吉井理人×山本昌 新春スペシャル対談(後編)

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2022年は完全試合など大ブレイクを果たしたロッテ・佐々木朗希

【1年目一軍登板ゼロのワケ】

── 2022年には完全試合を記録し、早くもその才能を開花させた佐々木朗希選手ですが、お二人は佐々木投手のことをどのように見ていますか?

山本 僕は「ロッテに入って、本当によかったな」と思っていますね。球団として、腹が据わっているというか、たとえ周りに何か言われても、「絶対に育成方針は変えないだろうな」ということをすごく感じるんですよ。吉井監督自身も、周りの雑音を完全にシャットアウトする人だし。

佐々木くんがルーキーの時のことだけど、「1年目は1試合も投げさせない」という方針を打ち出しましたよね。そのあたりの事情をぜひ、聞きたいですね。

吉井 本当は、交流戦の甲子園でデビューさせたかったんだけど、コロナで試合がなくなったりして、そのなかでの調整がうまくいかなかったんだよね。で、「それなら今年はもう投げないで、じっくりと体力をつけていくことに専念しよう」って切り替えたんです。当初の予定では、5月の終わりぐらいから6月ぐらいに交流戦でのデビューを考えていたんだけど、途中で「プランB」に変わったっていう感じです。

山本 体力的にはどうですか? 大船渡高校という岩手の県立高でやってきて、いきなりプロの世界に入ってきたわけだから、多少の故障があったり、疲れがあったりっていうことも、当然あったと思うんだけど......。

吉井 高校の時に、ずっと大事に使われていたので、プロに入ってきた時には、「マウンドで3球全力投球できるのかな?」って思うぐらいの体力でしたね。

山本 えっ、たった3球程度?

吉井 3球投げたら、4球目に肩やひじが飛んでしまうような、それぐらいのイメージだったんですね。だから、「かなり慎重に育てないと」と考えましたね。

山本 僕らも野球をずっとやってきましたけど、6月の頭に、「じゃあプランBに変えよう」というのも、かなりすごい決断だと思いますよ。だって、そこからまだ4カ月もあるのに、その時点で「もう投げさせない」と決めた。その決め手はなんですか?

吉井 「プランA」をやっている時のコロナの休み中に、1回シートバッティングをしたんですよ。

その時に160キロぐらいを投げたんだけど、その反動はやっぱり大きくて、回復がすごく遅かったんですね。それを見て、「このままだと、試合で投げさせたらたぶん戻ってこないな」って思ったので、迷いなく「プランBの方がいいな」って。

【佐々木朗希を初めて見た時の衝撃】

山本 でも、その「プランB」が功を奏して、次の年、終盤からにはなったけど、一気に快刀乱麻のピッチングを見せて、そして3年目の2022年につながるじゃないですか。これは、育成方針がうまくハマったのか、それとも佐々木くんが上手にやったのか? 僕は、育成方針が見事にハマったんじゃないかと思うんですけど、いかがですか?

吉井 どっちもあると思うんですよね。朗希も自分で考えて、ちゃんと練習できる子なので。あの時点ですでに「自分には何が足りないのか?」って考えながら、うまくやってくれたので。それに、ダメな時は「ダメ」ってハッキリ言える子でしたから、休みをとりやすかったっていうのもあるんですよね。

無理しちゃう子だったら、ついつい、「まだいけるか?」と聞いて、「大丈夫です」と言われたら、「じゃあ、もう少し投げてみるか」って言いたくなるけども、彼の場合は「今日ちょっと無理です」ってハッキリと言ってくれる子だったから、そこはもう両方あると思いますね。

山本 現役時代から今まで、いろんな球団の、いろんな投手と接してきたと思うけど、初めて彼を見た時に、どれくらいの衝撃だったの?

吉井 衝撃はものすごかったですよ。野茂(英雄)をはじめ、ダルビッシュ(有)、大谷(翔平)と、いろいろ見てきたけども、朗希の場合はそのメンバーも超えるぐらいの実力を持ってるんじゃないかなって思ったから。

山本 野茂くんやダルビッシュくん、そして大谷くんを超える! とくに野茂くんとはチームメイトとしてやっているし、ブルペンでも一緒に投げているだろうし。それを超えるぐらいの存在でしたか。もうキャッチボールからすごかったの?

