「PLAYBACK WBC」Memories of Glory

 昨年3月、第5回WBCで栗山英樹監督率いる侍ジャパンは、大谷翔平ダルビッシュ有、山本由伸らの活躍もあり、1次ラウンド初戦の中国戦から決勝のアメリカ戦まで負けなしの全勝で3大会ぶり3度目の世界一を果たした。日本を熱狂と感動の渦に巻き込んだWBC制覇から1年、選手たちはまもなく始まるシーズンに向けて調整を行なっているが、スポルティーバでは昨年WBC期間中に配信された侍ジャパンの記事を再公開。

あらためて侍ジャパン栄光の軌跡を振り返りたい。 ※記事内容は配信当時のものになります

 1次ラウンドを4戦全勝で突破、準々決勝に勝ち上がった日本代表。その原動力となったのは、"勝利とロマンの二刀流指揮官"、栗山英樹監督ならではの、ロマンに裏打ちされた3つの決断にあった。その3つを紐解いてみよう。

日本をWBC1次リーグ全勝突破へと導いた「勝利とロマンの栗山...の画像はこちら >>

1 中国戦の先発に大谷翔平を起用したこと

 世界一奪還を目指す日本代表、その初戦の相手が格下の中国となれば、その試合の位置づけにはいろんな考え方がある。1次ラウンドの4試合にはMLBのダルビッシュ有と大谷翔平、NPBの山本由伸と佐々木朗希の4人が先発することは決まっていた。では、彼らをどういう順番で起用するのか。

栗山監督はそれぞれに理由をつけて、ローテーションを決めた。

 最大の敵となる韓国には安定感のあるダルビッシュ、東日本大震災から12年となる"3・11"に組まれたチェコ戦には被災して辛い思いを背負ってきた佐々木、準々決勝進出がかかる可能性が高かったオーストラリア戦には"日本のエース"山本──。

 そして初戦となる中国戦には、世界一に向けて勢いをつける起爆剤としてもっとも相応しい大谷を選んだのだ。栗山監督と大谷は本番を迎えるまでにずっとやりとりを重ねてきた。そして大谷はWBCを前に「入りとして大事なのは、まず中国戦かなと思っています」「一番大事なのは中国戦です」と話している。

 中国戦が一番大事だというのは日本代表の中での共通認識で、しかも中国の選手についてはデータもないし、やってみないとどうなるかがわからない、というところも栗山監督と大谷は共有していたのである。

そして大谷はこう続けた。

「僕の認識としてはやっぱり初戦が大事だよね、ということしかありません。すべては初戦から始まりますから、初戦が一番大事なんです」

 だから栗山監督は中国が格下であるということをまったく厭わず、大谷を"先発、3番DH"の二刀流として初戦のフィールドへ送り出したのだ。バッターとしてタイムリーを含むヒット2本を放ち、ピッチャーとしては4回を投げてヒット1本、5奪三振の無失点。大谷は試合後のお立ち台でこう言った。

「(日本代表のユニフォームは)僕自身、本当に特別ですし、相手の中国も素晴らしい野球をやっていて、本当に中盤、わからなかったゲーム(6回まで日本が3−1とリードは2点)だと思うので、全員で勝つことができて、すばらしいゲームだったなと思います」

 4連勝への流れをつくるためには、中国に勝つだけでなく、どうやって勝つかが求められていた。

栗山監督は日本代表の戦い方を大谷によって示し、大谷はこの試合の勝ち方でWBCの空気を見事に支配してみせたのである。

2 ラーズ・ヌートバーを日本代表に加えたこと

 1番センター、ラーズ・ヌートバー──1次ラウンドの4試合、彼はすべての試合でヒットを放ち、日本代表の切り込み隊長としてチームを準々決勝へ導いた。

 そもそもWBCの出場資格に照らし合わせると、ヌートバー以外にも日本代表に選ばれておかしくないメジャーの選手は何人かいた。クリスチャン・イエリッチ(ブリュワーズ)、スティーブン・クワン(ガーディアンズ)、ケストン・ヒウラ(ブリュワーズ)、アイザイア・カイナーファレファ(ヤンキース)......誰もが打診段階では「喜んで出ます」と言っていたそうだ。そんななか、今大会のルール上、すべての条件をクリアしたのはヌートバーだけだった。栗山監督はこう言っていた。

