スキージャンプ
葛西紀明インタビュー(後編)

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 50歳で現役を続行しながらも、2009年4月からは所属する土屋ホームのスキーチームの監督にも就任している葛西紀明。2月22日からスロベニアのプラニッツァで開催される世界選手権には、所属の小林陵侑と伊藤有希が出場する予定だ。

葛西紀明が語るジャンプスーツ問題。公平性を求めるなら「事前の...の画像はこちら >>

平昌五輪では所属チームの監督、選手の関係でもある小林陵侑らと共に戦った

 小林は1月下旬のW杯札幌大会で2勝、3位1回と復調し、2月に入ってからは2位2回で5位と6位と好調を維持。伊藤も1月末からラージヒル4戦でひと桁順位を続け、2月5日は優勝と、世界選手権でも好成績が期待される状況となっている。

 葛西は「陵侑はダントツの力を持っているし、有希もラージヒルは得意だから、監督としては個人と団体でメダルをいっぱい持ってきて欲しいですね。でも選手としては、有希には頑張ってほしいけど、陵侑にはあんまり頑張って欲しくないです(笑)」と言い、現役らしい負けん気の強さを見せる。

「基本的には監督よりは、選手の割合の方が多いですね。監督といっても合宿をどこで組むかとか。

それにコーチやトレーナーを変えようとなった時に決めるだけで。選手のジャンプの指導に関してはコーチに任せているので楽な監督です(笑)。ただ、選手たちには僕が知っている限りのアドバイスはしますが、それをすることで改めて自分も勉強になり、『こうしよう』と考えることもあるので、いい位置にいると思います」

 そんな葛西が監督として昨年のオフシーズンに決断したのは、コーチをスロベニアチームの元ヘッドコーチで、88年カルガリー五輪団体銀メダルのマティアシュ・ズパン氏に決めたことだ。

「ジャンプも進化しているなかで、ノルウェーやドイツ、オーストリアスタイルなどがあるけど、最近はスロベニアも強くなったので『その教えに何かあるのかな?』と思って。それでスロベニア人のマティアシュを選びました。やっぱり刺激はありますね。

 僕より6歳年上だけど熱心さもあって、コーチとしての知識も豊富で。例えば踏み切るときにスリップにならないための陸上トレーニングのやり方も、僕が知っていたのは1~2種類だけだったけど、『こういうこともやっているんだ』というほど多くて。それだけいろいろやっていれば、体に染み込んでスロベニアの選手は強くなるな、と思いました。僕や陵侑のように1~2種類だけでもうまくいく人もいれば、いかない選手も多い。方法が多くなればもっとよくなるし、できなかった選手もできるようになるだろうし、本当にいいコーチを見つけられたと思います」

【ジャンプスーツのルールに疑問】

 そう話す葛西だが、今季からのジャンプスーツのルール変更には疑問を持っているという。これまで男子は体のサイズの+2cmで、箇所によっては+3cmまで認められていたが、今季から女子と同じ+2~4cmに変更された。そのなかで日本勢は対応が遅れ、W杯前半戦は苦しんだ。

小林陵侑が1月下旬のW杯札幌大会で復活したのも、帰国してカットを新しくしたスーツを着用し始めたからだ。

 長年やっている葛西も、ルール変更には翻弄されてきた。99年までの規定は生地の厚さのみで、12mmだったものが94年には8mm、98年には5mmと変更になったが、00年にはサイズの規定が始まり、最大部分で体のサイズの+10cm以内、02年には+8cm以内、06年には+6㎝以内となった。さらに13年には体のサイズと同じ+0cmになったが、サマー大会を終えて冬になると「(スーツの)消耗が激しいから」と+2㎝に変更。13年からは+2㎝は変わらないが、場所によって+3㎝となって昨シーズンまで続いた。

「最近は日本チームもスーツを作るノルウェー人にお願いしているので、前より(世界と)差はなくなっていたと思うけど、10年バンクーバー五輪までは相当やられましたね。

当時は、ヨーロッパ勢が飛ぶ時には股下の部分を下げたり、腕も袖を引っ張ると付け根が広がって、ムササビのようにしているなんて全然わからなかったから。飛び終わったら、うれしくもないのにわざわざガッツポーズをして袖を見せる選手もいました(笑)。

 だから+0cmになって勝てるようになった時は、『公平なルールになれば俺たちは強いんだ。今までやられていたな』と思いました。そのあとの+2cmまではギリギリ公平だったけど、今シーズンは、部位による最大を+3cmから+4cmにしておかしくなりましたね。いろいろな抜け道を考える余裕があるから、それで飛んでいく選手も増えてくる。

だから今度は、W杯札幌大会で一番下から2番目の第2ゲートからスタートしたように、ジャンプ台が追いつかなくなる。時速84km台の、ノーマルヒルのスピードでラージヒルを飛ぶことになってしまうんです」

