ケンドーコバヤシ
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(8)前編
(連載7:前田日明がキレた理由が「ホンマにわからない」。リングスでのディック・フライ踏みつけ事件>>)
子供の頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛" を披露してきたケンドーコバヤシさんが、独自の目線で名勝負を語り尽くす連載。
1987年の世界最強タッグ決定リーグ・大阪府立体育会館大会のメインで闘う天龍源一郎(左)とブッチャー
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――ケンコバさん、今回の語り継ぎたい名勝負はどの試合ですか?
「う~ん......今回は悩んだんです。取り上げる人は決めていたんですけどね」
――それは誰ですか?
「天龍源一郎さんです。俺は天龍さんがまだ、ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さんに次ぐ"第3の男"と呼ばれていたころから好きだったんですよ。子供心に、テーマソングの『サンダーストーム』がカッコえぇなと」
――サンダーストームは名曲ですね。天龍さんのどの試合にしますか?
「今回の試合は、『わざとマニアックな試合を選んでないか?』と思われるのが怖かったんですが......。
――おぉ!確かにマニアックですね。1987年暮れの世界最強タッグ決定リーグ戦での試合ですか?
「そうです。大阪府立体育会館での試合(12月2日)で、俺はチケットも買ってたんですけど......。正直、メインがこのカードとわかった時はがっかりしました。この年の最強タッグは、今振り返っても史上最高のメンバーが集結したんちゃうかと思うくらい、ものすごいメンツでしたからね。
まず、1985年3月に新日本プロレスに引き抜かれ、約2年半ぶりに全日本プロレスに復帰したブルーザー・ブロディ。もともとブロディは、スタン・ハンセンとの"ミラクルパワーコンビ"で1983年の最強タッグで優勝するなど、全日本マットを席巻していた。でも、復帰して最初の最強タッグではハンセンとのタッグを解消したんです」
――これは衝撃でしたね。
「『じゃぁ、ブロディどうすんねん?』って思っていたら、ジミー・スヌーカを連れてきたんですよ。スヌーカとは新日本のマットでもタッグを組んでいましたが、全日本では1982年4月に仲間割れして、バック・ロブレイと一緒にリング上でスヌーカをリンチしていた。
―― 一方でハンセンのほうは?
「そっちも気を揉んでたんですけど、組んだのは体がポテッとしたテリー・ゴディ。ハンセンとゴディは、1983年8月のテリー・ファンク引退試合でタッグを組んでましたが、俺の印象は『なんや、この運動不足のおっちゃんのような体と、髪型がおばちゃんみたいな男は』でした(笑)。でも、いざ最強タッグが開幕したら、このゴディが強いこと強いこと。ブロディとのタッグはもちろんすごかったですが、ゴディ単体でもえげつないなって思ったんです」
――そして、この大会でブロディ&スヌーカvsハンセン&ゴディが実現しました。
「今でも鮮明に覚えていますよ。開幕2戦目の11月22日、後楽園ホールでの試合でしたね。
――戦うはずがないと思われていた2人ですからね。この年の最強タッグは他に、ドリーとテリーのザ・ファンクス、マーク&クリスのヤングブラッド兄弟、トム・ジンク&ザ・ターミネーター、鶴田&谷津嘉章、馬場&輪島大士、タイガーマスク&仲野信市、ザ・グレート・カブキ&ジョン・テンタ、ラッシャー木村&鶴見五郎。合計12チームと豪華絢爛でした。
「結果は、鶴田さんと谷津さんの五輪コンビが優勝しましたが、この豪華メンバーの中でタイガーマスク&仲野組が頑張っていたことも覚えてます。勝ち点は6で8位タイだったんですが、このタッグを基に翌1988年に高木功さん、田上明さん、高野俊二さんなどが入って決起軍を結成した。
俺はその中で、高木さんが好きだったんです。天龍さんに思いっきりしばかれて、ボコボコ顔面に蹴りを入れられているところも。なので、今回、紹介する試合は1990年1月28日の『天龍vs高木』でもよかったんですけどね」
――後楽園ホールでの一騎打ちですね。
「この試合も大好きなんですよ。忘れられないのが、日本テレビの倉持隆夫さんの"勝手な"実況です(笑)」
――倉持さんは、昭和の「全日本プロレス中継」で長年に渡りメインを務めた名物アナウンサーでした。
「この試合、天龍さんは得意技のテキサスクローバーホールドではなく、サソリ固めで試合を決めた。そうしたら、倉持さんがそれを『長州(力)へアピールしているような、サソリ固め!』って実況したんです。そんな『見ているか!長州』みたいなことを勝手に言ったらダメですよね(笑)」
――全日本から新日本にUターンした、長州さんへの当てつけだったかもしれませんね(笑)。
「ただ、俺はあの頃の倉持さんの実況が大好きでした。何が好きかって、結果が出る前から勝敗について話しちゃうこと。この天龍vs高木戦も『高木功が勝てるわけがありません! 2人の力の差を考えると勝てるわけありません! でも何か爪痕を残せ!』って(笑)。そんな実況ありますか? これは最高でしたね」
――画期的な実況ですね。そろそろ、本題の天龍&原vsブッチャー&T.N.T.戦の話を伺えたらと思います。先ほど、この試合がメインで「がっかりした」と話していましたが、より詳しく理由を教えていただけますか?
「これもまずは当時の、全日本の大阪大会の現実から話さないといけません。三沢光晴さん、川田利明さん、小橋建太さん、田上明さんの四天王時代から全日本を見始めた人は『ウソつけ!』って信じてくれないかもしれないんですが、この四天王前の全日本の大阪大会は、東京で組まれるカードに比べると明らかに"格落ち"のカードが多かったんです。
表現は悪いですけど、大阪のお客さんを『なめた』というか......プロレスブームで会場にお客さんは入っていたけど、『なんでやねん?』ってツッコミを入れたくなるくらいカードは弱かった。だから俺は全日本の大阪府立体育会館での試合に、ちょっと辟易としていたんです。僕と同じ世代の人なら共感してくれる人もいると思いますよ」
――そうだったんですね。
「でも、大阪スポーツか週刊プロレスか忘れましたけど、この1987年の史上最高とも言っていい豪華タッグの面々を見て、『これは抑えなアカン』となったんです。アルバイトでコツコツ金を貯めて、2階席のチケットを買って。カード発表を今か今かと心待ちにしていたら、メインが天龍&原vsブッチャー&T.N.T.やったんです。
"龍原砲"は初の最強タッグ参戦で、ブッチャーも約6年半ぶりの全日本復帰と話題はありましたけど、あれだけに楽しみにしていたのに『このカードがメイン?』となって。当日は会場もなんとなく冷めた空気が漂ってましたが、それを覆すとんでもなく面白い試合になったんです」
(後編:「龍原砲」がブッチャーの頭を蹴りまくり、T.N.T.も頑張った。ケンコバが興奮した1987年の全日本「ベストバウト」>>)