「1回、1.8秒の演技の中、6種目をこなしします。全部で10秒ちょっとの世界にリオ五輪後、5年間かけてやってきたので、東京五輪ではメダルを獲りたいですね」

男子シンクロ板飛び込み代表の坂井丞(ミキハウス)は、東京五輪に向けての決意をそう語る。

「飛ばないとうまくならないのに飛べない」。飛び込みの坂井丞、...の画像はこちら >>

東京五輪、シンクロ板飛び込みでメダルを狙う寺内(左)と坂井(右)

坂井曰く、「個人演技、そして相方といかに同調させるか。このふたつを組み合わせて争う競技」というシンクロ板飛び込みは、大胆さと繊細を同時に求められる見た目以上に難しいスポーツだ。ペアそれぞれが3mの高さから肩幅ぐらいの狭い飛び板を使って大きくジャンプ、お互い呼吸を合わせて演技し、ノースプラッシュを決める。演技する前に種目用紙を提出し、その種目通りにやらないと点数は0点になるという。

「しかも6種目、同じことができなくて、すべて型や回転数が違うものをやらないといけない。1本1本にこれまで培ってきたものを詰め込んで6本飛ばないといけない。

五輪では、1本1本が大事になるので緊張するでしょうね」

ペアを組むのは、寺内健だ。

ふたりは年齢も体格もかなり異なる。28歳の坂井は細マッチョで身長171㎝、体重58キロ。40歳の寺内は170㎝のがっちりタイプで68キロ。10キロの体重差と12歳の年齢差がある。普通、これだけの体重差があると、飛び板の沈み具合からのジャンプの高さと演技をする際の同調性にズレが出てきそうだ。

この10キロの差をどう解消し、同調しているのだろうか。

「うまく同調できているのは、それぞれタイプが違うからだと思います。健くんは、筋力が強いんですが、僕は瞬発力が持ち味です。たぶん、お互いに瞬発力が特徴だと、合っていなかったでしょうね。特徴がギザギザだからかみ合うような感じです」

 それにしても飛び出す瞬間を合わせ、空中で同じ演技を同じタイミングで、しかも美しく見せるのは決して容易なことではないはずだ。四六時中、一緒に練習して呼吸を合わせているのだろうと思いきや、実際はほぼ一緒に練習することはないという。

「僕は神奈川県で練習し、健くんは兵庫県ですので、練習場が違うんですよ。もともとお互いに違うところでやってきたし、コーチも違います。お互いに気をつけることは、演技力を落とさないように、上げすぎないように調整して、大会会場で合わせる感じです。不思議なもので、僕らはお互いに全力でやれると合ってしまうので、そういうところはすごくラクなんです」

 二人は2015年、プエルトリコの国際大会で初めてペアを組んで出場した。それも本人たちが積極的にというよりは、海外の選手や役員に「日本で1、2番の選手でいるのに、なぜ組まないのか」と言われ、「とりあえず出てみるか」という軽い気持ちで出たら優勝したというのがスタートだ。リオ五輪後に本格的に活動を開始したが一緒に練習することはなく、世界で戦ってきた。

そこには二人にしかわからないシンクロする呼吸と感覚が備わっているようだ。
 
 シンクロ板飛び込みとして、ふたりは初めて五輪に挑戦することになるが、個人としては寺内も坂井もリオ五輪に飛び込み板の日本代表として出場している。

 だが、坂井にとってリオ五輪は「苦い想いしかない」と苦笑する。

 リオ五輪の3m板飛び込みは室内ではなく、室外プールで開催された。五輪の舞台というと北島康介が絶叫した時のように大観衆で、もっと煌(きら)びやかな世界だと思っていた。だが外のプールは水が緑色になるなど環境面は劣悪で五輪感が全く感じられず、まるで海外の普通の1試合にしか思えなかった。

 しかも、競技の時、最悪なことが起きた。

「正面に風除けがなかったので、風がとにかく強かったんです。健くんもその強風にやられて、ほぼ0点に近い演技に終わりました。その後、僕が飛ぶ予定だったんですけど、日本が『風の影響がひどく、もう1本飛ばせてくれ』と抗議したので、そこで自分が飛んでしまうわけにはないかない。風の影響を受けすぎたし、気温差も激しく、前では抗議している。板の上では待たされた僕は複雑というか、気持ちはぐしゃぐしゃでした」

 その影響を受け、坂井も失敗ジャンプとなり、総合22位に終わった。

だが、五輪に出たことで得ることも多々あった。

「世界の選手たちからは、そういう環境でも文句を言わず、決勝に行くんだ、メダルを獲りに行くんだという気持ちの強さを感じました。自分はもともと外のプールが苦手ということもあって、会場に入った瞬間に苦手意識が出てしまった。その時点で負けていたのかなと思います」

