堺東高校「公立1位から大阪1位」への挑戦(中編)
前編:「堺東の快進撃はいかにして起きたのか?」はこちら>>
「いま思うと、本当に甘い考えでした。社会人で厳しく鍛えられた野球を子どもたちに教えれば、もっと簡単に上達してチームも勝てると思っていたんです。
プレーヤーとして各段階のトップレベルで活躍してきた堺東の監督である鈴木昭広は、指導者として経験を積むなかで、公立校の野球レベルが思っていたよりも厳しいことを実感することになる。
久米田高校の次に赴任した堺工科高校では野球の指導に関わる機会はなかったが、2019年に堺東高校へ赴任した頃から、その差を強く自覚するようになった。そして、こう思うようになっていった。「野球ばかりやっていたら勝たれへんな......」と。
【プライドづくりで育む自信】
「最初の頃は、とにかく大会で勝ちたい、結果を出したいばかりで、技術を教えてうまくさせようと、そこにしか目を向けていなかったんです。でも、思うほどうまくもならないし、結果も出ない。それが以前ほど勝ちたい、勝ちたいと思わなくなっていたら、よくなってきたというか......野球以外のこともしっかりやるようになって、気がつけば野球でもだんだん勝負できるようになってきたんです」
野球以外──それは、春の大阪桐蔭戦の試合後に聞いた、勝ち上がりのキーワードだった。高校野球の取材をしていると、「学校生活を大切に」といった声をよく耳にする。では、野球以外のことを頑張ることで、何が変わってきたと感じたのか。
「これはあまり言うと、あれなんですけど......。うちのレベルの子どもたちがどれだけ技術練習をやっても、正直なところ、私学のトップレベルに勝つのは限りなく厳しい。だから選手たちには、『野球5、野球以外5のトータル10で勝負せえ』って言うんです。ただ『野球以外の5はどこにも負けるな。
でもうちの子たちは、中学時代に大会や試合で勝った経験もなければ、高いレベルで活躍したこともないから、野球でプライドを持てないんです。だったら、野球以外で『オレたちはこれだけしんどいことをやってきた。だから負けられへん』『これだけやったんだから、野球でもきっといいことがあるはずや』と。そう思えるだけのものをつくろう、ということなんです」

これは鈴木が堺東に赴任した当初、「これだけやったらオレらも勝負できるものをつくってみろ」と生徒たちに呼びかけ、彼らが頭をひねって考えた案を叩き台に完成。それが今も受け継がれている。
「グラウンドでは全力疾走します」
「日々の積み重ねで自信をつけます」
「自分に厳しく、仲間に厳しく、何事にも妥協しません」
このように言うは易し、行なうは難しの文言が並ぶ。
メンタル強化のため、似たような取り組みを行なっているチームはほかにもある。しかし、大切なのは、口にした決め事や目標を、どこまで本気でやり抜けるか、そしてそれを積み重ねていけるかどうかだ。
【朝3時半起床の生活を19年】
堺東では、この教えを野球以外の生活面にも応用している。グラウンドの上でも、グラウンドの外でも、妥協のない取り組みが求められる。本気で取り組もうとすれば、当然厳しさも伴い、つい口先だけになってしまうこともある。しかし、そこで堺東の強みは指導者である鈴木自身が選手たちの格好の手本となるべく、日々ごまかしのない生活を送り、その姿を選手たちも間近で感じとっていることだ。
たとえば、鈴木の一日のスケジュールを聞くだけでも、その姿勢が伝わってくる。
毎日の練習が終わり、帰宅するのは21時前後。そこから食事をとり、風呂に入り、家ではテレビを見ることなく23時過ぎには就寝。そして3時半に起床し、4時半には出勤。
「だいたいそんな感じですね。いつも最後にカギを閉めて、朝は一番に来てカギを開ける。目覚まし時計がなくても、同じ時間に目が覚めますし、昼間に眠くなることもない。俗に言う"ショートスリーパー"なんでしょうけど、自分ではこのサイクルがふつうなんです」
学校に着くと、まず体育館で40分間走り、子どもたちに負けてはいられないとウエイトトレーニング。その後は雑務や授業の準備をし、ほかの先生の分までコーヒーを沸かし、時間が来ると体育の授業に入っていく。
そして放課後は、夏は猛暑、冬は突風が吹く高台のグラウンドに立ち、ほぼひとりで指導している。こう書くと、また「ブラック」とネガティブな声が聞こえてきそうだが、「僕がやりたくてやっているだけ。性格なんです」とこともなげに言い、教員になって19年、一日も欠勤したことがないという。
