今年のU18ワールドカップ決勝で対戦するなど、台湾は日本球界にとって馴染みのある国と言えるだろう。古くは郭泰源(元西武)や郭源治(元中日)、少し前なら陽岱鋼(元日本ハム、巨人)らがNPBで活躍した。

現役選手では、甲子園に憧れて高校入学時に来日し、今季まで西武で7年間プレーした呉念庭(ウー・ネンティン)がいる。

「日本と台湾の野球で違いを感じるのはプレースタイルですね。台湾では高校で卒業してアメリカに行く子が多く、帰ってきて台湾でプレーします。だから台湾のプレースタイルは、アメリカと日本の合体版みたいです。日本人のコーチもたくさんいて、アメリカと日本のいいところを取り入れながらやっている。それが棒球です」(呉念庭)

 棒球と書いて「バンチョウ」と読む。

それが台湾に伝わったベースボールだ。

 呉念庭が言うように、近年、台湾プロ野球で指導する日本人コーチが増えている。そのひとりが、今年から統一ライオンズに加わった玉木朋孝だ。

カープの若手を鍛えたノックの名手はなぜ鬼コーチに? 玉木朋孝...の画像はこちら >>

【日本はどの国よりも繊細な野球をしている】

 日本では広島やオリックスでプレーし、コーチに転身後は「ノックの名手」として知られた。それが渡台後、新たな代名詞のように言われていることがあるという。

「現地メディアに取材を受けると、『玉木コーチ、きつい』『厳しい』と言われるんです。でもプロなんで、きついなんて当たり前。

それなのに『コーチがきつい』とか言っているようでは、プロとしてまだまだです。正直、僕は日本の時の3分の1も厳しさを出していないです」

 玉木は昨季まで広島で守備・走塁コーチを12年間務めたあと、指導者としてのキャリアアップを目指して海を渡った。統一では二軍の守備コーチとして契約したが、春季キャンプ中に監督やコーチたちから「気づいたことをどんどん言ってください」と頼まれ、一軍に配置転換された。捕球やスローイングなど守備の基本はもちろん、走塁や打撃、バッテリーで気になったこともアドバイスしている。

 東京の修徳高を卒業後、広島、オリックスでプレーし、現役引退後は広島でコーチを務めてきた玉木にとって、野球のベースは日本で築き上げたものだ。当然、台湾のそれとは大きな違いがある。

「台湾の選手は、身体能力は高いけどそれを生かしきれていない。もっと頭を柔軟にして野球を深く覚えていけば、もっといいチームになっていけると思います。日本の場合、物事をどこまでも追求する習慣があるじゃないですか。でも台湾球界は、『このへんまででいいや』と成長を止めてしまうような考え方があると感じます」

 スモールベースボールという言葉に集約されるように、日本の野球は攻守で相手のスキを徹底的に突いていく。それは送りバントやヒットエンドランという采配の選択肢にとどまらず、ゴロゴーやピックオフプレーなど戦術の細部にまで根づく。いわば、日本球界のアイデンティティのようなものだ。

 日本で高校、大学、プロとプレーする一方、今年のワールド・ベースボール・クラシックWBC)に台湾代表として出場した呉念庭は両国の野球の違いについてこう語る。

「日本はどの国より繊細で、細かい野球をしている。そこは日本の強みでもあると思います。対して台湾は、そこまで細かい野球はしていない。日本は"何秒、何センチ"までこだわって野球をしています。台湾は逆にアメリカっぽいと感じますね。

思いきり振って、飛ばしていく。バントなど細かいプレーもやるけど、日本みたいに繊細な野球はそこまでしていないです」

【シーズン終了を待たずに契約延長】

 同じ東アジアに位置する日本と台湾だが、言語や文化が異なるのと同様、野球のスタイルも違う。日本の野球で育ち、今年から異国に身を置く玉木は、台湾球界は成長の余地が大いにあると感じた。そこでチームをもっと勝たせるべく、同僚のコーチに自身が果たすべき役割を宣言した。

「『私は鬼でいる』。台湾人の内野コーチにそう伝えました。

球団の台湾人コーチには、優しい指導者がほとんどです。ぬるいというか、緩い。でも鬼のようなコーチがいないと、チームは緩んでしまいます」

 玉木は台湾のプロ野球をベンチから見て、驚かされるプレーが少なくなかった。たとえば外野に長打が飛んだ際、カットに入る場所が正しくない内野手が少なからずいる。内野コーチが指摘すべきだが、ベンチにいなくて見ていないこともあった。

 また二盗された際、ふだんは膝を着けたままセカンドにスローイングする捕手が、イニング間の投球練習では立ってから投げていた。本来、試合中と同じように膝を着いたまま投げるべきだが、バッテリーコーチは目を離していて何も言わなかった。

 台湾人にはこうした"緩い"コーチも少なくなく、玉木が"鬼"になって各種のアドバイスをしているという。

「日本のように細かい野球ができていないので、気づいたことを伝えています。日頃の練習から高い意識を持って野球をやってほしい。そうしないと勝てません。『こういうことが大事なんだよ』というものをもっと教えてあげたいです」

 今季、統一は前期優勝を果たした。守備コーチの玉木は一緒にビールかけをして祝した。後期終了後のプレーオフで敗れて台湾シリーズ進出はできなかったものの、一定の成果を残せたと言えるだろう。

 玉木は渡台1年目で"鬼"として指導してきた手腕が評価され、シーズン終了を待たずに、2025年まで2年の契約延長が発表された。玉木によれば、監督やヘッドコーチが球団上層部にかけ合ってくれて決定したという。

「自分が異国の地でコーチとしてどこまでやれるのか、チャレンジです。野球がとにかく好きで、真摯にやってきました。そうしてチームに評価をいただいた以上、このチームをなんとか勝たせたい」

 来年から、肩書きを守備コーチから総合コーチに変えてもらうという。つまり、目を配り、口を出す範囲が広がるわけだ。役割の変更は、球団の評価や期待を何より表わしていると言えるだろう。

 言葉が通じない異国で、日本で磨き上げた野球をどのように伝えていくか。今後も玉木はより厳しく、細かく指導していくつもりだ。


玉木朋孝(たまき・ともたか)/1975年6月13日、東京都生まれ。修徳高では高橋尚成らとともに3年夏の甲子園に出場。93年のドラフトで広島から3位指名を受けて入団。二軍生活が長く、99年に一軍初出場を果たすも結果を残せず、翌年自由契約となりオリックスに入団。おもに代走、守備固めとして存在感を発揮。05年に現役を引退し、広島のスコアラー、コーチを歴任。「ノックの名手」として多くの選手を育ててきた。23年に台湾プロ野球の統一ライオンズのコーチに就任した