連載第22回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち

証言者・森大輔(6)

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「そうですか、森はそんなことを言っていたんですか......」

 重度のイップスに苦しみ、横浜ベイスターズをわずか3年で解雇された幻の逸材・森大輔。現在は郷里の石川県七尾市で医療機器メーカーに勤め、充実した毎日を過ごしている森だが、心にある引っかかりを残していた。

それは、高校時代から熱心に追いかけてくれたスカウトの高浦美佐緒(みさお)のことだった。

 森は「今でも高浦さんのお名前を見ただけで、申し訳ない思いが湧き上がってくる」と言うほど、罪悪感に苛まれている。自由獲得枠という高い評価での入団だっただけに、担当スカウトである高浦は立場をなくしたに違いない......という思いがあった。

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 森がそんな心情を抱いていることを伝えると、高浦は冒頭のように静かにつぶやき、こう続けた。

「むしろ、森には申し訳ないことをしました。やはり彼は高校からすぐプロに行くべきだったのでしょう。

当時は逆指名制度があって、そういう時代だったというのもありますが、森はその被害者だったのかもしれません」

 現在、高浦はプロ球界を離れ、高校・大学の現場で指導にあたっている。横浜のスカウト時代は、森を担当したことで球団の中枢から「高い契約金を払ったのに」と皮肉混じりに非難されたこともあったという。だが、高浦は本音を押し殺しつつも、内心は「最終的に獲ろうと決めたのは上の人間じゃないか」と思っていた。森の近況を知った高浦は、こんな感想を漏らした。

「あいつが元気でやってくれているなら、私はそれで十分です。本当にホッとしました......」

 森には、高浦とのこんな思い出がある。

社会人2年目のある日、高浦から鉄板焼き屋に呼び出されると、そこには女子フィギュアスケートの選手が同席していた。高浦は2人に言った。

「これから2人はアスリートとして日本を引っ張っていくんだから、今のうちに出会っておいたほうがいい」

 そのフィギュアスケート選手の名前は、荒川静香といった。当時、全国的な知名度があったわけではない。森はその後、荒川と連絡を取り合うようになった。

「もちろん恋愛関係ということではなく、競技は違ってもお互いの苦労を打ち明け合いながらすごく刺激をもらっていました」

 1歳年上のアスリートの話は、驚きに満ちていた。

森は荒川の「準備」に対する考え方に圧倒される。

「荒川さんは本番前に自分の演技をすべてイメージするんだそうです。だから『本番前に滑り終わっている』と言うんです。イメージ上でいい滑りができているから、本番が始まっても大丈夫なんだと」

 その後、荒川は2006年のトリノオリンピックで金メダルを獲得する。一方その頃、森はプロ野球選手にはなったものの、イップスのため投げられない日々を過ごしていた。

「荒川さんは右肩上がりなのに、僕は逆に下がる一方で......。

だんだん会話が合わなくなってくるんです。お互いにいる場所が変わっているというか」

 その後、荒川とは疎遠になったとはいえ、引き合わせてくれた高浦に森は今でも感謝の念を抱いている。

 そして高浦は現在、高校・大学の現場でアマチュア野球選手の指導をしている。主に捕手のコーチをしている高浦だが、そこで意外なことを打ち明けた。

「今は高校生や大学生でもキャッチャーに限らずイップスに悩んでいる選手が多いんですけど、私はそんな選手に声を掛けてアドバイスしているんです。投げ方をゼロからつくり直せば、意外と治るものなんですよ。

でもね、うまい選手ほど治すのが難しい。それは『前にできていたのだから』という体感が残っているから。ゼロから投げ方をつくり直すということができないんです」

 そして高浦は、こうつぶやいた。

「森が選手のとき、私はスカウトでした。もしコーチとして現場にいてやれれば、森に付きっきりでサポートできたはずなのに......」

 アマチュアでイップスに苦しむ選手を何とかして減らす──。それは、高浦の罪滅ぼしのようにも思えた。

 そして森もまた、野球の現場から離れていない。地元の少年野球チーム・山王クラブで監督を務めているのだ。森は「小学生はイップスどうこうという以前の段階です」と笑う。

「勝負事なので強いチーム、弱いチームは出ますけど、僕は目先のことより子どもたちの『自分がどこまでできるか?』という挑戦を応援したいんです。プロも学童野球も、うまくなる選手は自分で練習できる選手。いち早く自分自身のことに気づいて、どこまで野球を好きになれるか。たとえ小学校で伸びなくても、中学、高校で気づいて花を咲かせてくれたらそれでいいんです。それが結果的に、プロ野球への貢献になるはずだと信じていますから」

 森は今でも、あれほど苦しんだプロ野球への「忠誠」を口にした。野球さえなければ、イップスになることもなかった。苦しむことも、涙を流すことも、情けない思いをすることもなかったはずだ。だが、森はすべてを受け入れた。

「イップスは決して小さな悩みではありません。でも、イップスになった人は、そこからがスタートだと思ってほしい。自分をどこまで高められるのか、突破できる前向きさを持ってほしい。僕は克服できませんでしたが、イップスにならなかったら今の自分はいません。困っている人を助ける仕事ができるし、嫁さんや子どものことも大切にできる。野球をやっていてよかったと思っています」

 野球をやっていてよかった──。森大輔のこの言葉を聞くために、はるばる能登半島までやって来たような気がした。

 2015年6月6日。森は横浜スタジアムのマウンドに立った。

 その日、横浜スタジアムでのDeNA対西武の一戦は、森が在籍する医療機器メーカー・白寿生科学研究所による冠試合だった。副社長の発案で、森は始球式の投手を務めることになったのだ。

 プロ生活のほとんどを二軍で過ごしたため、一軍のマウンドに上がるのはこれが初めてだった。

「こんな場所なんだな......」

 マウンドの土を踏みしめながら、感触を味わう。そして捕手の高城俊人に向かって、大きなジェスチャーで「外に構えてください」と伝える。バッターボックスに入った秋山翔吾に万が一にも当ててはいけないという、森の気づかいだった。

 ひとつ息を吐き、両足でプレートの上に立つ。大きく両腕を天に掲げ、ゆったりと右足を上げて前方に体重移動。そしてスムーズに左腕を振り抜く。やや引っかけたボールはショートバウンドして、捕手のミットに収まった。

 森は「やってしまった」と苦笑いを浮かべながら左手で帽子を取り、高城から記念のボールを受け取った。ストライクは投げられなかったが、不思議な爽快感があった。

「投げる前、ライトスタンドに向かって深くお辞儀をしたんです。『低迷していたベイスターズを救えなくてすみませんでした。でも、自分も本当はもっとやりたかったんです。本当は先発投手としてここに立ちたかったんです。本当に悔しいんです』って......」

 そして森はまぶたを閉じ、再び目を開けると、人懐っこい笑顔でこう続けた。

「でも、投げ終わったらどこか吹っ切れたような気がしたんです。最初で最後でしたけど、一軍のマウンドを経験できたことは僕にとって本当に特別なことでした」

 一軍登板ゼロ──。結果がすべてのプロの世界で、彼は何も残すことができなかった。しかし、イップスという名の悪魔と戦い続けた森大輔という野球人は、今も野球を愛し、未来のために物語を紡いでいる。

(おわり)