「家に帰ったら、妥協しまくってますよ」と笑う鈴木にあらためて感心させられたが、同時にこう思った。野球でも野球以外でも手を抜くことなく、しっかり取り組むことを求める鈴木は、選手たちにとって「厳しい先生」と映っているのだろうと。
その点について、鈴木自身も覚悟したうえでこう語る。
「ただね、親御さんにも言うんですよ。『子どもたちのそばに、ひとりくらいちょっと厳しいなって思わせる、僕みたいな人間がいたほうがいいでしょ』って。たとえば、先生のところへいく時は、ネクタイをきちんと締めなあかんとか。そういうふうに思わせる大人がひとりくらいいてもいいんじゃないですか。緩みっぱなしじゃダメでしょう」
【エースは2度も退部志願】
では生徒たちの目に、鈴木先生はどう映っているのか。エースの三井颯斗に聞いた
「部活の時は厳しいんですけど、学校生活では優しくて。叱ってくれるんですけど、それも自分たちを(自分の)子どもと思って言ってくれているような、愛情みたいなものがあるというか......。
言葉と行動にずれがなく、嘘がない。結局はそこなのだろう。
物静かながら、陰りのない表情で"鈴木先生"を語る三井は、過去に二度、退部を申し出たことがあったという。1度目は入部して2、3カ月が過ぎた夏前。「これを毎日は......しんどいなぁ」となってのことだった。
「少年野球の時も中学校も、特に強いチームというわけでもなく、ダラッとした雰囲気のなかで野球をやっていたんです。だから、高校でも野球部に入るとはいえ、公立ですし、私立みたいにバリバリやる感じじゃなくて、ほどほどに楽しくできると思っていました。ところがいざ入ってみると、野球も野球以外も思っていた以上に厳しくて......。『だいぶイメージと違うな』と思い、夏を迎える前に辞めようかなって考えたんです」
鈴木の記憶によれば、当時の三井は口数も少なく、野球への取り組みもそれほど意欲的には見えなかったという。どこか気持ちの弱さを感じさせるところがあった。そんな1年生の三井が「野球部を辞めたいんですけど」と、鈴木のもとにやって来た。
それに対し、鈴木はこう返した。
「いま辞めたら弱いままやぞ。『最後まで面倒をみます』って親御さんから預かってるんや。そんな弱い状態のままじゃ、辞めさせるわけにはいかん。もっとしっかりして、誰が見ても『大丈夫や』って思えるようになったら、その時はこっちから『もう辞めてもええよ』って言うたるから。もうちょっと頑張ってみいよ」
三井はここで一度、思いとどまった。しかし、夏休みの厳しい暑さのなかで行なわれる練習に再び心が揺らぐ。夏の終わり、三井は2度目の直訴に踏み切った。これに対して鈴木は「『同じこと言いにくんなよ』って追い返しました」と振り返る。
【野球部を辞めなくてよかった】
実際には、その間にいくつかのやりとりがあったのだろう。しかしこの言葉には、ある意味で三井を信じていた鈴木なりの思いが込められていたようにも感じられる。三井はこの時も踏みとどまった。
「『今のままではメンタルが弱いから、しっかり鍛えろ』って言われて。
鈴木が振り返る。
「まあ、しんどいっていうのもわかりますけど、最後までやりきったら、絶対に『辞めんでよかった』ってなるんですよ。3年間やりきった時に、『あの時、辞めといたらよかった』なんてことには絶対ならないし、最後までやり抜けば、気持ちも強くなるっていうのもわかっています。だから、ちょっとつまずいたり、しんどくなったりしても、なんとか乗り越えさせてやりたいんです」
ただ、頑張れば甲子園、頑張れば上の世界につながる......という選手たちではない。今の予定では、今年8人いる3年生のなかで高校卒業後に野球を続ける選手はひとりもいない。そうした選手たちにとって、何がグラウンドで踏ん張り、日々の厳しさを乗り越えるモチベーションになるのか。鈴木の視線は、常に高校生活のあとに向いている。
「社会に出たらな......」
これも生徒に話す時の口癖のひとつだ。
「『社会に出たらな、今のままじゃ通用せえへんで』って。僕自身、サラリーマンもやって働いてきましたけど、学校は昔に比べてどんどん緩くなっているし、親も甘くなっている。でも、社会は今も昔も厳しいまま。だから、『今のまま社会に出たら絶対困るから、先生はいろんなことを言うんやで』って。ほんま、そればっかり言ってます」
社会で活躍できるためにも、乗り越えろと。野球を通し、野球以外のものを通し、時には自らが壁になり、生きる力をつけさせる。古き良き時代を思わせる熱血漢に導かれながら、選手たちはなんとも濃い2年半のなかで成長を繰り返したのだろう。
(文中敬称略)
つづく