「けっこう、極めるタイプなんですよ、なんでも」
今年10月上旬。東京・有明コロシアムの最前列には、テニスの試合を食い入るように見る葛西紀明の姿があった。
葛西が観戦していたのは、東レ・パンパシフィックオープン。自身もテニスを頻繁にプレーし、この大会で引退した土居美咲らとも親交のある「ジャンプ界のレジェンド」は、上達の手がかりをひとつも見逃さんとするように、選手の一挙手一投足に目をこらしていた。
現在51歳──。30年以上に及ぶキャリアのなかで、3つのオリンピックのメダルを獲得した彼は、他競技の観戦に何を思い、自身の未来に何を思い描くのか?
初めてジャンプ台に立った日のこと、ジャンプという競技の魅力、そして現役継続のモチベーションを語ってもらった。
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── かなり熱心に観戦されていましたし、葛西選手ご自身も本格的にテニスをされていると聞きました。テニスを始めたきっかけは?「スポーツは昔からなんでも好きで、始めると本格的に教わって極めたいと思うんです。
テニスって、軽くやるだけでも、すごく難しいじゃないですか。テレビで見ている感覚だと『自分でもできそう』に思うんですが、実際にやってみたら『なんだこれ? テニスって難しいな』と思ったんです。
それで習いはじめたら、たまたま人の縁でインストラクターの方にマンツーマンで教えてもらう機会ができまして。そこでまた細かくコツを教えてもらったら、もう、その奥深さにハマっっちゃいました(笑)」
── テニスとジャンプ、反復練習の重要性ということで似た点もあるのでしょうか?
「そうですね、ジャンプは小さい頃からやらないと絶対にできない競技ですし、そのあたりはテニスと似ているかなと思います。
まずはジャンプ台がなくてはダメですし、加えてジャンプって、1日に10本から20本ぐらいしか練習できないんです。特に僕が子どもの頃はリフトもなかったので、飛んだら自分で登っていくので限界がありました。
やっぱり練習量という部分に関しては、ジャンプは相当にハードルが高いし、うまくなるのに何年もかかる。すごく特殊な競技だなと思うし、僕が今までいろいろやってきたスポーツのなかでも、ジャンプが一番難しいです」
── 葛西選手ご自身は、何歳頃からジャンプの練習をはじめ、どのように上達していったのでしょう?
「もちろん最初は、大きなジャンプ台からは飛べないですよね。
僕が最初に飛んだのは、小学3年生の時。5メートルとはいえ、やっぱり怖いんですよ。それこそ何百本も飛んでいるうちに、だんだん恐怖心もなくなってきて、ようやく思いっきり飛べるようになる。
すると今度は、20メートル級の台に移行します。
── 雪のない期間は、普通の山でジャンプの練習をするのですか? あるいは、ほかのスポーツをトレーニングとして取り入れるのでしょうか?
「若い頃の僕は、冬場以外は試合でしか飛ぶことはなかったです。ふだんは陸上部でマラソンをやっていました。ですから、ずっと走っていましたね。『クロストレーニング』という概念にはまだ及んでいなかったと思いますが、ジャンプ選手はみんな球技などもやっていました。
それをやることによって、いろんな反応や判断力などが身につくんじゃないかなと思っています。僕は今、土屋ホームの監督もやっているので、チーム内ではいろんな競技をやりますし、ほかのチームもバレーボールとバドミントンくらいはやっていると思います」
── ご自身の経験では、他競技をプレーすることがジャンプにどう生きていると感じますか?
「瞬発性だったり持久力は、陸上で養えたと思います。ジャンプもツアーを転戦するので、年間を通して戦える体力がないとダメだと僕は考えています。
あとは、けっこう大きいのが判断力。テニスなどの球技ですと、どこにボールが飛んでくるのかを予測し動きますが、そういう訓練はすごく大事だなと思います。
ジャンプもあの一瞬で、いろいろ考えなくてはならない。
── ジャンプは一瞬で終わる競技という印象がありますが、持久力はかなり必要なのでしょうか?
「若手はたぶん、そう思ってないかもしれないですね。『そんなに毎日、走ってどうすんだ?』みたいに思っているかもしれないです。けれど僕のなかでは、やっぱり持久力もそうですし、体力は絶対に重要と思ってトレーニングしています。年間のどこかで疲れることや体調を崩したりは絶対にあるので、体力をつけなくてはならない。
さらに長距離を走ることは、メンタルトレーニングだとも思っています。走りながらでもいろんなことを想像したり、考えたり、イメージを作ったりできるので、そのへんはもう一番大事なことだなと思います。
それを大事だと思ってなかった若手たちが体力切れしているのを見ると、『ほらなっ』って思います(笑)。まだまだ足りないから、そこが違うんだと思います」
── そのトレーニングの成果もあり、葛西さんはこれだけ長いキャリアを誇り、『レジェンド』と呼ばれています。どのような目標やモチベーションを抱き、飛び続けているのでしょうか?
