佐々木信也インタビュー(後編)

佐々木信也が取材メモを公開。野村克也、王貞治、ダルビッシュ有...の画像はこちら >>

キャスター時代は時間の許す限り球場に足を運び、選手の肉声を拾ってきた佐々木信也氏

川上哲治から授かった戒め】

── 1956(昭和31)年の高橋ユニオンズ入団以来、『プロ野球ニュース』など解説者、キャスター時代を含めてすでに67年目を迎えました。これまで、多くの野球人との交流があったのではないですか?

佐々木 多くの方が亡くなられたけど、いろいろな方にお世話になりましたね。プロ1年目のシーズンオフ、オールジャパン代表に選ばれて、ドジャースとの試合で日本全国を回ったことがあったんです。

仙台の旅館の風呂場で、たまたま当時現役だった川上さんと一緒になったんです。

── 「野球の神様」と称された巨人・川上哲治さんですね。

佐々木 この時、川上さんから「野球選手にとって怖いものが3つある。酒と女とバクチだよ」って言われたんです。そして、「このなかでいちばん恐いものは何だと思う?」と聞かれました。すると、「答えは酒だよ。

女もバクチもやがて飽きるけれど、酒は飽きることがない。キミは酒を呑むのかい?」と聞かれたので、「たしなむ程度です」と答えると、「そりゃよかった」と頬をほころばせたことがありましたね。

── もちろん、王貞治さん、長嶋茂雄さんとも何度もご一緒されていますね。

佐々木 長嶋とは大学時代にすでに同じチームでプレーしました。彼が立教大学2年、私が慶應大学4年の時に東京六大学選抜メンバーとして一緒にマニラ遠征に行って以来、仲よくなったんです。約2週間、同部屋だったけど、彼は夜中に何度もベッドから転げ落ちる。

そのたびに「大丈夫か?」と聞くと、「大丈夫です」と言って、またスヤスヤ眠る。で、10分もしないうちにまたドスン。あれからですよ、彼の言動がおかしくなったのは(笑)。

── 王さんとはどんな思い出がありますか?

佐々木 ワンちゃんはああ見えて、若い頃、ものすごく大酒飲みだったんです。あれはたしかよみうりカントリークラブだったと思うけど、評論家でジャイアンツOBの青田昇さんと一緒にラウンドしたんです。その時に、ものすごく酒臭かったので「昨日はかなり飲んだんですか?」と尋ねると、「昨日はワンちゃんと一緒だったんだ」と言うんです。

詳しく聞くと、青田さんはウイスキーのボトル1本だったのに、「ワンちゃんは2本空けていたよ」とのことでした。それで、その日も試合に出ていましたから、相当な酒豪ですよ(笑)。

【名選手たちの怖いもの3つ】

── 佐々木さんは、選手にインタビューする際に、「あなたにとって怖いものを3つ挙げてください」と尋ねると聞きました。これはどういうことなんですか?

佐々木 今から50年くらい前のことだったと思うけど、ゴルフ雑誌を読んでいたら、サム・スニードという名ゴルファーのインタビュー記事がありました。そこで、「怖いものを3つ教えて?」という質問があったんです。そこで彼は、ライバルの「ベン・ホーガン」と「雷」、そして「下りのパット」と答えたんです。それがとても印象に残っていて、「よし、使わせてもらおう」ということで、プロ野球選手にインタビューする時には、この質問をするようにしたんです。

── 印象に残っている回答はありますか?

