7月16日、時折雨が吹き込む宇都宮清原球場のスタンドは、閑散としていた。そんな高校野球・栃木大会2回戦の試合会場に、プロ野球チームの元監督が座っているなんて、あまり想像できなかったに違いない。
【かつての教え子の息子に託す夢】
「オヤジは投げるほうはよかったけど、バッティングは全然ダメだった。でも、息子だって、ドミニカではピッチャーはやっていなかったというけど、投げさせてみたら意外とすぐに投げられたしね。まだまだ野球を始めたばかりなんだから。これから何年かして、どうなっていくかじゃない。伸びしろは面白いものがあるよ」
森繁和(元・中日監督)はエミール・プレンサ(幸福の科学学園・3年)の将来性について、期待を口にした。エミールの父であるドミンゴ・グスマンは横浜(現・DeNA)、中日、楽天でプレーした元プロ野球選手。森は中日コーチ時代にドミンゴを指導し、いわば師弟関係にあった。
森は駒澤大OB同士のつながりから、幸福の科学学園の特別コーチを務めている。中日コーチ時代から選手補強のためにドミニカ共和国に通うなど、太いパイプを持っていた。そこで幸福の科学学園にふたりのドミニカ人留学生の橋渡しをするのだが、そのうちのひとりがドミンゴの息子であるエミールだった。
エミールは来日までの過程について、こう語っていた。
「オレはお父さんが日本のプロ野球選手だった。森さんと連絡してもらって、『あなたの子どもどうですか?』みたいに言われた。
エミールともうひとりの留学生であるユニオール・ヌニエスも高校3年生になり、最後の夏の大会を迎えている。ふたりとも、ドミニカ時代に注目されたエリートというわけではない。エミールが野球を始めたのは13歳と、競技歴が浅かった。文武両道を方針に掲げる幸福の科学学園で、徐々に豊かな才能が花開きつつある。
【ドミニカの教育事情】
日本で高校3年間を過ごした者は、国籍にかかわらずNPBのドラフト会議で指名対象になる。エミールもユニオールもプロ志望を公言しており、今夏の結果は彼らの野球人生を大きく左右するかもしれない。とくに身体能力が高く、高校通算20本塁打と長打力を武器にするエミールは注目度が高い。熱心に通うプロスカウトもいるという。
森は眼下で繰り広げられる戦いを見守りながら、ドミニカの実情について語り始めた。
「ドミニカは都市部から離れると、裕福な家庭は別として、ちゃんとした教育を受けられる子が少ないんだよ。でも野球は盛んだし、ビジネスになるかもしれないから続ける子が多い。でも、そんな子たちが野球で生活できないとなったら、どうなるか。
親の仕事の手伝いをできる子は、まだいい。野球をやめたら普通の仕事は何もできない、という子はどうなると思う? どんどん悪い道へと流れていってしまうんだよ。ドミニカの関係者からも『何とかしてくれないか?』と言われていたんだ」
そこで、森は留学制度を使ってドミニカ人を日本に受け入れ、教育を受けさせることはできないかと考えた。ただし、そのためには「実績」が必要だった。
「ドミニカの人からしたら、日本なんて国を知らないんだよ。15歳くらいの子どもが、突然『知らない異国へ行け』なんて言われても、なかなか難しいじゃない。それで、中日時代に一緒にやっていた連中がちょうど親の年代になっていて。あいつらは日本を知っているから、息子を留学させることに抵抗がないからね」
中日時代の教え子の子どもが、日本に留学生としてやってくるようになった。エミールの2学年下には、リカルド・ペレスというドミニカ人留学生もいる。父は2015年から2年間、中日でプレーしたリカルド・ナニータである。
森は中日コーチ時代からドミニカ人のポテンシャルに注目してきたが、今もその思いは揺らいでいないという。
「15歳くらいの年代なら、ドミニカ人より日本人のほうがずっとうまいと思う。
現在は幸福の科学学園にドミニカ人留学生を紹介しているが、森は「(他校にも)どんどん広げていきたい」と展望を明かした。
「陸上やバスケなんか、海外から留学生が来るシステムがあるでしょう。日本の高校野球でも、ドミニカ人の留学生が増えたっていいんじゃないかな。国同士のつながりも深まるし、日本人がドミニカに行った時にラクになる。だから、少しでも広がっていってくれればなと」
【泣き崩れる高校球児に強いショック】
試合では、ドミニカ人留学生コンビが大活躍を見せていた。4番・中堅手で出場したエミールは先制の2点適時三塁打を放つなど、3安打4打点。本塁打が出ていれば、サイクル安打を達成する大暴れだった。3番・捕手のユニオールも負けじと2安打2打点。四死球を含め、4回も出塁している。
試合は幸福の科学学園が9対4で那須清峰に勝利。試合後、エミールとユニオールに森が球場に来ていたことを伝えると、ふたりとも森への思いを口にした。
「森さん、めっちゃいい人だと思います。
「森さんはエミールにもオレにもアドバイスしてくれます。森さんからのオポチュニティ(好機)がなかったら、絶対に今はドミニカにいたから。お父さんと野球の練習して、引退してたかもわかんない。日本に来れてよかった。森さんに心から感謝しています」(ユニオール)
甲子園という絶対的な舞台があり、「負けたら終わり」のプレッシャーと戦う日本の高校野球。ドミニカ人留学生の彼らには、どう映っているのか。
エミールは来日当初、試合後に泣き崩れる高校球児に強いショックを受けたという。
「ドミニカには夏の大会ないです。日本に来て、大会やって、負けたら泣く。負けたら終わりだってわかりました。その気持ち知ってるから、緊張します」
この日、捕手のユニオールは悪送球を犯すなど、試合序盤は硬さも見られた。
「でも、オレの強さはバッティングだから。考えすぎないで、自分を信じて、最後だから全部信じてやりました」
ユニオールの強い眼差しは、日本人の高校球児とまったく変わらなかった。

【留学生カルテットを形成】
今年から後輩のリカルドが来日し、台湾人留学生の林軍成も幸福の科学学園に進学。いわば「留学生カルテット」が形成されている。棚橋誠一郎監督が「哲学者」と評価するユニオールは、後輩への気配りを忘れない。
「オレたちも日本に来た時は、さみしかった。同じだったから、(後輩たちが)悲しんでる時は応援するし、日本語がまだわからないときは教えています。リカルドも林くんも真面目で、オレたちとは全然違います(笑)。今も一緒に日本語を勉強して、遊んでます」
今後、日本に来るドミニカ人留学生が増えてもらいたいか。そう尋ねると、両者とも「めっちゃ思います」と口を揃えた。そして、エミールの口からは、壮大なスケールの夢が語られた。
「おれ、プロに入って、めっちゃお金もらったら、日本でドミニカのチームをつくりたい。ドミニカには13歳、14歳ですごい球、投げてる人たくさんいます。日本に来たらめっちゃいい選手になって、絶対に甲子園に行きます」
いつか、甲子園でドミニカ人チームが躍動する。そんな未来が訪れるかもしれない。
(文中敬称略)