吉井 すごかった。

野茂のブルペンを初めて見た時に、「なんだ、コイツ!」ってひっくり返って、「そりゃ勝てんな」って思ったんだけど、朗希がロッテに入って、ブルペンで初めての球を見た時もすごかった。球もすごいんだけど、あの体で、あの歳で、コントロールがよかった。大谷は結構バラけていたので、「たしかにすごいけど、時間かかるかな」と思ったけど、朗希にはそれがなかったから。

山本 そうなのか! どちらかと言うと、大谷くんの方が完成度は高いのかと思っていたけど、吉井監督の目から見て、佐々木くんのほうが少し素質は高かった?

吉井 もちろん、大谷もすごかったんだけど、朗希のほうがピッチャー気質はある気がしましたね。

【これからの佐々木朗希育成プラン】

山本 今回、ロッテの監督となったけれども、そのまま3月開催のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のピッチングコーチも務めるんですよね。佐々木くんもそうだけど、ヤクルトの奥川(恭伸)くんも元気だったらよかったのにね。

吉井 本当に朗希と奥川は、侍ジャパンの看板にしたかったんですよ。

山本 僕も、「この2人が将来の日本を背負っていくだろう」ってずっと言っているので、本当にそう思いますね。それにしても、2023年の佐々木朗希くんも楽しみですよね。僕としては、「15勝してほしいな」って思っているんですけどね。去年の完全試合もすごかったけど、その次の試合の完全試合未遂。あの日のボールって、おそらくメジャーの選手でも当たらないです。

あれは人間の動体視力を超えているんで、当たらないです、絶対に。そろそろ、中6日ぐらいでの起用もあるんですか?

吉井 計画では、22年が110イニングぐらいで止める予定だったけど、実際は130ぐらいだったのかな(129.1イニング)。予定よりも投げすぎているので、回復はどうかなっていうのはちょっと心配していますね。でも、もう1つの目標が、「間隔は空けたとしても、1年間一軍のマウンドに上がること」だったんだけど、それは達成できたので次の段階に移行するところですね。

山本昌「佐々木朗希を初めて見た時の印象は?」吉井理人「素質は野茂英雄、ダルビッシュ有、大谷翔平より上」

ともに1965年生まれの吉井理人氏(写真左)と山本昌氏

山本 少しずつ体力がついてきている感じはしますか?

吉井 体力はついてきていますね。体もしっかりしてきているし、22年は最後にちょっとへばったけれども、それでも最後までいけた。だから、23年シーズンは同じような間隔になるかもしれないけれども、シーズン後半もへばらないで、あの4月みたいなピッチングができるようになってくれればなと。で、その次の年、24年シーズンぐらいからですね、フルに180から200イニングを投げられるぐらいの登板間隔で先発させるのは。

山本 そういう長期的展望で育成できるのが吉井監督の強みだと思いますね。ぜひ、悲願のリーグ制覇、日本一に向けて頑張ってください。

吉井 ありがとうございます。ぜひシーズンオフにはいい報告ができるように頑張ります!

おわり

吉井理人(よしい・まさと)/1965年、和歌山県生まれ。箕島高時代は甲子園に2度出場し、83年ドラフト2位で近鉄に入団。4年目の87年にプロ初勝利を飾り、5年目はリリーフとして50試合に登板して10勝2敗24セーブの活躍を見せる。95年の開幕直前にトレードでヤクルトに移籍。先発に転向して3年連続2ケタ勝利を挙げる。97年オフにFAでメッツに移籍。その後、ロッキーズ、エクスポズでもプレーし、メジャー通算32勝をマーク。帰国後はオリックス、ロッテでプレーし、07年に現役を引退。引退後は日本ハム、ソフトバンク、ロッテでコーチを務め、23年からロッテの監督を務める。

山本昌(やまもと・まさ)/1965年、神奈川県生まれ。日大藤沢高から83年ドラフト5位で中日に入団。5年目のシーズン終盤に5勝を挙げブレイク。90年には自身初の2ケタ勝利となる10勝をマーク。その後も中日のエースとして活躍し、最多勝3回(93年、94年、97年)、沢村賞1回(94年)など数々のタイトルを獲得。06年には41歳1カ月でのノーヒット・ノーランを達成し、14年には49歳0カ月の勝利など、次々と最年長記録を打ち立てた。50歳の15年に現役を引退。現在は野球解説者として活躍中。