篠塚和典が語る巨人の野手 後編
若手・新戦力と「セカンド問題」
(前編:「浅野翔吾は最初から一軍レギュラーで使ってほしい」ドラ4・門脇誠も高評価>>)
巨人の不動のセカンドとして長く活躍し、打撃コーチや内野守備・走塁コーチも務めた篠塚和典氏に聞く巨人の野手。浅野翔吾らルーキーについて聞いた前編に続き、後編では現役ドラフトで加入したオコエ瑠偉や、飛躍が期待される高卒3年目の秋広優人、長らく固定できていなかった巨人のセカンド問題についても言及した。
現役ドラフトで楽天から巨人に移籍したオコエ瑠偉
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――昨年の現役ドラフトで楽天から加入した、オコエ瑠偉選手の印象はいかがですか?
篠塚和典(以下:篠塚) 楽天時代の彼をそれほど見ていたわけではありませんが、宮崎のキャンプで最初に見た時に感じたのは、練習に対する姿勢が「のんびりしているな」ということです。
――どういったシーンを見て、そう感じられましたか?
篠塚 プレーだけではない「動き」です。移動などでのパパッとした素早い動き、ちょっとした場面での挨拶などが、私が見た限りでは見られませんでした。
プレー面では足は速いし、肩も強い。なので、本人がしっかり野球に打ち込んでいけば、ポテンシャルが高いので成長が楽しみなのは間違いありません。オープン戦でも、ある程度の結果を出していますしね(3月22日時点で12試合に出場し、11安打、打率.333)。
巨人は他のチームと違って、周囲にいるメディアの人数が圧倒的に多いですし、常に見られている感覚があります。そういうものを逆にどんどん意識しながら、自分を奮い立たせてほしいですね。
――高卒3年目、身長2mの秋広優人選手はいかがでしょうか?
篠塚 ボールを遠くへ飛ばす能力はあると思いますが、バッティングはやはり確率です。フリーバッティングのボールではなく、"生きた球"をしっかり飛ばす確率を上げなければいけません。彼のバッティングには欠点がいろいろありますが、一番の課題は「スイングスピードが遅い」ということです。
身長が高くてリーチが長いという特徴を、どう生かしながらヘッドスピードを出していくかを考えなければいけません。
――脇を締めるイメージですか?
篠塚 そうですね。そういう意識でスイングしたほうが、ヘッドスピードは速くなるんじゃないかと。今は「自分の手も含めて長いものを振っている」という感じがします。ボールに向かってバットを出そうと思ってはいるけど、ヘッドスピードが遅くて「なかなかバットが出ていかない」という感覚なんじゃないかと思うので、改善していってほしいですね。
――続いて、巨人のセカンドについてお聞きします。昨シーズンは、吉川尚輝選手が132試合に出場(二塁手としてスタメンで120試合以上に出場したのは仁志敏久氏以来17年ぶり)しましたが、長く固定できていなかった理由はどこにあると思いますか?
篠塚 その間にセカンドに入っていた選手は、単純に「安定性がなかった」ということでしょう。チャンスをもらったのに、自分のものにできなかったということに尽きます。ちょっとは打つけど、何試合かすると打てなくなる。その繰り返し。それで他の選手を入れると、しばらくはいい働きをするけど不調になって、また代える。
首脳陣からしたら、まずは「そこそこ」やってくれればいいんです。打つ、走る、守る、の3つとも平均でいい。見た感じとして「順調にこなしてくれているな」という選手であれば続けて起用していこうと思えるのですが、近年セカンドを守っていた選手の多くは波が激しすぎるんです。
走塁は失敗するし、守備でもボーンヘッドをする。バッティングも昨日と今日ではまったく別人になってしまう。
――チャンスを与えられた選手が、それを活かせていない?
篠塚 若い選手たちは、あれだけチャンスをもらっているわけですから。最近で言えば、中山(礼都)あたりもそう。ルーキーの門脇(誠)の存在が、変わっていくきっかけになればいいなと。
若林(晃弘)もセカンドを守れますが、彼に関してはオールラウンダーでいいと思います。
吉川も、1年を通して結果を出したのは昨シーズンが初めてくらいですよね。昨年のような働きを、3年間は続けてほしいです。
――昨シーズンのような成績を3年続けて、初めてレギュラーと言える?
篠塚 任せられるかな、という感じになるでしょう。ただ、彼はポテンシャルが高いですから、もっといい成績を残していけると思いますし、そうなってもらいたい選手です。
【プロフィール】
篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番打者などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。