【箱根駅伝 名ランナー列伝】鎧坂哲哉(明治大) 43年ぶりの...の画像はこちら >>

箱根路を沸かせた韋駄天たちの足跡
連載22:鎧坂哲哉(明治大/2009~2012年)

いまや正月の風物詩とも言える国民的行事となった東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)。往路107.5km、復路109.6kmの総距離217.1kmを各校10人のランナーがつなぐタスキリレーは、走者の数だけさまざまなドラマを生み出す。

すでに100回を超える歴史のなか、時代を超えて生き続けるランナーたちに焦点を当てる本連載。第22回は、2000年代後半に明大の古豪復活を牽引した鎧坂哲哉を紹介する。

連載・箱根駅伝名ランナー列伝リスト

【学生界を代表するランナーに成長】

 箱根駅伝には第1回大会から出場し、7度の総合優勝を誇る明治大。長く箱根路から遠ざかった時期もあったが、2000年代後半に再び存在感を高めていった。その"古豪復活"の象徴とも言えるのが、鎧坂哲哉だろう。

 広島・世羅高時代から全国トップクラスの舞台で活躍した。2年時の全国高校駅伝では3区でトップに立ち、チームの32年ぶりとなる全国優勝に貢献。3年時には5000mで14分00秒80をマークし、2007年度の高校ランキングで日本人トップとなった。一方で故障にも苦しみ、最後の全国高校駅伝は欠場している。

 2008年に明大へ進学すると、大学でも故障とつき合いながら結果を残した。

 1年時は箱根駅伝予選会を故障で欠場したものの、本大会では1区を任されて区間3位。明大の43年ぶりとなるシード権獲得に貢献した。2年時は3区で区間3位と好走。

3年時には全日本大学駅伝2区で竹澤健介(早稲田大)が持っていた区間記録を4秒更新し、同学年の柏原竜二(東洋大)らを抑えて区間賞に輝いた。

 そして箱根駅伝では、「花の2区」に登場した。

 15番手でタスキを受けると、東海大・村澤明伸とともに猛追。11人を抜いて4位まで順位を押し上げ、区間3位の1時間07分36秒で走破した。

「ラスト3kmは追い込めたと思います。でも、村澤がすごくいいタイム(1時間06分52秒)だったので......」と満足はしていなかった。

 それでも明大は総合5位に躍進。鎧坂も学生長距離界を代表する存在へと成長していく。

 4年時には7月に10000mで27分44秒30をマーク。当時の日本人学生最高記録を打ち立て、最後の箱根でも2区を担うことが有力視されていた。しかし、秋から状況が一変する。坐骨神経痛に悩まされたのだ。

「全日本大学駅伝(2区4位)の時から痛みが出て、12月になっても腰の痛み、痺れが取れなかったんです。箱根はちょっと無理かな、と思いながらも、いろんな治療院に行きながら、ジョグだけを続けているような状況でした」

【万全ではないエースが生んだチームの結束力】

 往路が行なわれた1月2日の時点でも、出走できるかどうかは微妙な状態だった。

「往路が終わって、当時の駅伝監督である西弘美さんから電話で『明日1キロ3分20秒でベース走できそうか?』と聞かれたので、『それはできそうです』と答えて、10区の出走が決まったんです。それがレース当日の朝に『3分10秒でいけるな?』と言われて、スタート直前には『3分(00秒)で追いかけろ!』となったんです(笑)」

 万全の状態からは、ほど遠かった。それでも紫紺の絶対エースは、最後の箱根で意地を見せた。10区を4位でスタート。1分13秒先を走っていた早大を追いかけ、逆転に成功する。区間4位の走りで、明大を49年ぶりとなる総合3位へ導いた。

 もし故障がなければ、最後の箱根駅伝は2区でどんな走りを披露していたのだろうか。

「3年時は安全なレースというか、トータルでまとめる走りをするかたちだったので、もう少し攻めたいですね。駅伝は流れが大事ですし、4年時は1分ぐらい速く走れるかなという気はしていました。そのぐらいでは走るんだという強い気持ちで臨んだと思います」

 ファンとしては、万全の状態の鎧坂が最後の2区を走る姿も見たかったところだろう。

ただ本人は、自分が本来の区間を走れなかったことが、結果としてチームにプラスに作用した部分もあったと振り返る。

「チームのみんなが『鎧坂に楽をさせよう』と言って、すごく頑張ってくれたんです。その結果がよかったかもしれません」

 3区を予定していた1学年下の菊地賢人が急遽2区に入り、区間5位と好走。大六野秀畝、八木沢元樹、有村優樹ら1年生も力を発揮した。

「みんなに少しでも、前へ、前へ、という気持ちがあったからこそ、あの年はうまくいったのかなと感じています。最終学年でしたし、近年では明治の最高順位。いろんなことを含めて、4年間で最も印象に残っています」

 鎧坂は4年間すべて箱根駅伝に出場した。1年時は1区3位、2年時は3区3位、3年時は2区3位。そして4年時は万全ではない状態で10区4位。大崩れすることなく、常にチームを上位へ押し上げた。

 大学卒業後は旭化成に進み、日本選手権10000m優勝、2015年北京世界選手権10000m出場など、トラックでも活躍。ニューイヤー駅伝では2017年から2020年まで4年連続優勝メンバーに名を連ねた。

 かつて箱根路から遠ざかっていた明大が、再び優勝争いを意識するチームへと変わっていった時代。その中心には、故障を抱えても結果を残し続けた紫紺の絶対エースがいた。

 最後の箱根でエース区間を走れなかったことさえ、チームをひとつにする力に変えた。鎧坂哲哉は、まさに"明大復活"を体現したランナーだった。

●Profile
鎧坂哲哉(よろいざか・てつや)/1990年3月20日生まれ、広島県出身。世羅高(広島)―明治大―旭化成。箱根駅伝には4年連続で出走し、1年時から1区、3区、2区とそれぞれ区間3位。4年時は故障に悩まされながら10区区間4位の走りを見せ、チームを49年ぶりの総合3位に押し上げた。卒業後はトラック、駅伝で息長く活躍し、現在は旭化成のプレーイングコーチを務めている。

【箱根駅伝成績】
2009年(1年)1区3位・1時間04分53秒
2010年(2年)3区3位・1時間03分08秒
2011年(3年)2区3位・1時間07分36秒
2012年(4年)10区4位・1時間11分10秒

酒井政人●取材・文 text by Masato Sakai

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