槙野智章インタビュー(前編)

 2022年12月26日、ヴィッセル神戸所属の槙野智章が会見を開いた。会見のタイトルには、こう記されていた。

『現役引退および槙野劇場第二章 開幕宣言会見』

 集まったマスコミの前にスーツ姿で現れた槙野は、自らパワーポイントで作成した資料を使って『槙野劇場第二章』についてプレゼンした。その会見では「監督、指導者を目指す」と語ったが、もっと深く"第二章"について内容を知りたく、あらためてインタビューを申し込んだ。

 槙野智章、35歳──。17年間のプロサッカー選手生活にピリオドを打った今の心境とは?

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槙野智章「ネットで書かれるのは、まったく何も感じない」アンチ...の画像はこちら >>

槙野智章が引退について大いに語ってくれた

── 2022シーズンをもって17年間の現役生活に幕を下ろしましたが、あらためて引退を決断した理由を教えてください。

「最初に引退しようと思ったのは、2021年の末です。浦和を契約満了になった時に辞めようとしました。

 ただ、その後に神戸からオファーがあって、家族だったり、周りの人たちから『もうちょっと、やってみたら』という声があったので、もう1年、やってみようと決めました。

 でも、サッカーとの向き合い方だったり、チームへの関わり方といったところは、これまでとは違ってくるのはわかっていた。実際に昨年、神戸でプレーするなかでも、そういう部分を感じていました。

 出場時間も限られたなか、引退後に自分がやりたいこともはっきりしていた。だったら、ずるずると現役を続けるよりも、早く次のキャリアをスタートさせたほうがいい、という決断に至りました」

── 神戸での1年間はどういったものだったんですか?

「これまでと違った経験ができたので、行ってよかったと思っています。その経験が『引退の決断』をより強くしてくれたかもしれないですね」

── どういう経験だったのでしょうか。

「各クラブの違いを感じられたことです。僕が所属した広島、浦和、神戸の3チームでも雰囲気はまったく違いますし、チームの順位や状況も毎年変わります。昨年の神戸は、思うような結果が出ない時期が続いていました。

 勝てないことには理由があって、そのなかで『どういうことをすると調子が変わるのか』を感じることができた1年でした。それはサッカー以外の面でもそう。そこを知ってから引退できたことは、これから指導者を目指すうえでもよかったと思っています」

── その神戸も含め、17年間の現役生活では4つのクラブでプレーしました。

それぞれの時間を振り返ってください。まず、広島時代で印象に残っていることは?

「広島は僕が生まれた街ですし、広島のアカデミーに育ててもらいました。その地元のクラブでトップ昇格できたことが、一番印象に残っていますね。

 トップに上がってからは、日本代表や海外移籍を目標にやってきて、それを実現させてくれたのも、広島というクラブです。そこは僕のキャリアにおける、ひとつのターニングポイントだったと思います。

 それに広島時代は、サッカーの面白さや楽しさを発信するところも意識してやってきました。

ゴールパフォーマンスだったり、試合後の『サンフレ劇場』だったり。槙野智章というサッカー選手を世の中に知ってもらうきっかけが、そこには詰まっていたのかなと思います」

── 2011年にはドイツのケルンに移籍しましたが、約1年で終わった海外挑戦はどういったものだったのでしょうか。

「ドイツでは試合には出られなかったけど、ヨーロッパのサッカーを肌で感じられたし、異なるサッカー観を知ることもできました。トレーニングの強度だったり、選手の意識もそう。ひとつの勝敗の重みもそうですね。

 ふだんの練習から勝ち負けに対する貪欲さがすごいんですよ。

本当にいろんなことを考えさせられました。『プロとは何か?』ということを教えてくれましたね」

── 試合に出られない時間をどう過ごしていたんですか。

「もちろんつらかったです。僕はそれまでアカデミー時代を含め、試合に出られない経験はほとんどなかったんですよ。

 だから、どうやったら出られるんだろう、どうやったらこの状況を打破できるのだろうか......ということをめちゃくちゃ考えていました。その経験がその後のキャリアにつながったと思っています」

