ロベルト・クレメンテのDNA~受け継がれる魂 (全10回/第8回)

 周りから何を言われようが、自らの信念で慈善活動を行なう中日ドラゴンズの福敬登。その姿勢は、支援を受ける子どもたちだけでなく、福自身にも大きな成長と喜びをもたらしている。

ロベルト・クレメンテの精神を受け継ぐ日本の選手たちの姿に、中日ドラゴンズで通訳を務める加藤潤氏が迫る。

「人のためでもあるけど自分のためでもある」 大塚晶文が語るチ...の画像はこちら >>

【大塚晶文が語る慈善活動の本質】

 人に何を言われようとも、自らの意思で慈善活動を続ける中日ドラゴンズの福敬登。その行ないは必ず報われるだろう。それは支援する子どもたちだけでなく、福自身にとってもそうだ。

 チャリティとは本来そういうものだと言ったのは、大塚晶文コーチ(森繁和さん同様、敬愛する同僚コーチとして「さん」付けとする)だ。

 大塚さんは、自身の経験をもとに、ひとり親家庭の人たちを球場に招待していた。しかし、そのことをあえて公にしなかった。招待された人たちがその席に座ることで、「あの人たちはひとり親家庭なんだ」と周囲に知られてしまうことを避けたかったからだ。そんな気遣いがあった。

「僕は大したことをしていませんよ」

 そう謙遜する姿は、いつも自然体で腰が低い大塚さんらしい。そして、さすがMLBを経験しただけあって、その指摘はいつも具体的で的確だ。

「なにより難しいのは、個人で継続していくことだね。選手時代の生活に余裕があるうちはまだしも、引退後も続けるとなると、なおさら難しくなる。

メジャーの一線級くらい稼げれば話は別だけど......。それでも、自分で財団を立ち上げるなら、しっかりと運営を任せられる信頼できる人を探さなきゃいけない」

 MLBの流れを追うように、近年ではプロ野球選手の慈善活動を支援するNPOがいくつも設立されている。とはいえ、それらが選手にとって身近な存在かと言えば、そうとは言いがたい。仮に今後、そうした団体がより身近な存在になったとしても、選手が引退後に直面するであろう課題は、依然として残り続けるだろう。

 大塚さんは課題を指摘しつつも、チャリティ活動を行なう意義について、次のように強調した。

「チャリティって、人のためでもあるけど、自分のためでもある。たとえば、支援している団体の前でスピーチをしなきゃいけないことがある。僕も人前で話すのはうまいほうじゃないけど、将来、もし組織の上の立場に就くことになれば、必要な能力になる。言ってみれば、それは将来の自分になるためのトレーニングなんだ。自分の器を大きくしてくれる、そういう機会を与えてくれるんじゃないかな」

【支援活動を継続するための課題】

 奇しくも、村上雅則氏が慈善事業を始めるきっかけを作った細川護熙元首相夫人の佳代子氏も、慈善活動を長く続けるための条件として「楽しいこと、感動があること、連帯感が生まれること」を挙げている。「つまり、人のためではなく、自分のためだと納得できること」だと、大塚さんと同じ想いを抱いている。

 付け加えるなら、ある程度歳を重ねれば、誰もが「人のために動いたはずが、結果的に自分のためになっていた」という経験を持っているだろう。その時に得られるものは、自分があらかじめ思い描いていた予定調和的なものではなく、期せずして自らの器が大きくなる機会だろう。

まさに、福が言う「ゼロからイチ」が生まれる瞬間である。

 クレメンテや中田翔が話したように、余裕ができてからチャリティを始めるのが一般的だろう。しかし、なかには福のように、周囲から「まだ早い」と言われても、自分の意思で行動を始める人もいる。ただし、大塚さんが指摘するように、高収入を得られる時期はいつか必ず終わる。その時にどう対応するかが、大きな課題となるだろう。

 引退後も支援活動を継続できる仕組みの構築は、今後の大きな課題だろう。しかし、その仕組みは欧米のスポーツ界ではすでに整っている。その背景には、村上氏や藤浪晋太郎が指摘するように、キリスト教が影響しているのだろうか。欧米だけでなく、東日本大震災の際、真っ先に支援を表明した朴賛浩の母国・韓国も、キリスト教が広く浸透している国である。

