元武相高校野球
金の国・渡部おにぎりインタビュー 前編

 R-1グランプリ2022ファイナリストになった注目の若手芸人・渡部おにぎり(金の国)。渡部は武相高校時代に1学年上の塩見泰隆(ヤクルト)と中軸を組み、井口和朋(日本ハム)とバッテリーを組む強打の捕手だった。

そんな渡部が高校野球の記憶を語るインタビュー前編では、塩見をはじめ仲間たちと甲子園を目指した日々を振り返る。

武相高校のレギュラー捕手だった「金の国」渡部おにぎり。先輩の...の画像はこちら >>

武相高校の野球部でヤクルト塩見や日本ハム井口とプレーした金の国・渡部おにぎり

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「野球の取材は初めてなので、すごくうれしいです。野球の話だったら、本当にいつまでだってお話しできますから」

 笑うと目尻のシワが長く伸び、歯茎がむき出しになる。まさに絵に描いたような"満面の笑み"に、こちらまでつられて笑いが込み上げてくる。お笑いコンビ・金の国(きんのくに)の渡部(わたべ)おにぎりは、注目度急上昇中の若手芸人だ。

 3月6日に開催されるピン芸日本一決定戦『R-1グランプリ2022』で、渡部はファイナリストに名を連ねている。
憑依型の演技力は高く評価されており、丸みを帯びた体型と相まって愛嬌を感じずにはいられない。

 そんな渡部は、実は野球でも注目された過去がある。神奈川の強豪・武相高校2年時には1学年上の塩見泰隆(ヤクルト)とクリーンアップを組み、井口和朋(日本ハム)とバッテリーを組む強打の捕手だった。

 武相は1960年代に甲子園に4回出場した古豪である。前述のとおり塩見や井口ら数々のプロ野球選手を輩出しただけでなく、野球経験のあるタレントも目立つ。出川哲朗(軟式野球部出身)、パンチ佐藤(元・オリックス)、堤下敦(インパルス)。
その系譜に渡部おにぎりも加わりつつある。

 なぜ武相からエンターテイナーが生まれるのか。その謎に迫る前に、まずは渡部の野球部時代の思い出から聞いてみた。

塩見を見て「こんな人がプロに行くのかな」

「本当は横浜高校や東海大相模に行きたかったんですけど、なかなか難しくて......。そんな時に、桑元さんが自分のシニアの試合を見に来てくださったんです」

 渡部の言う「桑元さん」とは、当時の武相の監督である桑元孝雄(現・東京農業大コーチ)のこと。社会人野球の名門・三菱ふそう川崎で強打の内野手として活躍した、アトランタ五輪銀メダリストである。武相野球部の再建を託された桑元は、東金沢シニアに在籍した渡部に目をつけた。



「たまたま桑元さんの前でホームランを打てて、誘っていただきました。当時の武相は県大会の上位まで勝ち上がるイメージはなかったんですけど、家族会議をして『桑元さんが監督だし、これから絶対に強くなるから』と武相に行くことにしました」

 武相というと硬派な男子校のイメージが強いが、渡部も「読んで字のごとく、男くさい学校です」と笑う。渡部が入学した当時も、その校風は残っていた。

「男子校らしく荒々しい雰囲気がありました。僕はそんな感じはなくてお調子者でしたけど、馴染めないわけではなかったです」

 野球部に入部したばかりの1年生には、2年生の教育係がつく。そのなかのひとりが塩見だった。
当時の塩見は、渡部の目には「少し怖い先輩」として映った。ただし、その印象は徐々に変化していく。

「塩見さんはとにかく身体能力がものすごかったです。チーム内で50メートル走も遠投もダントツの成績でしたし、野球に必要なものをすべて持っていて。『こういう人がいずれプロに行くのかな?』と思っていました」

