ポルシェ博士といえば自動車史に名を残す技術者ですが、戦車開発にも大きな爪あとを残しています。しかもエンジン発電モーター駆動のハイブリッド方式を70年前に実現、量産にこぎつけました。

ただしそのやり方は……博士の戦車愛、さく裂です。

70年前、天才はすでにハイブリッド車両へ辿りついていた ただし戦車で

 戦車の発展過程では、アイデアが先進すぎて「斜め上を行ってしまった」異形が存在します。そのなかのひとつが、70年以上前にフェルディナント・ポルシェ博士が設計したハイブリッド戦車「ポルシェティーガー」です。ポルシェは現在ではスポーツカーで有名ですが、第二次世界大戦中は戦車などの設計も手掛けていました。

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テスト中の「ポルシェティーガー」ことVK4501(P)。右端に見える帽子を被った人物がポルシェ博士(画像:月刊PANZER編集部)。

 1942(昭和17)年7月に登場した「ポルシェティーガー」は、当時の人々をびっくりさせました。ガソリンエンジンで発電し、その電力でモーターを駆動して履帯(いわゆるキャタピラー)を動かす「ハイブリッド方式」だったからです。

 現在のハイブリッド車の最大のメリットは燃費が良いことですが、ポルシェ博士が目指したのは省エネではありません。

 自動車や戦車の動力源はピストンエンジンです。ピストンエンジンは一定速度で回転するのは得意ですが、回転数を変化させたり停止と再始動を繰り返したりするのは苦手です。しかし自動車は停止状態から高速運転まで様々な速度で走らなければなりません。

ピストンエンジンの回転数をなるべく変化させず、タイヤの回転数を変えるためにトランスミッションとクラッチは必須でした。

 重い戦車のエンジンは自動車よりははるかに大きく、トランスミッションも大きく頑丈にできています。しかも戦車は方向転換するためには左右の履帯の回転数を変えることが必要です。よって戦車のトランスミッションの構造は、自動車のものよりはるかに複雑で大きく重いものになってしまいます。マニュアル式のトランスミッション操作は操縦手の大仕事で、変速の度にレバーをハンマーでひっぱたいたり、ギヤチェンジ専門の乗員を載せたりしていました。また当時の戦車の故障原因の多くが、トランスミッションに起因するものでした。

トランスミッションが壊れるなら無くしてしまえばいいじゃない

 そこで、この厄介なトランスミッションの問題を解決しようとポルシェ博士が思い付いたのが「ハイブリッド方式」だったのです。電気モーターなら回転数0からフル回転までいくらでも自由自在に調節できて前進、後進も思いのまま、しかもトランスミッションそのものが必要なくなるのです。天才的な発想でした。ポルシェ博士は電気自動車も手掛けており得意分野でもあったのです。

 こうして作られたのが、「ポルシェティーガー」とも呼ばれるVK4501(P)戦車でした。左右2組の履帯を動かすため、ジーメンス・シュッケルトD1495a交流モーターを2基搭載し、電力を供給するためのジーメンス・シュッケルトaGV発電機1基とそれを動かすポルシェ101/1V型10気筒空冷ガソリンエンジン(320馬力)2台を積み込みましたが、この駆動ユニットは巨大で、車体の後ろ半分はエンジンルームとなってしまいました。

 こうして57tの重戦車ができ上がりました。外見は有名なヘンシェル社製の「ティーガーI」重戦車と似ていますが、転輪の配置が異なり、全長もより長くなっています。

ポルシェ博士のハイブリッド戦車とは また彼は如何にして変速装置を廃するに至ったか

テスト中の「ポルシェティーガー」ことVK4501(P)。中央のコートに黒っぽい帽子を被った人物がポルシェ博士(画像:月刊PANZER編集部)。
ポルシェ博士のハイブリッド戦車とは また彼は如何にして変速装置を廃するに至ったか

貨車に載せられた状態の「ポルシェティーガー」ことVK4501(P)。砲塔を真後ろに回した上体のため、手前に写るのが車体後部(画像:月刊PANZER編集部)。
ポルシェ博士のハイブリッド戦車とは また彼は如何にして変速装置を廃するに至ったか

砲塔を後ろに回した状態で並ぶVK4501(P)。「ティーガーI」重戦車のような大きな排気管はない(画像:月刊PANZER編集部)。

 ところが天才的な発想も、作ることと使うことは別問題でした。まずポルシェ101/1エンジンが不調で発電能力が不足しており、495a交流モーターはもともと魚雷用でありトルク不足でした。現代のハイブリッド車とは逆に、エンジンで直接駆動する場合よりもエネルギー効率が低下するため燃費も悪く、サスペンションなども脆弱で悪路ではまともに走らせることさえできませんでした。

 要するに全部ダメということで、ドイツ陸軍は「ポルシェティーガー」を審査で不合格としました。

不合格なのに量産! しかも現場で意外と好評! の背景に

 ところがこのポルシェのハイブリッド戦車の話はまだ続きます。ポルシェ博士はヒトラー総統と太いパイプを持っており、その政治力で陸軍の審査結果を待たずに90両ぶんの車台の生産許可をすでに取っており、100両ぶんの装甲板を受領済みだったのです。

 ポルシェ博士はハイブリッド方式に執着して改造を続け、エンジンをマイバッハHL120 V型12気筒液冷ガソリン(520馬力)に交換して、1943(昭和18)年5月までに生産許可済みの車台を使った重駆逐戦車を90両生産し、自分の名前から「フェルディナント」と命名しました。

 さすがに名称はその後「エレファント(象)」に改められますが、本車を装備した重駆逐戦車大隊が2個編制されて実戦に参加しています。乗員からはギヤチェンジが不要で操縦しやすく、故障ばかりしていたトランスミッションがないということで意外と好評であったという記録が残されています。

ポルシェ博士のハイブリッド戦車とは また彼は如何にして変速装置を廃するに至ったか

東部戦線で撮影された「エレファント」駆逐戦車(画像:月刊PANZER編集部)。

 こうしてまがりなりにもポルシェ博士のアイデアは日の目を見たのです。資材がひっ迫している戦時下で、ドイツ陸軍が失格にした戦車を政治力で強引に生産させてしまうというのは、当時のドイツの政治力学の一面を見るようです。

 ポルシェ博士はただの設計者ではなく独裁者とも取引するような老獪な政治家でもありました。それは自分が信じ執着した技術を実現するという「異常な愛情」から来ているものだったのかもしれません。

 この「愛情」の結晶であるハイブリッド戦車も、技術進歩でトランスミッションの信頼性が格段に向上したことで、戦後はまったく顧みられなくなります。

 ガソリンエンジンとモーターの組み合せは、長い年月を経て日本で復活し「ハイブリッドカー」という言葉を一般化させることになりますが、76年前のポルシェの戦車の発想にようやく追いついたということでしょうか。

【写真】現存する博士の愛情の結晶「エレファント」

ポルシェ博士のハイブリッド戦車とは また彼は如何にして変速装置を廃するに至ったか

ボービントン博物館(英)に展示されている「エレファント」駆逐戦車。90両生産された「フェルディナント」からの改修モデル(月刊PANZER編集部撮影)。

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