石川雅規~キャッチボールがつないだ25年のプロ野球人生(後編)
ヤクルト・石川雅規のユニフォームを脱ぐ日が近づいてきた。ここまで通算188勝を挙げた左腕にとって、投手としての強固な土台となったのがキャッチボールだった。
「キャッチボールはピッチャーにとって習慣ですよね。朝、起きたら『おはよー』って言うじゃないですか。それと一緒です。だから、おろそかにしてはいけない。基本をしっかりしないと何事も始まりません。誰に言われたわけでもなく、小さい頃からキャッチボールを大事にしてきました。毎日、真剣にやってきて、その積み重ねがあるので、(後輩たちに対して)『おまえらには負けないぞ』という気持ちがありましたね」
【お手本だったふたりのキャッチボール】
石川がチームメイトの小川泰弘に「やっくん、やろうか」と声をかければ、それはキャッチボールをしようという合図だった。
小川は2013年にヤクルトへ入団。ふたりがキャッチボールをするようになったのは2015年で、それから今季まで10年以上にわたって続いた。そのきっかけについて、小川はこう振り返る。
「石川さんから誘ってくださったのか、僕からお願いしたのか、今となっては定かじゃないんですけど、単純に石川さんから吸収したいという思いが強かったからですね」
同じグラウンドにいれば、いつもキャッチボールのパートナーだった。
「キャンプ中とかに『今日はちょっとこの子とやるね』というのはお互いにありましたけど、なんだかんだで気づいたら一緒にやっていた感じです。
ふたりのキャッチボールを見て、ヤクルトの歴代投手コーチたちは「お手本ですよ」と口を揃えたものだ。
小川は「僕は当事者なので、お手本という意識はないですけど」と笑い、こう続けた。
「でも、自分の知識と経験が深まっていくなかで、『こういうキャッチボールはいいよね、こういうのはよくないよね』ということが、一緒にやっていくなかでわかってくる。石川さんのキャッチボールは、きれいで丁寧という意味で本当にお手本だと思いました。力を入れなくてもボールが伸びていく。回転数が多くて、手元で強いボールがくる。あとは、腕の振りとボールのギャップですよね。
【ライバルだけど伝えることは伝える】
では、逆によくないキャッチボールとは、どんなものなのか。
「腕っぷしに任せて、体全体で投げていないから、連動が途切れている感じがするとか。腕を思いきり振っているように見えるのに、ボールが弱いとか。遠投でも途中で失速するようなボールは、あまりよくないキャッチボールかなと思います」
ふたりでボールを投げ合っていると、自然と会話も弾んだ。
「今の真っすぐはググッときたね」
「いい、いい。今のはいい」
「褒め合いっこしてる、俺ら(笑)」
そんなやりとりも日常だった。
「年齢を重ねていくなかで、いろいろなことを考えて試しながら、『今日はこうやってみよう』とか、僕も石川さんもそういう姿勢でやってきました。自分の感覚と石川さんの反応で答え合わせができますし、ジェスチャーでも伝えてくれる。それが楽しさであり、学びという感じでしたね」
小川は石川の存在を、「いつも明るくて、僕たちの前を明るく照らしてくださる大先輩でした」と表現する。
「石川さんは『ライバルだけど、伝えることは伝える』と話されていました。僕はその姿を見ているので、自分が学んだことをシェアできるようにしたいですし、困っている後輩がいたら手を差し伸べられるようにしたい。そして、僕も後輩からどんどん学びたいですし、一緒にうまくなっていきたい。そういう思いで野球をやっていこうと思います」
【10年以上続いたふたりの時間】
そんな小川について、石川も「ライアン(小川の愛称)とのキャッチボールは心地よかったですし、本当に特別な時間でしたね」と笑顔を見せる。
「もう、ライアンは存在自体が心地いいのでね(笑)。
