ時間が延びてしまったのでしょうか。

「あの列車」の廃止で所要時間が延びる

 時間が延びた最大の理由は、ひと言でいえば夜行列車の廃止です。

最北の駅から最南の駅へ 新幹線が整備されても「日本縦断」の時間が長くなった理由

北海道新幹線が開業するまで青森~札幌間を結んでいた夜行急行「はまなす」。この列車が廃止されたことで夜通し移動できなくなった(2004年3月、草町義和撮影)。

 鉄道だけでは稚内~西大山間をその日のうちに移動することができないため、所要時間を短くするには夜行列車を使って夜通し移動する必要があります。北海道新幹線が開業する前は札幌~青森間の夜行急行「はまなす」を使うことで、稚内~西大山間を最も短い時間で移動することができました。

 しかし、日本の夜行列車は利用者の減少とともに数を減らし、「はまなす」も北海道新幹線の開業にあわせて廃止。

これでは夜通し移動することができず、どこか1か所にとどまって夜を明かさなければなりません。このため、所要時間が大幅に伸びてしまったのです。

 夜行列車が完全に消えたわけではありません。在来線の東京~高松、出雲市間では、JR唯一の定期夜行列車となった寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」が運行されていますから、この列車を一部の区間で使えば夜通し移動できます。

 ただ、「サンライズ」が走るルートの一部は、在来線の倍以上のスピードで走れる東海道・山陽新幹線と並行。途中で遅い「サンライズ」を使って夜通し移動しても、結局は速い新幹線を使って途中で1泊するのと同じ所要時間になるのです。

半世紀近く前は3日がかり

 ところで、日本の鉄道が100周年を迎える直前の1972(昭和47)年9月、鉄道ライターの種村直樹さん(当時は毎日新聞記者)も最短所要時間を調べ、実際に旅行しています。所要時間は西大山駅から稚内駅に向かう「北行ルート」で45時間29分。逆方向の「南行ルート」は列車の接続が悪く、北行ルートより時間がかかったといいます。

最北の駅から最南の駅へ 新幹線が整備されても「日本縦断」の時間が長くなった理由

青函トンネルを通る北海道新幹線(画像:photolibrary)。

 この当時、東海道新幹線は開業していましたが、山陽新幹線・岡山~博多間と東北新幹線・東京~盛岡間、青函トンネルは工事中。東北新幹線・盛岡~新青森間と北海道新幹線は構想段階でした。

このため、寝台特急と青函連絡船の深夜便を使うという3日がかりの旅になったのです。

 その後、山陽新幹線の全線開業(1975年)や東北新幹線の開業(1982~2010年)、青函トンネルの開通(1988年)、九州新幹線の開業などにより、鉄道の高速化が進展。西大山~稚内間の所要時間も40時間台から20時間台に縮まり、3日がかりの行程も2日間で済むようになりました。なお、以前は北行ルートの所要時間の方が短かったのですが、2000年代に入ると稚内駅から西大山駅に向かう南行ルートの方が短くなっています。

「はまなす」の廃止前に比べて遅くなったとはいえ、それでも半世紀近く前の1972(昭和47)年に比べれば、大幅に短縮されたのは確かです。徐々に高速化が図られていった一方で夜行列車が衰退したという、日本の鉄道の歴史も垣間見えてきます。

 ちなみに、途中で飛行機を利用するなら、その日のうちに稚内~西大山間を移動できます。空港までのアクセス交通なども含めた所要時間は2018年9月時点で約9時間です。

稚内~西大山 最短所要時間の変遷

 1972(昭和47)年9月と2011年9月、2018年9月の最短時間ルートで乗り継ぐ列車は、次の通り。2018年9月時点では、東京~姫路間は新幹線と寝台特急のどちらを使っても全体の所要時間は同じになります。

最北の駅から最南の駅へ 新幹線が整備されても「日本縦断」の時間が長くなった理由

東京~姫路間は写真の寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」を使っても、東海道・山陽新幹線に乗って姫路で1泊しても、全体の所要時間は変わらない(2009年2月、恵 知仁撮影)。

1972年9月(北行ルート:45時間29分)

<1日目>西大山19時42分発~(普通列車)~西鹿児島21時17分着・21時25分発~(寝台特急「月光2号」)~<2日目>岡山8時51分着・10時40分発~(新幹線「ひかり4号」)~東京14時50分着~上野16時00分発~(特急「はつかり3号」)~<3日目>青森0時15分着・0時35分発~(青函連絡船)~函館4時25分分着・4時45分発~(特急「おおぞら1号」)~札幌8時55分着・10時30分発~(急行「天北」)~稚内17時11分着

2011年9月(南行ルート:25時間50分)

<1日目>稚内16時51分発~(特急「スーパー宗谷4号」)~札幌21時50分着・22時00分発~(急行「はまなす」)~<2日目>青森5時40分着・5時46分発~(特急「つがる2号」)~新青森5時52分着・6時10分発<新幹線「はやぶさ4号」>~東京9時24分着・9時30分発~(新幹線「のぞみ23号」)~博多14時43分着・15時09分発~<新幹線「さくら419号」>~鹿児島中央16時48分着・17時11分発~(普通列車)~西大山18時41分着

2018年9月(南行ルート:29時間21分)

<1日目>稚内6時36分発~(特急「サロベツ2号」)~旭川10時19分着・10時30分発~(特急「ライラック18号」)~札幌11時55分着・12時16分発~(特急「スーパー北斗12号」)~新函館北斗15時49分着・16時17分発~(新幹線「はやぶさ34号」)~東京20時32分着・20時50分発~(新幹線「のぞみ135号」)~姫路23時55分着・<2日目>6時29分発~(新幹線「みずほ601号」)~鹿児島中央9時46分着・10時05分発~(普通列車)~西大山11時57分着

※東京~姫路間は寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」(東京22時00分発~<2日目>姫路5時25分着)の利用も可能

【地図】稚内駅と西大山駅の位置

最北の駅から最南の駅へ 新幹線が整備されても「日本縦断」の時間が長くなった理由

最北端の稚内駅と最南端の西大山駅の位置。
稚内駅から図上に示した列車を乗り継ぐと29時間21分で西大山駅に到着する(国土地理院の地図を加工)。

編集部おすすめ