 新しいジャンプスーツの形状などは、W杯組が収集してきた情報も共有できるが、それが選手全員に行き渡るには時間がかかって不公平感も出てしまう。

「ジャンプスーツを作るとしても、1着7~8万円で、下手したら10万円ほどかかるんです。僕らはまだ会社で作ってもらえるけれど、そうじゃない選手は辛くなる。それに作ってもらえる優先順位もあるから、手元に届いた時は型遅れにもなってしまうこともあります」

 葛西も今年は3~4着作ったというが、W杯を転戦している頃は開幕戦前から2着ずつ4回くらい新調し、世界選手権や五輪があればプラス4~5着くらい作っていたという。

「昨年の11月スロベニア合宿に行った時に、以前一緒に試合をしていたロベルト・クラニエッツが今はスーツを作っているので、『俺のスーツを作ってくれ』と頼んだんです。

そうしたら作業場にズラッとスーツがあったので、スロベニアの選手たちは年間何本作るのか聞いたら各選手20本以上だと言っていました。やっぱりお金があって、毎試合ほぼ新しいスーツで試合に出られるから強いんだなと思いましたね」

【問題はスーツではなく、身体測定】

 高梨沙羅のW杯蔵王大会の失格で話題になった計測問題も、葛西は「正確に計ったら全員失格になると思います。だから本当に(高梨)沙羅選手の場合はたまたまでしょうね」と言う。

 元々ジャンプスーツはすべて手作りで、厚い生地を体の形状どおりに正確に作れるわけでもない。「1cmくらい違うことはよくあるから、そこをたまたま計られたらアウトですよね」とも言う。

「でも一番の問題は、スーツというより最初の身体測定だと思いますね。チームごとに国際連盟の審判に呼ばれてショーツだけで仰向けに寝て、壁に足の裏をつけて身長をレーザーで計測するんですが、股下はそのあとに測る座高を引いて計算するから、股下を短くして浮力を受けやすくするために、座高を測る瞬間に膝を曲げたり首をかがめたりしてズルをするんです。『そんなことするんだ』ってくらいです。

 その測定も、複数の人が見ているなかでやれば、そんなズルはできないと思うけど、審判がひとりで計測するので、そういうこともできてしまう。試合の時もその数値を元にしてスーツを計測するだけだから、失格になることはない。それはもうみんなわかっています。だからまず、そこを正確にすることが必要だと思います」

 試合を見ていても、着地をしてブレーキングトラックを滑ってくる時に、股下の部分にかなり余裕があるように見えるのも、そういう理由だろう。だが、胴回りや太腿、腕などは試合時の測定でも審判はチェックをするという。手でその部分を摘まみ、大きくなっているなと思うと、スーツを脱いだ状態で測定してシーズン前に測った数値と違えば失格になる。

【公平性を求めるなら】

「一番誤差が出るのが、胸とお腹周りの数値ですね。お腹は計測の時に膨らませることができるし、胸も空気を吸えば大きくできる。審判もその部分にさわった段階でわかるから、あまりにも大きい時は脱がせて測定します。なかには公式練習や予選の時には『ここは大きいかもしれないから、明日までには直してこい』という審判もいますし。沙羅選手が蔵王では、スーツのお腹周りが2cm大きかったというけど、もしかしたら、蔵王では減量をしてお腹が減っている状態で測ったのかもしれませんね。

 無作為に抜き打ちで検査をするのは、やっぱりなかにはズルをしている選手もいるから、『お前ら気をつけろよ』というアピールだと思います。ただ、北京五輪の混合団体の時だけは違うでしょうね。あの時は沙羅選手だけではなく、ドイツやオーストリア、ノルウェーというメダル争いをするチームの女子選手が軒並み失格になっているので、何か大きな意図があったと僕は思っています」

 本当に公平性を求めるなら、事前の身体測定を厳格化するとともに、スーツを+0cmにするしかないと葛西は言う。そういう時が来て欲しいとしながら、さらに今の日本代表チームに向けては、こう続ける。

「今世界で戦えているのは陵侑だけという状態で、資金がないのでナショナル合宿や強化トレーニングができない状況です。各企業で強化はしていますが、方針を明確にした上でのナショナル合宿を増やしていかないと世界も見えてこないし、世界のトップレベルに達する選手も増えてこない。スーツへの早い対応も含めて、活躍する選手が出てきてスポンサーも集まり、それで得た資金を強化費にするようになっていかないと、日本チームのレベルも上がっていかないと思います」

 そのためには陵侑任せにするだけではなく、自分が早く代表チームに復帰しなければいけない。そういう向上心を含んだ熱い気持ちは、50歳の今も衰えてはいない。

profile
葛西紀明(かさい のりあき)
1972年6月6日生まれ。北海道・下川町出身。オリンピックには1992年アルベールビル大会から2018年平昌大会まで8大会に出場し、2014年ソチ五輪ではラージヒル個人で銀メダル、団体で銅メダルを獲得。W杯の個人出場回数は569回でギネス記録となっている。所属する土屋ホームでは、2009年から選手兼監督として小林陵侑や伊藤有希とともに世界を目指している。