今季、石川は2年目の中村優斗や育成3年目の翔聖ら、多くの後輩たちともキャッチボールをした。そこには25年間、プロの世界で生き抜いてきた投手として、若い世代に伝えたいものがあった。
「キャッチボールをした後輩たちがどう感じるかはわからないですけど、僕には現役を長く続けてきたプライドがあります。それを感じてほしかったんですよね。外から見るのと実際に受けるのとでは、球の感じが違うと思うので。若い時のベストのボールではないかもしれないけど、『これが石川雅規だ』っていうボールを感じてほしかったんです」
石川が伝えたかったのは、球速だけでは測れない「投球」の本質だった。
「それがピッチングなんだぞって。今の時代は150キロを超えるボールでも、力を込めて投げるだけでは、打者のレベルも上がっているので打たれます。やっぱりギャップがほしいですよね。
【いい仲間にめぐり会えて幸せだった】
ヤクルト二軍の戸田球場。投手たちは球場に隣接する陸上競技場で練習する時間も多く、簡易テントの下では、石川をはじめ、小川、青柳晃洋らが後輩たちも交え、ピッチング談議に花を咲かせていた。
「ヤギ(青柳)は阪神やアメリカでの経験を話してくれましたし、小川も今までの経験を話してくれたり。新たな発見ばかりでしたし、答え合わせができましたね。ひとりひとり、体の大きさも違えば、体の使い方、考え方も違うので。すごく楽しい時間でした」
そうした日々を振り返り、石川は「いい仲間にめぐり会えて幸せでした」と語る。
「僕ら野球選手は、ただ練習をするんじゃなくて、ウォーミングアップを一緒にしたり、その前の準備だったり、いろいろな時間をともに過ごして、もちろん食事も一緒にします。そのなかで、やっぱりキャッチボールをするのがすごく楽しかったですね。先輩方、そして後輩たちとキャッチボールをした思い出は強いですね。
あとは普段の会話だったり、本当に何気ない時間というのが、すごく幸せなことだったんだなと。引退を決めてからまだ少しの時間しか経っていませんが、今の時点でこれだけ感じているので、これからもっと感じてくるのかもしれませんね」
石川は今季、一軍初登板となった8月27日の巨人戦(神宮)で左肩を亜脱臼して緊急降板。
今は引退試合に向け、戸田球場でトレーナーなどを相手に軽いキャッチボールを始めている。小さな大投手にとって、25年間大切にしてきたキャッチボールとは、いったいどんな存在だったのだろうか。そう尋ねると、石川はしばらく考えてから答えた。
「なんだろうな......。友だちという感じではないし......そう、太陽みたいなものですね」
そして、言葉を続けた。
「だって、太陽がないと何も始まらないですよね。世の中にしても、地球にしてもそうだし。僕にとって、なくてはならないもの。キャッチボールがあったからこそ、僕を照らし出してくれて、道を照らしてくれた」
プロ1年目から25年間、石川は何度、誰かとボールを投げ合ってきただろう。
先輩から教わり、同世代と競い、小川とともに試行錯誤を重ね、やがて後輩たちへ自らの経験を伝えるようになった。そのすべての時間に、キャッチボールがあった。
10月3日。石川雅規は大学時代から慣れ親しんだ神宮球場で、現役最後のマウンドに立つ。
石川雅規(いしかわ・まさのり)/1980年1月22日、秋田県出身。秋田商高から青山学院大を経て、2001年ドラフト自由獲得枠でヤクルトに入団。1年目の02年に12勝を挙げて新人王に輝くと、以降も先発左腕として長年にわたってチームを支えた。15年には13勝を挙げ、リーグ優勝に貢献。167センチと小柄ながら、抜群の制球力と投球術を武器に第一線で活躍を続け、プロ25年間で通算188勝をマーク。ヤクルト一筋で46歳まで現役を続け、2026年限りでの引退を表明した
島村誠也●文 text by Seiya Shimamura










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