渡辺俊介インタビュー(後編)

 ディフェンディングチャンピオンとして挑んだ2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシックWBC)。未知の強敵、韓国戦を何度も乗り越えた渡辺俊介が語る、連覇までの戦いの舞台裏とは。

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【王者として臨んだ2度目のWBC】

── ディフェンディングチャンピオンとして迎えた2009年の第2回大会ですが、最大の敵はどこだという認識でしたか。

渡辺 未知数な部分もありましたが、2006年も2009年も、戦力だけで言えばアメリカやドミニカ共和国など、バリバリのメジャーリーガーがいる国は意識しました。

── 2009年はダブルエリミネーション方式(2度負けたら敗退)。結果的に、決勝まで韓国とじつに5度対戦しました。渡辺さんは2006年のWBCでも韓国戦2試合に先発して好投。首脳陣に対して、韓国戦に強いという印象が深かったのでしょうね。

渡辺 2009年のWBCは、原辰徳監督や山田久志投手コーチから「韓国戦で行くぞ!」と言われていました。結果的に、韓国戦で2試合にリリーフ登板しましたね。

── 第2ラウンドでの韓国との3度目の対戦は、先発のダルビッシュ有投手(当時・日本ハム)が5回を投げて3失点し、試合は1対4で敗れました。

渡辺 僕はこの試合で3番手として1回を投げ、無失点に抑えました。あの年、私は33歳でしたが、ダルビッシュは投げるたびにメジャー球に慣れ、状態をどんどん上げていきました。原監督の判断も素早く、状態のいい投手を最も重要な場面(抑え)で起用するなど、積極的に配置転換を行なっていました。

── この大会、MVPは2大会連続で松坂大輔投手(当時・西武)が獲得しましたが、岩隈久志投手(当時・楽天)のピッチングも見事でした。

渡辺 投手陣はうまくまとまって、すごくいい雰囲気でした。みんなすごく頼もしかったのを覚えています。

【最初からイチローを中心にまとまっていた】

── 決勝戦で韓国と5度目の対戦。不振に苦しんだイチロー選手が延長10回表、林昌勇投手(当時・ヤクルト)から決勝打。2006年キューバ戦の9回に続く決勝戦の決勝打でした。

渡辺 2009年のイチローさんは、不振に苦しんでいました。しかし、イチローさんのWBCに対する覚悟、日本野球への思いに応えたいと、出場を決めた選手も多かったと思います。第1回大会は何が起こるかわからないなかでワクワクしながら戦っていた感じでしたが、第2回大会は最初からイチローさんを中心にチームがまとまっていた印象でした。

── 素顔のイチローさんはどのような感じでしたか。

渡辺 テレビ越しに見ていると、淡々とプレーする気難しい人というイメージがありました。しかし、2006年のWBCで一緒に戦ううちに、「こんなにも感情をあらわにする熱い人なんだ」とか、「周囲に気遣いをしてくれて、面白い人なんだな」と、印象がまったく変わりました。

── イチローさんとどんな会話を交わされたのですか。

渡辺 イチローさんの後ろで動きをマネしてアップしていたら、力みすぎて肉離れしそうになったこともありました。

イチローさんはトレーニングにとても興味を持っているようです。僕はアンダースローなので、アップで股関節を柔らかくする独特で少し変わった動きをするのですが、人前でやるのは恥ずかしいんです。それでもイチローさんとダルビッシュは、すぐに「何それ、面白いね。教えてよ」と興味を示してくれました。

── WBC連覇の瞬間はどんな気持ちでしたか。

渡辺 最後、ダルビッシュが三振を奪い、胴上げ投手となりましたが、その様子を見届けるまで、僕はブルペンで待機していました。少しでも早く胴上げの輪に加わりたかったのですが、一緒にいた小松聖(当時・オリックス)に「渡辺さん、もう大丈夫っすよ。早く行きましょうよ!」と言われて。でも僕は、「いや、一応、なにかあった時のために試合終了までここを動くわけにはいかないだろ」って(笑)。

── 優勝後、原監督の「おまえさんたちは、立派な侍になったな」というかけ声でシャンパンファイトが始まりました。

渡辺 原監督があの「おまえさん」というフレーズを使う時は、うれしい時や気持ちが高ぶっている時ですよね。最初に選手たちを集めて話した時も、まさにそんなタイミングでした。

第1回大会は、まるでジェットコースターのように浮き沈みの激しい戦いでした。一方、第2回大会は「優勝しなければいけない」というプレッシャーのなかで、苦しみながら耐えて戦っていたので、世界一が決まった直後は、原監督の熱い言葉を聞きながら、まずホッとしたのが一番ですね。

侍ジャパン、2度目の連覇の可能性は?】

── 優勝経験者として、WBCに臨むにあたり注意することは何ですか。

渡辺 メジャー球になると、マッチする投手とそうでない投手がいるので、急によくなる投手、逆に本来のピッチングができなくなる投手も出てきます。そうしたことも加味して、起用することが重要になります。

── ほかにありますか。

渡辺 今年の大会に関していえば、「ピッチクロック」ですね。投手は走者なしで15秒、走者ありで18秒までに投げなければいけません。投げ急ぐと、コントロールミスが出やすくなります。そこはアドバイザーとして宮崎合宿に参加したダルビッシュがいろいろと教えてくれたと思います。心強いですね。

── 今回のWBCで、日本は2度目の連覇がかかります。

渡辺 2024年のプレミア12で敗れた台湾や、巻き返しを狙う韓国、さらにオーストラリアも、ひとり好投手がいれば十分に戦える戦力です。どこも簡単に勝てる相手ではありません。さらに準々決勝で対戦するかもしれないドミニカ共和国やベネズエラは、勢いに乗ったら手がつけられません。簡単ではないと思います。

── 今回の侍ジャパンは、戦力的にはどうですか?

渡辺 クローザー候補だった平良海馬投手(西武)や石井大智投手(阪神)が故障で、ここにきて松井裕樹投手も辞退。代わりにクローザーを務める投手の状態がよければ問題ありませんが、そうでない場合は、第2回大会のダルビッシュのように臨機応変に対応できるかがカギになりそうです。ただ今の時代は球団への配慮もあり、起用法を決めるのは簡単ではありません。しかし、選手層が厚い日本ですから、必ずや好結果を残してくれると信じています。


渡辺俊介(わたなべ・しゅんすけ)/1976年8月27日生まれ、栃木県出身。國學院栃木高から國學院大、新日鐵君津を経て、2000年のドラフトでロッテから4位で指名され入団。03年から先発ローテーションに定着。第1回、第2回WBCに出場し、世界一を経験。

13年限りでロッテを退団し、その後、アメリカの独立リーグやベネズエラのウインターリーグを経て、新日鐵住金かずさマジック(19年から日本製鉄かずさマジック)の選手兼任コーチとなり、19年12月に監督に就任。25年限りで退任した

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