 渡部自身は1年夏から控え捕手としてベンチ入りし、神奈川大会ベスト4を経験。1年秋からレギュラー捕手になった。
170cm・80kgというずんぐりとした体型だったが、「見かけほど体の芯に力がなかった」と語るように、パワーのなさを技術で補うタイプだった。

エース井口、3番・塩見、4番・渡部

 正捕手になると、井口とバッテリーを組む機会が増えた。渡部は井口に「寡黙な人」という印象を抱いていた。

「口数が少なくてプライベートな話をしたこともないんですけど、根は優しくて考え方に芯がある人でした」

 当時の井口の球速は最速145キロで、タテに落ちるスプリットやスライダーのサインを出す時は緊張が走ったという。キャッチングが苦手だったからだ。

 一方の塩見は、最上級生になると後輩の目から見ても明らかな変化があった。



「優しくなって、後輩にもいろいろと話してくださるようになりました。塩見さんがアグレッシブにチームを引っ張ってくれていましたね」

 冬場には厳しいトレーニングメニューが課された。とくに走るメニューは憂鬱になったが、そんな時に塩見ら先輩から「渡部、ちょっと何かやって!」と余興のリクエストが入った。

「一発ギャグ要員が何人かいたんですけど、僕もそのひとりでした。FUJIWARAの原西(孝幸)さんのギャグ動画を見て、練習していました」

 先輩に"やらされる"一発ギャグではあったが、渡部にとっては「愛のあるイジリ」と苦痛ではなかったという。これが笑いの原点だったのではないかと聞くと、渡部は「ちょっとあると思います」と認めた。

「その時から人前に出るのは好きだったので、今につながっていると思います」

 2年夏には3番・塩見、4番・渡部という中軸を組んだ。塩見が出塁して渡部が還す。他にも深瀬愛斗(元・パナソニック)など強打者がおり、強打線を形成した。

 だが、神奈川大会準々決勝で立ちはだかったのは名門・桐蔭学園だった。茂木栄五郎(現・楽天)、若林晃弘(現・巨人)を擁する強敵で、春の県大会でも完敗していた。試合は延長12回までもつれる熱戦になったが、2-3で惜敗。甲子園を狙えたメンバーだっただけに、武相の落胆は大きかった。なお、この年の神奈川代表は近藤健介(現・日本ハム)や2年生エース・柳裕也(現・中日)を擁する横浜だった。

 あの夏から10年が経ち、塩見はヤクルトのリードオフマンとして2021年の日本一に大きく貢献した。渡部は「高校時代は少し粗っぽいところもあったんですけど」と苦笑しつつ、大先輩の躍進を誇らしく見つめていた。

 2021年12月。渡部はテレビ番組の収録のため、フジテレビを訪れた。すると、通路でなつかしい顔とバッタリ出くわした。同じく年末特番の収録にやって来た塩見だった。

「奥川(恭伸)投手と一緒に歩いていて。塩見さんにお会いしたのは7、8年ぶりでした。僕のことを覚えてくれていたみたいで、うれしかったですねぇ。びっくりしすぎて写真を撮り忘れたのが残念でした」

 野球の道と芸の道。先輩と道は分かれたが、一流を目指す思いに変わりはない。渡部おにぎりは武相野球部で育まれた生命力で、さらなる高みを目指していく。

(後編:「まさか」の高校ラストゲーム>>)

■渡部おにぎり
1994年8月14日生まれ、神奈川県出身。お笑い芸人。ワタナベエンターテインメント所属。本名・渡部恭平。武相高校時代は捕手として、1学年上の塩見泰隆(ヤクルト)、井口和朋(日本ハム)とともに活躍。横浜商科大学進学後も野球部に所属したが、退部して芸人を志し養成所に入所し、桃沢健輔とお笑いコンビ・金の国を結成。2022年、『R-1グランプリ2022』ファイナリストになった。公式Twitter>> 「金の国玉転がしチャンネル」>> 「金の国渡部おにぎりのにぎにぎちゃんねる」>>