「日本の選手を育てるためには機会を与えなきゃ、ということも考えた上で、本気で勝つつもりならそういう(日系の)選手を入れていいと思っています。

日本の野球はグローバル化していかなければならないし、このWBCで日本と縁のある選手を巻き込むことで、野球を日本から世界へ広げていくことも僕の使命なのかなと思っていて......」

 そんな時、栗山監督に一通のメールが届く。送り主は斎藤佑樹で、彼は1枚の写真を添付して栗山監督にメールをした。写っていたのは高校時代の斎藤、田中将大らに囲まれたひとりの少年だった。斎藤が選ばれた高校ジャパンのアメリカ遠征の際、チームメイトだった船橋悠(早実)がホームステイしていたのが9歳になろうかというヌートバーの家だった、と......栗山監督が続ける。

「こういうのって縁なのかなと思うじゃないですか。自分がやらなきゃいけないことは、野球にどんな恩返しができるかということだから、こういう縁は大切にしないといけない。

この写真を見た瞬間、ああ、これは野球の神様が決めたことだったんだって、胸がときめく感じがありました。ヌートバーはお父さんがオランダ系のアメリカ人ですから、オランダから出るという選択肢もあったかもしれません。それでも、子どもの頃に佑樹たちと出会ってからの夢だからと言って、日本代表として出たいと言ってくれたんです」

 今でこそ、もう忘れてしまったかもしれないが、選ばれた当初は「ヌートバーって誰だ」「メジャーでもそんなに抜きん出た成績じゃない」「日本の選手を選んだほうがいい」という声が上がっていた。

 しかし栗山監督はそういうネガティブな発想に臆することなく、日本の野球を前に進めるためにヌートバーを日本代表に加えた。その決断もまた、4連勝という結果をもたらした源だったことは疑いようがない。

3 村上宗隆を4番から外さなかったこと

 苦しみ続けた1次ラウンド。

ストライクを見逃しては天を仰ぎ、チャンスで打ち上げてはガックリと下を向く。日本代表の4番、村上宗隆は4試合で14打数2安打、打率.143、打点2、7三振、5四球、初ヒットが出たのは15打席目、ホームランはゼロ──国際試合のストライクゾーンに戸惑い、打ち方の感覚に迷い、村上はデフレスパイラルに陥ってしまった。

 前を打つバッター(大谷翔平)が敬遠されて自分で勝負されたり、結果が出ないことを周囲に気遣われたり、23歳の三冠王は初めてのWBCでこれまでに経験したことのない屈辱を味わわされた。村上はこう言っている。

「(気遣われるのは)すごく嫌でしたね。チーム(ヤクルト)でもそういうことを味わうことはないですし、逆にね、『打てよ』とか、そういった言葉をかけられたほうが僕自身はラクになれる部分もあったと思うんですけど、でも、これも経験なので......僕にしかできない経験だと思いますし、プラスにとらえて頑張りたいと思います」

 壮行試合、強化試合から続く不振に、栗山英樹監督は一度だけ、動いた。古巣の本拠地での試合だったことから4番起用の大義名分が立つ京セラドームのオリックス戦で吉田正尚を4番に据え、村上を6番に置いた。

 本番前、最後となったその試合で村上はホームランを放ち、その後は3三振を喫する。しかし、その試合の結果にかかわらず、栗山監督は本番では村上に4番を任せるつもりだった。栗山監督は以前、こう話していたことがある。

「打てないなら打てないなりに、4番の仕事をしろということ。4番の仕事って何だと思いますか? それはチームを勝たせること。ヒットが打てなくても、チームが勝てば4番は仕事をしたことになります。だから僕は、4番を任せるバッターには常に『おまえを外すつもりはないよ、そこから逃げずにチームを勝たせてくれ』と言い続けてきました」

 そして、日本代表は1次ラウンドを全勝で通過した。何がどんな作用を果たしたのかはともかく、村上が4番を打つチームは4試合、一度も負けなかったのだ。栗山監督が最後まで我慢したのは、村上の才能をわかっていて、そこまでの努力とか向かっていく姿勢を見てきたからで、そういう監督の姿をほかの選手たちは見ていたはずだ。

 以前、大谷が話したように栗山監督の求心力は「ひとりひとりの選手と対話をして、一緒にプレーしたことがない選手も数日でお互いを知ることができる雰囲気を持っている」ところにあり、だからこそ指揮官は選手を信じ、不振に陥った村上を4番から外さなかった。その決断を、1次ラウンド全勝突破を叶えたロマンあふれる3つ目の理由として挙げておきたい。