 どんな状況でも動じない、勝ちにいくんだという気持ちの強さ。五輪で上を目指すためには欠かせない大事なものを学び、それを東京五輪までの5年間、育んできた。

そして、この期間、坂井はもうひとつ大きな山を上ってきた。

坂井は、2010年ごろからコリン性蕁麻疹(じんましん)を患っている。汗に反応して出る蕁麻疹で、気温差や運動による発汗刺激によって体温が上昇した際に生じる蕁麻疹だ。症状はかゆみよりも痛みが激しくなることが多い。

「自分は、かゆいのもありますが、後頭部、背中、足の甲とかに針で刺されるような痛みが出るんです。そうなると体を冷やすしかできなくて......その痛みとの戦いでしんどかったですね」

 運動による発汗でも蕁麻疹が生じるので、練習はかなり制限されることになる。坂井は、アップはもちろん、プールでの練習もままならなかった。

「ウエイトはできないですし、ランニングとか有酸素運動もできなかったです。プールの練習も温水が多いので、本数を重ねて練習ができない。1、2本に集中して飛び込むことしかできなかったんです。そういう意味では1本1本に集中できるのでいい練習にはなるけど、自分が思うような調整はできなかったですね」

 家からプールに向かい、暖かい温水プールにいくと蕁麻疹が出るので怖くなり、駐車場に着いても車から外に出られなかったこともあったという。また、蕁麻疹が出ると痛いという恐怖心から汗をかくような場面ではないところでも汗が出て、ストレスがたまり、日常生活や競技に大きな支障をきたした。

「飛び込みをやめようとは思わなかったですけど、体に蕁麻疹が出すぎたので、限界なのかなぁって思うことはありました。やっぱり思うような練習ができなくて、競技力が上がっていかないのは苦しいですよ。飛ばないとうまくならないのに飛べないのはつらかったです」

 だが、自分に合う薬が見つけられたことで症状が改善されるようになり、また自ら病気を発信することで多くの人の理解を得られ、応援の声が届くようになった。東京五輪の出場権をかけた2019年世界選手権前も症状が出ていて満足のいく練習ができなかったが寺内と組んだシンクロ板飛び込みで7位に入賞し、五輪の出場権を獲得した。

「つらくても諦めずにやって、五輪に行けることを証明できた。自分がやれることをやって、薬もそうですけど、自分に合う形を見つけていくことの大切さを学びました」

 坂井のコリン性蕁麻疹は今も完治はしていない。だが、以前よりは症状は悪化することがなくなった。東京の真夏は、酷暑で汗をかく季節だが、もう恐れることはなくなった。

 東京五輪の会場は、リオ五輪時のような室外プールではない。東京アクアティクスセンターは室内プールで、すでに坂井は会場をチェック済だ。

「五輪の会場は、ここ日本かなっていうぐらいプールが大きくて、天井が高く、観客席も大きくて、試合じゃなくても緊張するようなプールで、めちゃくちゃやりがいを感じました。自分はプールに左右されやすいタイプなので、その際、上の照明とか、プールサイドの大きさとか、高さと空間の感覚とかチェックしました。あと、湿気があるかどうかも大事ですね。プールって意外と乾燥しているところが多くて......。その場合、空中に長く回っているような感覚になるので、ちょっと湿っているぐらいが重力を感じられるんです。東京五輪の会場はちょっと乾燥していたので、ドキドキしますね」

 悔しさしかなかったリオ五輪から5年、今度はシンクロ板飛び込みの舞台に立つ。寺内とは、「今までやってきたことを100%だそうと誓い合った」という。

「飛び込み競技は、(日本人で)五輪のメダリストがまだいないんです。リオ五輪後からここまでメダルに執着して、メダルを獲得するためにやってきました。東京五輪の内定第1号(2019年7月)になったので、五輪では飛び込み界のメダル第1号を狙っていきたいと思います」

 坂井がメダルに執着するのはリオの借りを返し、飛び込み界初の快挙を達成したいからだが、同時に飛び込み一家で、自分のコーチである父、そして基礎を教えてもらった母に恩返しをしたい気持ちもある。

「両親がいけなかった五輪を自分に託してもらってリオには行けたのですが、結果を出せなかったので、東京五輪は家族のためにもメダルをいう気持ちが強いです。たぶん、父がプールサイドに入れないので......一緒に行きたかったなというのはありますが、すべてを背負って五輪のプールで躍動できたらと思います」

 家族や支えてくれた人たち、そして病気に苦しんできた長い時間を集約して 1回の飛び込み、1.8秒に坂井はすべてを賭けることになる。