大谷翔平を取り巻く問題へのアメリカ人記者の視点 「わからない...の画像はこちら >>

大谷翔平とは何者か?」アメリカ人記者4人の視点:前編

ロサンゼルス・ドジャースは順調に勝ち星を重ね、大谷翔平も待望の移籍後初本塁打を放ち、そのパフォーマンスで人々の注目を集めている。一方で水原一平・元通訳の違法賭博問題について、明らかになっていない部分も多いなか、大谷をこれまで取材し続けてきたアメリカ人記者4人は、どのように今回の問題、そして大谷翔平を見ているのか。

記者それぞれの背景、そして論調を紹介する。

【「信じたいが、雲はすぐには晴れない」】

 米国のスポーツライターは、大まかに2種類に分けられる。ひとつは日々現場に出る番記者。監督、選手と身近に接し、信頼関係を構築し、彼らの肉声を基に記事を書く。もうひとつはコラムニストで、現場には来たり来なかったり。ファン目線に近く、選手を賞賛もするが、叩くときは容赦なく叩く。忖度もしない。

そのため、現場の選手は時にコラムニストの記事に激怒する。間に入って選手をなだめるのも番記者の役割だ。

『ロサンゼルスタイムズ』紙のベテランコラムニスト、ビル・プラシキ記者が大谷翔平の賭博スキャンダル会見を受けて、3月27日のコラムで「大谷を信じられるのかどうか、自分はわからない」と綴ったのは、想定された内容だった。

「笑顔でドジャースタジアムのフィールドを歩く大谷を見ると、彼のことを信じたいと思う。野球界で最も偉大な選手が彼のイメージと同じくらい純粋で、世界的なスーパースターが見かけと同じくらい名誉ある人物であると信じたい。だが、まだまだわからないことがたくさんある。

大谷が賭博の問題を抱えているのか、それとも金銭管理の問題なのか。それとも両方なのか? 大谷は自分自身を守るために最も近い同僚を裏切るほど悪賢いのか、それとも同僚に数百万ドルを騙し取られるほど単純なのか?」

 そして「シーズンは始まったが、これで終わりではない。以前は清廉潔白だった大谷に依然として雲がかかっており、みんなが彼のことを信じたいとしても、それはすぐには晴れない」と締めくくっている。

「わからない」というのは、言葉の壁が大きい。

 筆者も長年MLBを見てきたが、野茂英雄がメジャー挑戦をした1995年以降、米国の野球記者も日本人選手を理解しようと努めてきた。だが、常に言葉の壁があったし、文化的にも理解できないことが少なくなかった。

とりわけ野茂の場合は、口数が少なかった。

 イチローの1年目(2001年)、『ロサンゼルスタイムズ』紙の高名な野球記者ロス・ニューハンが度々シアトルを訪れていた。前年に野球殿堂入りも果たしており、筆者も尊敬していたから、彼がマリナーズのイチローをどう描くかがとても興味深かった。

 しかしながら、言葉の壁のせいだったのか、ルー・ピネラ監督やチームメイトなど周辺取材がほとんどで、これはという内容ではなかった。薬物問題が放置され、偉大な万能選手バリー・ボンズでさえ本塁打に昏倒してしまっていた時期だけに、米国球界のご意見番の目にイチローの野球はどう映ったのか、そしてイチローは彼の質問にどんな言葉で返したのか、そんな記事を読んでみたかったと今でも思う。

 あれから23年経った今、全米の人たちが大谷に興味を抱き、もっと深く知りたいと欲している。

二刀流でファンの度肝を抜き、2度のア・リーグ満票MVPで押しも押されもせぬ看板選手となった。当然、米国のスポーツライターたちもヒーローの実像を描こうと努力している。しかしながら簡単ではない。

【"ひとりの大谷"への違和感】

 ティム・キヨン記者は、スポーツ専門局「ESPN」電子版などに寄稿するベテランだ。1996年、コート内外で異端ぶりを発揮したNBAスター、デニス・ロッドマンを描いた『Bad As I Wanna Be』(邦題『ワルがままに』)は話題作となり、ベストセラー入りした。キヨン記者は洞察力に富み、スポーツの舞台裏や選手の人間性に焦点を当てた記事を得意とする。

 筆者がキヨン記者と話すようになったのは2018年、大谷のメジャー1年目のことだった。彼は大谷の特集記事のために、日本に足を運び、滞在し、花巻東高校(岩手)の佐々木洋監督、北海道日本ハムファイターズ栗山英樹監督、吉井理人投手コーチ(現・千葉ロッテマリーンズ監督)らに会ってインタビューをした。

 日本語は話せないが、文化を理解し、大谷が育ってきた環境を解き明かそうと、真摯な姿勢で取材をしていた。2021年、2023年もESPNで大谷について長い記事を書いており、今回も3月27日に長文の記事が掲載された。その記事では、大谷の成功を支えてきた水原一平通訳が突如消えてしまったことへの違和感に焦点が当てられていた。

 米国開幕前、オープン戦恒例のロサンゼルスのフリーウェイシリーズ(本拠地が高速道路で往来できる場所に位置)で、ドジャースはエンゼルスと対戦した。

その試合前、大谷はひとりでフィールドを横切り、元チームメイトたちに挨拶に行った。

 それがキヨン記者にとってはニュースだった。過去6年間は水原なしの大谷は想像できなかったからだ。通訳であるだけでなく、練習相手にもなり、スケジュールも管理し、あらゆる世話をした。大谷のリズムは水原のリズムで、選手用ラウンジの同じテーブルで食事をし、大谷が昨季運転免許を取得するまで、毎日ふたりで球場に通った。

 エンゼルスのフィル・ネビン監督は以前「翔平は毎朝目を覚まして、どうすれば地球上で最高の野球選手になれるかを考えている」と説明していたように、それは水原がすべての仕事をこなしてくれるからこそ、余計なことで他者と絡む必要もなく野球に集中できた。

 2018年のメジャー1年目、多くの関係者が「いずれ二刀流を断念しどちらかひとつを選択しなければならないときが来る」と決めつけていた。だが、大谷は不可能を可能にし、2021年から2023年まで野球史上最高のパフォーマンスを続けた。それを支えたのは水原だった。

 エンゼルスのチームメイトたちは、大谷が賭けをするとは信じられないし、水原がお金を盗んだことも信じられないと証言する。しかしながら実際のところ、彼らも大谷について多くを知らない。大谷は禁欲主義的にホテルから球場に行き、球場からホテルに戻る生活を続けていたからだ。ふたりのパートナーシップは完璧に機能していたかに見えた。しかしスキャンダルが発覚、関係にピリオドが打たれた。

 大谷は会見で「僕自身も信頼していた方の過ちに悲しくショックですし、今はそういう風に感じています」と切り出した。そしてカメラを見つめながら、「彼が僕の口座からお金を盗んで、なおかつみんなにウソをついていた。結論から言うとそうなります」と続けた。

 キヨン記者は最も信頼し、一緒に成功してきた人物を失ったことについてどう感じているのか、直に質問したかっただろう。だが大谷は「これが今、お話できるすべてなので、質疑応答はしません」と打ちきっている。

後編につづく:大谷翔平の取材において「誰もが悩まされてきた」こととは?