佐々木 ちょっと待ってね(と手元の手帳を取り出す)。ここにメモをしているから、いくつか読み上げてみましょうか(笑)。

── ぜひお願いします。

佐々木 まずは野村克也。「キムチ、女房、鶴岡監督」(笑)。キムチが嫌いだったのかな? 女房とはもちろんサッチー(野村沙知代夫人)のことですよね。

鶴岡一人監督とはそりが合わないことは有名だったけど、ここにも名前が出てくるんだね。あと、星野仙一は「春菊、ひがみ、攻めないピッチャー」。これもいかにも星野らしいですね。

── その人の個性が出ていて面白いですね。

佐々木 まだまだありますよ。王貞治は「慢心、自分中心に回っている人、感謝のない人」。

これはいかにもワンちゃんらしいな。人柄が出るよね(笑)。金本知憲は「らっきょう、ウソつき、コントロールの悪いピッチャー」と書いてあるね。連続試合出場記録を持つ金本にとって、たしかにデッドボールは怖いことですよね。

── 昭和時代だけでなく、平成時代の選手のコメントまであるんですね。

佐々木 ダルビッシュ有もありますよ。彼は「グレープフルーツ、走ること、ジェットコースター」で、稲葉篤紀は「お金、エビ、バッティング練習」だって。お金で苦労でもしたのかな(笑)。

【オレ、本当に選手だったのかな?】

── あらためてですが、『プロ野球ニュース』時代のおしゃべりは健在だし、当時の記憶も鮮明に残っています。佐々木さんが89歳だとは信じられないです。

佐々木 でも、最近はあんまり野球も見ていないですよ。球場に行くこともないし、テレビ中継も地上波ではほとんどやっていないですからね。CSでやっている『プロ野球ニュース』はたまに見ますよ。でも、今は誰も球場に行かないで、テレビ局で中継を見た上で、生放送をしているでしょ? 「どうして球場に行かないんだろう?」って思いますよね。

── 『プロ野球ニュース』キャスター時代、佐々木さんは毎日関東近郊の球場に行って、本番に備えて試合途中にフジテレビに戻ってくるという生活をすごしていたんですよね。

佐々木 当時は、東京に後楽園球場、神宮球場、そして神奈川の横浜スタジアム、川崎球場、埼玉の西武球場があったから、必ずどこかの球場に足を運んで、試合前に監督や選手たちに取材をして本番に臨んでいたけど、今はそういう時代じゃないんですかね。

── 佐々木さんとプロ野球との関わりは、「選手として4年間」で、それ以外はずっと解説者であり、キャスターとしての半生です。ご自身のなかでは「キャスター・佐々木信也」という意識なのでしょうか?

佐々木 もう60年以上もテレビ、ラジオの世界で生きてきましたからね。自分でも、「オレ、本当に選手だったのかな?」と思うこともありますよ(笑)。ただね、あらためて振り返ってみると、「本当にツイている人生だな」って思いますね。

── どういう点が「ツイている」のでしょう?

佐々木 湘南高校時代には1年生の時に全国制覇をして、慶応大学時代にはキャプテンとして活躍することができた。プロでは1年目でいきなりシーズン180安打の日本記録をつくって、これは今でも破られていない。結局、わずか4年で引退してしまったけれど、それでもジャイアンツV9時代に日本テレビの解説者として、間近で歴史的偉業を見ることもできました。そして、『プロ野球ニュース』です。自分で言うのはおこがましいけど、すごく恵まれた人生だなって思いますね。

── ぜひ、これからもますますお元気で日本のプロ野球を見守ってください。

佐々木 一緒にプレーしていた選手が次々と亡くなっていくのはやっぱり寂しいですよね。もう89歳ですから。いつまで元気でいられるかわからないけど、まだまだ元気でいたいなと思います。

おわり

佐々木信也(ささき・しんや)/1933年10月12日、東京都生まれ。湘南高では1年時に夏の甲子園で全国制覇。慶應大では内野手として活躍し、4年で主将を務める。56年に高橋ユニオンズへ入団。1年目から180安打を放ち、ベストナインに選出された。その後チームは大映ユニオンズ、大毎オリオンズと変わるも、59年限りで戦力外となり現役引退。26歳で野球解説者に転身し、76年からスタートしたフジテレビの『プロ野球ニュース』の初代メインキャスターとして人気を博した。