【村上佳菜子は練習で号泣】

 2月9日、博多。高橋大輔が総合プロデュースした『滑走屋』は、単純なアイスショーから脱却していた。新感覚の舞台、ダンス、劇に近いか。

苦心惨憺(たん)の産物だろう。

高橋大輔に若手からひと言「ダンスがうますぎてマネできない」 ...の画像はこちら >>
「(この1カ月の稽古で)大ちゃん(高橋)が(振り付けなどで)寝られない姿を間近で見てきました。一方でショーを経験したことがない(アンサンブル)スケーターたちが、目の下にクマをつくりながら格闘し、できないながらも必死に取り組む姿があって。メインのスケーターもそれに刺激を受け、学ぶことがたくさんありました。リズムの取り方や表現など一人ひとりレベルアップしてきたはずで、絶対にこれを成功させたいって思っています!」

 2014年ソチ五輪の日本女子シングル代表で、今回のメインスケーターのひとりである村上佳菜子は、公演開幕前日のゲネプロ(通し稽古)の囲み取材でそう明かしている。

「昨日、前半を通しでやっただけで、"やっとできた"って号泣してしまったほどです」

 村上は感極まっていたが、リンクに立つ者たちも一緒に心が動く作品と言えるだろう。

 "座長"である高橋は、いかに道標となってスケーターたちを導いたのか?

【シンプルにスケートを見せたい】

「テーマは自分のなかでつくらない」

 今回、高橋はそう語っている。感性の表現者の真骨頂だろう。フィギュアスケートそのものを見せる、という矜持か。

「(スケーター全員が)黒い衣装なのは"強い職人"のイメージで、そこに色をつけたくなくて。シンプルにスケートを見せたかったんです。だから、曲に合わせた衣装というのではありません。曲も緩急を大事に選びました」

 舞台の解釈は、観る人にゆだねられている。

現役時代から、高橋の滑りは自由で解き放たれていた。だからこそ、マイナースポーツを人気スポーツに変えられたのだ。

【村元哉中は色気が止まらない】

 今回の『滑走屋』も、じつに詩的である。シームレスに物語がつながっているようであり、同じ体内でうごめく細胞の動きのようにも思える。無限の連続性のなかで生命の強さを感じさせ、圧倒的に感情を揺さぶる。

 たとえば、高橋がアイスダンスでカップルを組んだ村元哉中のソロは必見である。

 雨に濡れた景色が映し出されるような叙情的ナンバーが続いたあと、村元はまるで妖艶な生きものが憑依したように、艶かしく身体をくねらせる。

エロティックな旋律を全身で感じ、髪を振り乱し、うつろな目で、色気が止まらない。スパイラルは挑戦的で、まぶしいスポットライトを浴び、匂いも視覚も音も一緒くたにしたように五感を暴走させていた。

 高橋の世界観を最も肌で感じているのが、戦友として強い絆で結ばれる村元なのだろう。

【高橋大輔の踊りは「うますぎてマネできない」】

 同時に、若いスケーターも大いに刺激を受けていた。

「高橋さんの印象は、ストイックなイメージだったので、イメージどおりです(笑)。ふだんは気さくで優しいんですが、練習ではちょっと厳しめで、それが空気を引き締めて、いい雰囲気になっていました」

 福岡出身のアンサンブルスケーター、江川マリアは言う。昨年末の全日本選手権で11位に入った期待の新鋭だ。

「2年前、福岡で練習していた頃、(老朽化などで今回の会場が)閉鎖になって。それが再開し、こうしてアイスショーを開催できるようになって、(当時は)考えられないことだったのでうれしいです!」

 彼女は朗らかに言う。高橋が再起するリンクを今回の表現の場に選んだのは、立ち上がるエネルギーを自らの演技に転換してきた人生にも重なったからだろうか。

「(リンク閉鎖期間中は)1時間かけて、他のリンクへ練習に行っていました。それが(再開された)ホームリンクで、こんなすばらしいアイスショーをしてもらって」

 同じく福岡出身のアンサンブルスケーターの松岡隼矢はそう言いながら、報道陣の笑いも誘った。

「(高橋のイメージを)もう少し怖そう、と思っていましたが、違ったところを丁寧に、自分の体を動かして教えてくれて、わかりやすかったです。

でも、踊りがうますぎてマネできないのが......」

 苦労するのは当然で、高橋のダンスは格別である。

【新しいスケートの見せ方を探求】

 今回のショーでは、アンサンブルスケーターに混ざって、彼らをけん引するシーンもあった。スケーターが持つ技量を最大限に引き出していた。

「陸でできるのに氷の上でできない、氷の上でできるのに陸でできない(動き)というのはあります。でも、ふたつが融合した新しいものがたくさん生まれたなって」

 村上はそう言って、『滑走屋』で起きたカタルシスを説明した。それは表現者である高橋が、スケート界に起こそうとしている革新の一部だ。

「曲、(場面の)転換、緩急をたくさん使い、休憩なく走り回って次に行って、という75分で。ただ、そのなかで気持ちは切り替えて表現しないと、ひとつの作品がバラバラになってしまう。そこでの気持ちの作り方の大切さも気づかされました。フロアから(氷の上に)下ろすことで生まれる新しいスケートの見せ方、それを一人ひとりが9回の公演が終わるまでにも見つけていければ」

 ショーのフィナーレ、光に満ちたリンクでスケーターたちは表情を輝かせる。時代を切り拓いたフィギュアスケーター、高橋の世界観が濃厚に映し出されるはずだ。

『滑走屋』は、オーヴィジョンアイスアリーナ福岡で2月10日から12日までの3日間、9公演が予定されている。