 ここで少し堅い話になるが触れておきたい。ヨーロッパには「ノブレス・オブリージュ」という概念がある。

 もともとは高い社会的地位、権力、財力を持つ貴族が果たさなければならない社会的責任を意味する。

近年ではその対象が貴族に限らず、資産家にも広がっているという。(慈善事業が資産家の節税対策として利用されるという議論については、ここでは割愛する)

 また世界三大宗教のなかで、「慈善」の概念はキリスト教だけのものだろうか。もちろん、そんなことはない。イスラム教には「ザカート」や「サダカ」、仏教には「喜捨」という慈善の考え方がある。日本も仏教圏の一部ではあるが、この言葉を聞いてピンとくる日本人は多くないかもしれない。

 しかし、上座部仏教が主流の東南アジアやスリランカの人々にとっては、慈善は生活の一部として根付いている。我々日本人にしっくりくる言葉を探すなら、「利他」や「共感」といった表現が近いかもしれない。

 問題を抱える他者に共感し、個人ができる範囲で手を差し伸べる。難しい理屈など必要ない。いたってシンプルなことだ。宗教の違いにかかわらず、人とは本来そういうものだろう。

【中日・井上一樹監督の行動力】

 福は慈善活動を始めた際、一部のドラゴンズOBから心ない言葉を受けたと言うが、OBたちも捨てたものではない。

NPBにおいてMLBの「ロベルト・クレメンテ賞」にあたるものは、報知新聞が主催する「ゴールデンスピリット賞」だ。過去にはドラゴンズと縁のある5名が受賞している。

 片岡篤史、中村紀洋、小笠原道大、山﨑武司......彼らとは面識があり、全員が年上だ。心苦しいが敬称は略させてもらう。この4人は、いずれも他球団在籍時に受賞している。しかしひとりだけ、ドラゴンズ生え抜きのOBがこの賞を受賞している。現中日監督の井上一樹である。

 井上監督は、昨年までのファーム監督時代から、どうしたら選手やファンが喜ぶかを常に考えていた。「こうすれば相手が喜ぶのではないか」とアンテナを張り、実際に行動に移していた。球団内部のことなので記すことはできないが、具体的なエピソードはいくつも思い浮かぶ。その姿勢があったからこそ、この賞の受賞につながったのだと、私は部下として強く感じている。

 ここに挙げた5人のようなOBが、今後さらに増えていくことを期待したい。

彼らは、これから善行を行なおうとする若者たちの背中をしっかりと押してくれるだろう。福が浴びた心ない言葉を、未来の若者たちが受ける理由はない。

 他者が抱える問題を自分のこととして捉え、行動する。この章に登場した選手たちに共通する姿勢だ。その態度は、クレメンテがニカラグアの人々に寄り添ったものと何ら変わらない。クレメンテの妻、ベラはこう語っている。

「私たち夫婦がニカラグアを訪れた時、感じたのは『彼らは30年前の私たちプエルトリコ人だ』ということでした。子どもたちは裸足で通りを歩き、家族全員がひとつ屋根の下で暮らしている。ロベルトは、過去の自分を彼らのなかに見出したのです」

 クレメンテは悲劇のなか、その生涯を閉じた。しかし、本人たちが意識していなくとも、クレメンテの意思と共鳴し、彼の歩んだ道を進む選手たちが日本にもいる。課題はある。それでも、彼に続く者は確実に増え続けている。

 神様は、いる。

つづく>>


ロベルト・クレメンテ/1934年8月18日生まれ、プエルトリコ出身。55年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビューを果たし、以降18年間同球団一筋でプレー。抜群の打撃技術と守備力を誇り、首位打者4回、ゴールドグラブ賞12回を受賞。71年にはワールドシリーズMVPにも輝いた。また社会貢献活動にも力を注ぎ、ラテン系や貧困層の若者への支援に積極的に取り組んだ。72年12月、ニカラグア地震の被災者を支援する物資を届けるため、チャーター機に乗っていたが、同機が墜落し、命を落とした

編集部おすすめ