「はじめは『オリンピックの金メダルを絶対に取りたい』っていう思いでやっていました。もちろん今でも、その気持ちに変わりはないです。ソチオリンピックで銀と銅メダルを取った時も、自分のなかでは『悔しかった、金メダル取りたかった』っていう気持ちではあったんです。
ただ、日本に帰ってくると......それこそ空港や駅など、どこに行っても『レジェンド、レジェンド』って声をかけてもらえるようになったんです。この歳で頑張っているというのが、刺激になると。一般の方からも『仕事が頑張れます』という言葉をかけてもらえることが、めちゃくちゃ多いんですよ。
それがなんか、すごくうれしくて。金メダルも取りたいけれど、今は多くの方に応援してもらえることのほうが、なんか、やり甲斐がある気がしてきて。僕がこの歳で頑張ることで、多くの人が元気になるんだなって。みんな元気になって、そう言われることで僕もまた頑張れるという、相乗効果がすごくあるんです。
だから、まだ辞めたくないな、やめる必要ないなって思っています。別に痛いところがあるわけでもないし、辞めたいとも思わないし、体の衰えも感じないし、これはもう辞めなくていいんじゃないかなって。サッカーのキングカズさん(三浦知良)が56歳の今も現役を続けて、道を作ってくれている。その道を、僕も歩めたらなと」
── 現役や引退など、そのような線引きも、あまり意識されてない感じですか?
「そうですね。よく『勝って格好よく辞める』みたいなことを言う人もいますよね。でも、格好よくても悪くても、選手を目いっぱい続けて、自分の目標や夢をあきらめず追っていく......そんな選手は、たぶん、世界に数えるくらいしかいないと思うんです。カズさんもそうだし、僕もそうだと思いますし。
こういうふうに、50歳を超えても、60歳近くになっても頑張っている選手のことは、日本以外の国の方たちも、絶対に応援してくれるんですよ。その応援の期待に応えることは、ちょっとやっていきたいなと思います」
── 今の話につながるのかもしれませんが、葛西選手といえば、金色の朱雀ヘルメットなどのファッションでも有名になりました。多くの人に見てもらえる競技者でありたい、あるいはジャンプという競技の人気を上げたい、という思いもあるのでしょうか?
「そういう思いは、ありますね。やはり日本ではまだ、ジャンプはなかなかお客さんが集まらない。ヨーロッパでは来るんですけど、日本では少なくて。オリンピックで金メダルとか取れると話題になってお客さんも集まってくるんですが、ワールドカップで優勝したくらいだとお客さんも集まってこない。
スター選手が数人しかいない、ということもあると思います。女子なら(高梨)沙羅ちゃん、男子なら小林陵侑がいますが、そういうスターがもっと増えていけば、盛り上がってくるとは思っています。
スキー連盟やいろんな方たちが盛り上げようと苦労しているんですけど、やっぱり一番、頑張るべきは選手だと思うんですね。そのためにも、僕がこの歳でもっともっと活躍できたらな、とは思っています」
── 最後に。ジャンプの魅力とは、やる競技、そして見る競技として、それぞれどういうところでしょう?
「一番は、一般の方にはできない競技だという点であり、ジャンプ選手はその点を誇りに思ってやっています。一歩間違えば間違いなく大ケガする競技ですし、そのなかで恐怖を克服し、豪快に綺麗に飛んでいく姿を目の前で見てもらえると、本当にテレビとはまったく違うんですよね。
生で見に来てくれた方から必ず出てくる言葉が『テレビと全然違う。すごい!』なんです。ですから僕も、そのすごさをもっと極めていき、その姿を多くの方たちに見に来てもらいたいと思っています」
<了>
【profile】
葛西紀明(かさい・のりあき)
1972年6月6日生まれ、北海道上川郡下川町出身。16歳時の1988年より日本代表として世界各国を遠征し、1992年のアルベールビル五輪を皮切りに史上最多8度の冬季五輪に出場。2014年ソチ五輪での個人ラージヒル銀、団体ラージヒル銅はスキージャンプ競技史上最年長メダリスト記録。現在は選手兼監督として土屋ホームに所属。身長176cm、体重59kg。