今年も村上宗隆(ヤクルト)が驚異の成長曲線を描いている。7月31日から8月2日にかけて5打席連続本塁打の日本記録を樹立し、8月26日には最年少で通算150号本塁打を達成。

9月2日には日本人では松井秀喜以来となるシーズン50号を史上最年少で達成した。2年連続シーズンMVP、そして三冠王も視野に入るなど、圧倒的な活躍を見せている。

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9月4日の中日戦で51号本塁打を放ったヤクルト・村上宗隆

 そんななか、村上のプロ2年目(2019年)の数字を眺めると、このシーズンが今の村上の土台になっていると感じずにはいられない。

2019年/143試合/打率.231/36本塁打/96打点/74四球/184三振/15失策

 当時19歳、「将来の4番」は十分にインパクトを残したシーズンをこう振り返っていた。

「喜びと悔しさを秤にかけたら、悔しさのほうが大きいです。三振もエラーも多くて、チームに迷惑をかけてしまいました。

そこに尽きます」

凡打してうずくまる村上の姿

 8月29日、香川県丸亀市にあるレクザムボールパーク丸亀。

「昨日の村上のホームラン、見ましたよ。めちゃめちゃ頼もしいですし、もうスーパースターですよ。左打者なのに、右の強打者のような打球をレフトに飛ばせるんですから。相手ピッチャーは抑えるのが大変だと思います」

 四国アイランドリーグplus(独立リーグ)の香川オリーブガイナーズで選手兼投手コーチを務める近藤一樹は、そう楽しそうに話した。近藤は2020年のシーズンを最後に、ヤクルトを退団。香川での生活も2年目に突入した。

「兼任ですが、投手コーチとして2年目になりました。選手たちはやればやるだけ、教えれば教えるだけ伸びていく。選手たちのうまくなっていく姿を見ると、明日もまたうまくなるかもしれないと、本当に楽しみです。自分の教え方が間違っていなかったんだという実感はあります」

 コーチ業務に多くのウエイトを置くなかでも現役を続行。今季はここまで(9月4日現在)13試合に登板して、2勝6セーブをマーク。無失点も継続中だ。

「投げたくなければ投げないですし、いま投げているということは、自分のなかにやりたい何かがあるんで......。今はチームが勝っている展開で投げることが多いので、僕が打たれたら負けてしまうということをプレッシャーとして投げています。NPBに復帰できるかについては、動けなくなったら無理ですけど、まだこうして動けているので......。万が一、紙一重でもチャンスがあればと、ちょっとは期待しています」

 香川での2年間については、このように語る。

「この2年間でいろいろな経験と勉強ができました。練習メニューにしても、1週間のメニュー、1カ月のメニュー、1年間のメニューをマネジメントしていく。

この経験は、選手だけやっていたらできなかったことなので、すごく大きいなと思っています」

 香川の選手たちの成長を見ながら、近藤が思い出すのが村上のことである。近藤はヤクルト在籍時、村上と3シーズンをともにした。

「村上とは神宮のクラブハウスのロッカーが隣でした。当時の僕は、チームのいろんな人にクラブの型をつけてあげていたんですけど、村上も『僕のグラブもお願いします』と物おじせずに頼んでくる(笑)。村上が打ち始めてからすでに"神様"扱いしていたのですが、ある時『神様』って声をかけると、『なんですか? 近藤さん』みたいな感じで(笑)。年齢はかなり離れていましたが、フレンドリーな先輩と後輩の関係だったと思います」

 今回、近藤が話してくれたエピソードを聞くと、悔しさとともに村上が成長していったことがよくわかるのだった。

「第一印象は、若いのにバットを思いきり振ることができることで、モノが違うというのは当時から感じていました。なかでも、1打席1打席に集中できる子で、1年目にチャンスで代打起用されその打席はアウトになったのですが、凡退したあとにベンチ裏のロッカーでうずくまっていたんです。僕は、まだ試合が終わってないんだからベンチに戻れよって思ったのですが、それくらい1打席にかけていたんだなと。本当に悔しかったんだと思います」

 村上の1年目のシーズンは14打席に立ち、ヒットはプロ初打席に放った本塁打のみだった。

「ビジターの球場でもロッカーが隣ということがよくあったんですけど、僕が着替えをしていると、またうずくまっているみたいな(笑)。それくらい結果を残したかったのかなと。

アウトになったことを背負う必要なんてないのに、あの頃から強い責任感を持っていたんでしょうね」

ボールに触れないようにしていた

 ただ村上の守備については、「そこを責めるのは気の毒ではあるんですけど」と前置きしたうえで、試合に出ている以上は最低限のことはやってほしいと感じることもあったという。

「2年目のシーズン、村上はおもにファーストを守っていたのですが、ボールを捕りにいかないというか、なるべく触らないようにしている感じに見えました。たとえば、送りバントで村上の前に打球が転がっているのに『ピッチャー!』って指をさされて、『そりゃないわー』と思ったことはありました(笑)。でも、その時は本当に守備が不安だったんだと思います」

 2年目の村上は、事実、三振も失策数も多かった。守備については、首脳陣から「ピッチャーの生活もかかっている」という声もあったが、それでも全試合で村上を先発に起用した。

「やっぱりホームランを打てる選手は魅力ですからね。ホームランを打てるということは強く振れるということで、三振が増えるのは仕方ないです。あの時に三振を怖がって打率を残すことに走ったら、魅力がなくなっていたかもしれない。

 それにバッティングの経験を積ませるため、守備には多少、目をつぶった。それが結果として、今はサードで頑張っていますし、ピッチャーに声かけをしたり、成長しているじゃないですか。もし当時の環境に今の村上がいたら、僕はもっと抑えていたかもしれないですね(笑)。それは冗談として、村上はあのシーズンの悔しさや不安だったことに対して、練習に取り組んできたことの成果が、今につながっているんだと思います」

村上宗隆、覚醒のきっかけは入団2年目。元ヤクルト近藤一樹が明かす当時の秘話「時には大泣きしていた」

2020年までヤクルトでプレーした近藤一樹

 近藤は2018年シーズン、リーグ最多となる74試合に登板し、35ホールドで最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。もしこの時の近藤が、今の村上と対戦したらどのような勝負を挑むのだろうか。

「今の村上だったら無理して勝負する必要はないんじゃないかと。いろいろなパターンで、いろいろ考えて、ようやくアウトがとれるかもしれないバッターですからね。勝負するとして、僕はバッターが誰でもスタイルを変えなかったので、おそらく1球でやられると思います。これまでも相手チームの強打者に1球で仕留められていたので。僕はそういうところの野球の頭が悪かったので、今はそこを勉強している最中です(笑)」

 そして近藤は思い出したように、「2019年の村上は......」と話し始めた。

「当時コーチだった宮本慎也さん、石井琢朗さんに野球人としていろいろなことを毎日叩き込まれていました。時に大泣きするくらい、叩き込まれていました。でも、僕も高校を卒業して何も知らないままプロの世界に入って、いろいろな方に指導していただいた経験があります。それは必要なことで、村上はそれを早い段階で経験できた。グラウンドでの立ち居振る舞いや責任感の強さは、それが生きていると思います」

 どれだけ三振をしても、ミスをしてもヤクルト首脳陣は村上を使い続けた。そしてまた村上もその期待に応え、懸命に食らいついた。なにより感服するのは、村上の心身のタフさだ。そうして2年目の経験が下地となり、村上の才能を一気に開花させたのだ。