今季、鮮やかな復活劇を見せている三原舞依が、初出場となったグランプリ(GP)ファイナルで、ショートプログラム(SP)2位から逆転で初優勝を成し遂げた。日本人の女子シングル制覇は、2018年の紀平梨花以来4年ぶり。

村主章枝浅田真央、紀平に続く4人目となる快挙だ。同門の坂本花織が昨季、北京五輪銅メダル、世界選手権初優勝という結果を出したことが刺激となるとともに、三原自身が再び世界で活躍する夢を持ち続けていたからこそ、GPファイナル女王の座をつかんだに違いない。

 初の栄冠に輝いた直後の会場内での優勝インタビューでは、満面の笑顔を見せながら、英語で初々しくこう話した。

「優勝できたことは私にとっても驚きです。アンビリーバボー。何も言葉にならないです。

今日のフリーはとてもナーバスでしたが、自分がやるべきことをやろうとしました。とにかく楽しんで、最後まで集中して、力強く、この前の(試合で出た)課題をしっかり克服しようと思って滑りました」

 表彰式後のメダリスト会見も、興奮冷めやらぬ面持ちで次のように語った。

「この結果は、私にとってとても驚くことでした。いまも信じられないくらいです。ここでスケートができてとても幸せです。

 正直、ぜんぜんメダルを取れるとは思っていなくて、中野(園子コーチ)先生から1位、1位(GP2連勝)でファイナルに来たのはあなただけだから、ファイナルも(タイトルを)狙っていこうと言ってくださっていた。

そう言ってくださっているなかで、自分がいままでなかなか表彰台に乗れなかったことや、苦しかったことが頭のなかにたくさんあったので、本当に実現できるとは思っていなかった。ただただ、練習してきたことをしっかりSPもフリーも出すことだけを考えて、スケートができる喜びを表現したいなと、感謝の思いを込めたいことだけを考えて滑っていました」

GPファイナル初出場、初優勝の三原舞依。コーチの言葉に発奮も...の画像はこちら >>

グランプリファイナルに初出場、初優勝を飾った三原舞依

 今回のGPファイナルは坂本が一緒だったことも大きなサポートになったはずだ。2度目のファイナル出場となった坂本とは、ノービス時代からずっと一緒に練習してきた間柄。その存在は三原にとって刺激であり、身近な目標となっている。世界のトップ争いを繰り広げてきた坂本に注目が集まることで、ダークホース的な立場で臨める三原は自分の演技に集中できたということもあるだろう。

【「かおちゃんが頑張ってくれているので...」】

『戦場のメリークリスマス』をSP曲にしたのは、23年間の人生や苦しい競技生活を振り返り、これまで経験したことを曲に乗せて表現できるからだという。

そのSPでは、冒頭の2回転アクセル、3回転フリップ、ルッツ+トーループの連続3回転ジャンプを完璧に跳び、ステップと3つのスピンはすべてレベル4を獲得するなど、すべての要素で出来栄え(GOE)加点がついたノーミスの演技を披露。自己ベストを更新する74.58点をマークして2位発進となった。

「最終滑走ということもあって、すごく緊張していたんですけど、自分の頭の中ではひとつひとつ意識して滑りたいことを考えながら、最初の音から自分の人生を振り返りながら滑ることができて、たくさんのお客さんが見てくださっているなということを考えながら滑りました。この舞台に初めて来られたことがまず何よりも幸せなことで、スケートができていることが幸せなことで、本当にそれを噛みしめながら滑ることができたかなと思います」

 SPでは首位の坂本にわずか1.28点差の2位。表彰台のチャンスが見えたフリーを迎えて、勝負への意欲を隠さなかった。

「(坂本と一緒に)表彰台に乗りたいという気持ちはすごく強いです。

かおちゃん(坂本)がずっと頑張ってくれているので、自分がもっと頑張りたいなと思うことがたくさんありました。今回の舞台を幸せだなと感じながら、自分のできることをしっかり全部出しきれたらいいなと思っています」

 そして迎えたフリー。『恋は魔術師』の曲に乗った演技は、プログラム前半の2回転アクセル、ルッツ+トーループの連続3回転ジャンプを次々と華麗に跳んでみせた。基礎点が1.1倍となる後半に2本の連続ジャンプを組み込み、レベル4と判定された終盤のステップとスピンで見る者を引き込んだ。最後の3回転ループは右足に疲れが出ていたことが響いて2回転となり、着氷で両手をついて転倒したが、フィニッシュポーズまで力強く滑りきった。

 フリーで133.59点を出して、合計208.17点をマークして暫定首位に。

最終滑走者の坂本がジャンプミスを連発して得点を伸ばすことができなかったため、三原がそのまま初タイトルを獲得した。

【目指すのは世界選手権】

 ここまで過酷な競技生活を強いられてきた。15年12月に「若年性特発性関節炎」と診断されて入院。退院後は車いす生活を余儀なくされ、通院と治療、服薬をしながらの難病との闘いが始まる。それでも大好きなスケートを諦めることはなく、復帰した16年-17年シーズンは、GPスケートアメリカで好成績を収め、全日本選手権で3位に。初代表となった四大陸選手権で初優勝、そして世界選手権5位と健闘した。

 18年の平昌五輪を目指していたが、17年の全日本選手権で5位と振るわず、念願の五輪出場は果たせなかった。その後も、無理をして復活すれば、しばらくすると休養を強いられるという繰り返しで、懸命なリハビリにも取り組んだ。

 19年の夏ごろから体調不良に陥り、練習が積めない状況のなかで大会への欠場が続き、結局、1シーズンの休養を余儀なくされた。やせた姿でリンクに戻ってきた20年-21年シーズンは、その体形の細さに誰もが心配したが、焦らずじっくりと練習に励み、少しずつ体調も上向きになっていった。

 昨季はアジア杯で優勝したほか、GP2大会で連続4位と復活の手応えをつかんだが、全日本選手権では4位に終わり、またも五輪代表の座を逃した。そんな悔しい気持ちを糧にして、何度も降りかかる困難を乗り越えて、大躍進の今季を迎えたというわけだ。

 3連勝でのGPシリーズ制覇は完全復活と言ってもいいかもしれないが、体調やコンディションを整えていくことは今後も必要だろう。世界選手権代表を今季の目標に掲げる三原は貪欲さを失っていない。

「(フリーの演技は)全部が全部、完璧じゃなかったので、まだまだレベルアップしたいなと思っています」

 1週間後の全日本選手権でどのような結果を残せるか。この勢いに乗って初の全日本のタイトルも一気に手中にしたいところだ。