坂口智隆インタビュー前編(全2回)

 大阪近鉄バファローズ、オリックス・バファローズ東京ヤクルトスワローズと3球団で通算20年間プレーした坂口智隆氏は、2022年シーズン限りでユニフォームを脱いだ。

"最後の近鉄戦士"であり、ヤクルトの高津臣吾監督いわく「なんとなく昭和感の残る、痛くても痛いと言わない男」は多くの野球ファンに愛され、現役引退を惜しむ声は多かった。



 坂口氏は早速、古巣同士が激突した昨年の日本シリーズでテレビの解説を務め、セカンドキャリアをスタートさせた。また、独立リーグ・火の国サラマンダーズで臨時コーチを務めたり、少年野球で指導に当たったりと後進の育成にも力を入れている。

 さらには、6月21日に初の自著『逃げてもええねん 弱くて強い男の哲学』(ベースボール・マガジン社)を刊行。SNSのプロフィールの肩書きには、「起業家」とあり、順調に新しい人生を歩み出しているように思える。

 しかし、本人いわく「就活中です」とのこと。"起業家"坂口氏は自身のセカンドキャリアをどのように考えているのか。


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通算1526安打、ゴールデングラブ賞4回受賞の坂口智隆氏

●セカンドキャリアの肩書きは起業家

ーー昨年11月に坂口さんがInstagramのアカウントを開設した時に、肩書きが"起業家"とあって、驚きとともに何が始まるのだろうとワクワクもしました。

坂口智隆(以下、同) 手当たり次第、目標を書いてやれ、と思ったんです(笑)。こういうのをやってみたいなって思ったことは、全部やればいいと思っていて、三日坊主でもいいから、やってみることをテーマにしています。

 それで、自分がやりたいことが見つかればいいし、見つからなかったら、そのうち見つかるだろうというスタイルでいい。

 こんなことも仕事になるんやという気づきがある毎日なので、日々勉強です。でも、そういう学ぶ時間も大事やなって思いますね。パソコンを使ったこともなかったので、ノートパソコンを買って、コツコツとタイピングも覚えましたよ。



ーー書籍も出されて、野球人生を振り返ることで、いろいろと頭のなかが整理された部分もあったのではないでしょうか?

 本を出せたことはうれしかったですね。自分の人生を考えた時に、本を出せるような人間でもなかったし、野球をやってきてよかったなと思えることのひとつです。野球しかできなかったんですけど、その野球を続けてきてよかったなとあらためて思います。

●「仕事はあるのかなっていう不安は常にある」

ーー書籍の発売イベントでファンから「就活はどうですか?」と声をかけられていました。現役引退直後に比べて、セカンドキャリアのビジョンはだいぶ具体的になってきたのでしょうか?

 どうなんやろう......。不安だけは(引退直後と)変わらないですね。何ができんのやろうとか、それこそ、仕事はあるのかなっていう不安は常にありますよ。



 そもそも、どれくらい働いたら忙しいって言うんだろうか。忙しいの定義もわからない。一般的には、だいたい週2日は休みじゃないですか。自分も、それと同じくらいは働こうと思っています。

 野球の解説だったり、野球を教えに行ったり、そういう仕事はいただけるんですけど、野球以外のことも勉強したいので、いろんなことに手をつけてみたり、話を聞きに行ったりしています。

 それらがどう仕事につながってくるかはわかりませんが、本当に野球しかやってこなかったので、今はいろんなことが新鮮です。


 自分に何ができんのやろっていう思いはずっと持っていますが、いただく仕事だけじゃなくて、自分が仕事と思えば仕事となる、と考えていきたいですね。

最後の近鉄戦士・坂口智隆は起業家として「就活中!」 野球解説も書籍出版も釣りも「自分が仕事と思えば仕事になる」

2022年10月3日の引退試合

ーー野球に関する仕事が多いのは当然とは思いますが、スポーツ新聞では趣味の釣りの仕事もされていましたし、旅番組にも出てみたいとのことで。

 これをやりたい、体験してみたいと思ったことをどんどん発信するようにしています。いろんなところで「釣りが好き」と言いまくっていたら、新聞で仕事をいただけましたから(笑)。