── 浦和にはキャリアで最長となる10年間在籍しました。

「浦和はとにかく『勝たなくてはいけない』クラブ。勝っても納得してもらえなければ、拍手もしてくれない。そういう環境だったので、刺激的な時間ではありました」

── 当初はサポーターから、なかなか受け入れてもらえない時期もありましたね。

「でも、そういうのもよかったと思っています。パフォーマンスとか『お祭り男』『お調子者』というイメージを持たれていたので、たしかに受け入れられるまで時間はかかった。

 最後まで受け入れてくれたかどうかはわからないですけど、その状況を自分のパフォーマンスで変えてやろうとずっと思っていました。ヨーロッパともまた違う、厳しい環境に身を置けたことでやりがいは大きかったですし、自分のレベルアップにもつながったと思っています」

── 変えることはできたのでしょうか?

「人間だから当然、好き嫌いはあるだろうし、どう思うかは人それぞれですけど、僕が自信を持って言えるのは、浦和のことが大好きだったし、浦和のためにすべての力を費やして戦ったということ。

 その姿を見て、何かを感じてくれた人がひとりでもいたらうれしいですし、最初に持たれていたイメージは少しでも変えられたんじゃないかなと思っています」

── 実際に結果も出しましたからね。

「そうですね。アジアも獲ったし、リーグ戦は叶わなかったけど、カップ戦でも優勝しました。浦和の選手としてワールドカップにも出られましたから。自分のできることは、これ以上ないというくらいやってきたつもりです。

 もちろん、満足いっていない人もなかにはいると思いますけど、いいんですよ。いろんなことを犠牲にして、浦和のためにやってきたことは、僕にとっての財産です。浦和での10年は、広島やケルン時代とは比べモノにならないくらい、濃厚な時間だったと思います」

── 実際に好かれていないなと感じることはあったのですか?

「ネットで書かれるのは、僕はまったく何も感じないんですよ。ただ、面と向かって言ってくる人は本気なので、堪えることはありましたよ。

 たとえば僕が点を決めて勝ったのに、試合後にサポーターにあいさつに行ったら、とんでもない言葉を投げかけられたり(笑)。でも、そういう声が僕を強くしてくれたし、むしろそういうものを求めていた部分もありました。

 アンチがいたほうが、自分自身がレベルアップするということはわかっていました。海外だとふだんから厳しい環境に身を置けますけど、日本だとなかなか難しい。どうやったら厳しい環境作りができるか、ということは常に考えていましたね。

 そういう厳しい声やプレッシャーを受ければ、それを黙らせるために結果を残さないといけない。自分を追い込めるような環境作りをあえてしていたところはあります」

── あえて、嫌われようと?

「好きなことをやっていましたからね。バラエティに出たり、サッカーのことを知ってもらうためにいろんな活動をすることで、興味を持ってくれた人も増えました。

 その一方で、『もっとサッカーに集中しろ!』という声もありました。だったら『こういうことをやりながらも、結果を出せばいいんでしょう』というのが、自分にとってのやり方ではあったので」

── いろいろ考えていたんですね。

「もちろん、考えてますよ(笑)。そこは自分のブランディングですから。サッカー選手は個人事業主なので、自分をどう見せるのかは重要なことなんですよ」

◆中編につづく>>ポジティブな槙野智章が現役生活で「やり残したこと」


【profile】
槙野智章(まきの・ともあき)
1987年5月11日生まれ、広島県広島市出身。2006年、サンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格。プロ2年目からレギュラーに定着し、2010年12月にドイツのケルンに完全移籍を果たす。2012年に帰国して浦和レッズで10年間プレーしたのち、2022年にヴィッセル神戸へ。同年12月に現役引退を発表。日本代表38試合出場4得点。ポジション=DF。身長182cm、体重77kg。