ロベルト・クレメンテのDNA~受け継がれる魂 (全10回/第3回)
昨年末、中日ドラゴンズで通訳を務める加藤潤氏はプエルトリコを訪ねた。そこは、ラテンアメリカ野球の象徴にして"与える文化"を体現した男、ロベルト・クレメンテが生まれた地である。
【クレメンテが生まれた地・カロリナへ】
プエルトリコの行政の中心地であるサンファンの東隣に位置する衛星都市・カロリナ。ここは、クレメンテが育ち、生涯を閉じた土地だ。
サンファンのダウンタウンから地下鉄とバスを乗り継ぎ、約1時間半。最寄りのバス停から球場までは、人通りの少ないハイウェイ沿いの歩道を歩く。熱帯の昼さがりにもかかわらず、流れる汗は冷たい。なぜならこの日、地元司法省から警戒情報が発令されたためだ。どうやら56人もの銃を携えた麻薬マフィアが近隣に潜伏しているらしい。
道中、長さ300mほどの橋を渡る。人気のない橋の歩道は強盗にとって格好の狩場だ。橋の対岸には球場の照明塔が見える。無意識のうちに運ぶ足が速くなる。
無事に球場の入口にたどり着くと、クレメンテの銅像が迎えてくれた。
「クレメンテは子どもの時のスーパーヒーローだよ。ピッツバーグが誇るフランチャイズプレーヤーだ。そして、引退することなく亡くなったんだ。彼の亡骸はいまだに見つかっていないんだよね」
「人生で一度はこの場所に来てみたかった」と話すタイラーさんをはじめ、ピッツバーグの住人にとって、カロリナ球場訪問はまさに聖地巡礼のような意味を持つのだろう。
ふたりと立ち話を終え、スタンドへ足を向けた。この日の試合は、ホームのカロリナにソフトバンクホークス、アウェーのサントゥルセに読売ジャイアンツが選手を派遣している。試合前の練習時間、両チームの関係者と談笑しているところに、ひとりの選手が挨拶に来てくれた。藤浪晋太郎だ。

【アメリカで知ったチャリティの本質】
藤浪は昨シーズン終了後、自らの意思のもとプエルトリコのウインターリーグに参加し、カロリナでプレーしていた。シーズン中はアメリカを主戦場としながら、クレメンテに縁のあるカロリナに所属する日本人選手は非常に珍しい。私がプエルトリコを訪れた理由を話すと、快く応じてくれた。まずは、アメリカでクレメンテがどのように捉えられているかを尋ねた。
「ラテン野球の象徴ですよね。日本でいえば長嶋(茂雄)さんや王(貞治)さん。いたるところにクレメンテの名前を冠した施設がありますし、まさにGOAT(Greatest Of All Time/史上最高)です」
それはクレメンテについての、これ以上ない定義であり説明だろう。つづけて、ボルティモア・オリオールズに在籍していた時のエピソードを教えてくれた。
「ボルティモアにいた時、ジェームズ・マキャンとカイル・ギブソンというベテランふたりとチャリティゴルフに参加したことがあります。トップゴルフ、日本でいう打ちっぱなしですね。そこでファンと交流しながら食事をしました。集められたお金は障害者支援の基金に寄付されます。
アメリカには、日本にはあまりない『与える文化』があります。日本人はシャイなところがあり、チャリティと聞くと抵抗を感じてしまう。ひとつの理由として、アメリカはクリーンで、不透明な部分がありません。助ける対象が明確で、身近に感じるんです。だから、問題の現実味をより理解できるし、やってみようという気持ちになります」
そして日米両国においてチャリティを行なう選手の心構えの違いを、実体験をもとに語ってくれた。
「大谷(翔平)がグローブを寄付しましたけれど、見本となる人が増えてこないことには変わらないと思います。子どものころから教育するにしても、そもそも大人がやらなければ始まらないですから」
短い時間ながら、多くの考えるヒントを与えてくれた。彼の聡明さがよく表われた回答だった。試合前の貴重な時間を割いて話してくれた藤浪に感謝したい。
藤浪を誘ったマキャンについて触れると、彼は昨年のクレメンテ賞受賞候補のひとりだった。結果はドジャースのムーキー・ベッツが受賞したが、マキャンは自身でチャリティ活動を行なうだけでなく、オリオールズのチームメイトが行なう慈善活動のサポートにも積極的に関わっている。グラウンドの内外でポジティブな影響力を発揮するマキャンは、間違いなくチームのリーダーだ。
つづく>>
ロベルト・クレメンテ/1934年8月18日生まれ、プエルトリコ出身。55年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビューを果たし、以降18年間同球団一筋でプレー。抜群の打撃技術と守備力を誇り、首位打者4回、ゴールドグラブ賞12回を受賞。71年にはワールドシリーズMVPにも輝いた。また社会貢献活動にも力を注ぎ、ラテン系や貧困層の若者への支援に積極的に取り組んだ。72年12月、ニカラグア地震の被災者を支援する物資を届けるため、チャーター機に乗っていたが、同機が墜落し、命を落とした