 ソフトボールもそう。ずっと好きで見ていて、一度やってみたいと思っていました。
それで、女子ソフトのシオノギレインボーストークス兵庫に体験入部させていただいて、その縁でJDリーグの開幕戦では始球式をやらせていただきました。

 すぐに行動に移すのは難しくても、行動より先に口に出すことはできます。それで実現することもある。言葉にすることは大事だし、意義のあることだと思っています。そうやって言葉にしていけば、やることもなくならないですから。

●「~選手」と呼ぶマイルール

ーー現役引退してすぐの日本シリーズでは、いきなり解説を務めていました。解説の仕事ではどんなことを心がけていますか?

 やっぱり選手が主役ですから。

解説者が何を言ったって、現場で感じることとは絶対に違うことがあります。でも今年に限っていえば、僕は現役選手に一番近い解説者であることは間違いありません。なので、選手の視点に立って、伝えられたらなと思っています。

 現役の時は、プロ野球も野球のニュースもまったく見ていませんでした。自分の映像もあんまり見なかったくらいですから。でも解説などのプロ野球を伝える仕事をいただくようになってからは、見るようになりました。

 いろんな方が解説をされているので、試合を見るというよりも「解説を聞く」と言ったほうが正しいかもしれません。解説も人それぞれで、すごいなと思うことが多々あります。やっぱり勉強が大事ですね。かと言って、マネばかりでもいけないので、難しいところですけど......。

 あとは、どっちのチームも平等に語れるようにするとか、仲のいい選手でもあだ名で呼ばない、「○○選手」とつけるようにするとか、そういう小さいところですけど、それだけは守ろうっていうマイルールがあります。

ーー「選手」とつけるのは、選手へのリスペクトでしょうか?

 僕はそう思っています。僕はもうプロ野球の外の人間なんで、それをしゃべらせていただくうえでは、選手へのリスペクトは常に持っていたいと思います。

●夢は監督「ラクさせてあげる指導者に」

ーー指導される機会も増えていることと思います。スワローズファンからは「コーチとして戻ってきて」という声もかけられていました。

 こればっかりは僕の力ではなんともならないですけどね(笑)。でも将来は監督をやりたいっていう夢もあります。しっかりと野球を勉強していこうと思います。

ーー書籍では、高校(神戸国際大付)時代の青木尚龍監督や近鉄時代の鈴木貴久2軍打撃コーチといった指導者との印象的なエピソードも多くつづられています。理想としている指導者像はありますか?

 理想像はひと言で言えば、"ラクにさせてあげられる指導者"になりたいです。野球って奥が深いスポーツなので、言っていることも難しくなってしまいがちです。それでにっちもさっちも行かなくなったことは、僕自身も経験しています。

 たとえば、ヒットを打てずに思い悩んでいたとします。でも、凡打にもいろんな意味があるんです。そういう考えにシフトできると、そのうち勝手にヒットが出始めるし、プレーにも深みが出てくると思うんです。

 僕はホームランバッターではなく、脇役というかつなぐ役でした。だからこそ、ひと言でハッと気づきを与えられる、気持ちをラクにさせてあげられる指導者になりたいですね。

インタビュー後編<村上宗隆、山田哲人の不調は「チームが成長するチャンス」 OB坂口智隆が最下位転落のヤクルトに「今はこういう時期」>

【プロフィール】
坂口智隆 さかぐち・ともたか 
1984年生まれ、兵庫県出身。神戸国際大付属高では2年時に春の甲子園に出場。卒業後の2003年、ドラフト1位で大阪近鉄バファローズ(当時)入団。2008年から4年連続でゴールデングラブ賞。2011年には全144試合に出場しリーグトップの175安打を記録。2016年に東京ヤクルトスワローズに移籍し、2022年シーズンをもって現役引退。現在は野球評論家として活動している。