この記事をまとめると
■イタルデザイン創業20周年にあたる1988年にアズテックは発表された■ジウジアーロの名を後世に残すためにジウジアーロらしいディテールやスタイルがそこかしこに散りばめられている
■アズテックは実際に走行可能で25台を限定販売、日本にも2台存在しているという
ジウジアーロ作品の集大成だったアズテック
イタリアはトリノに本拠を置くイタルデザインは、かのジョルジェット・ジウジアーロが主宰したカロッツェリア。2010年にVWグループ傘下に入るまで、あらゆる自動車メーカーにデザインを提供していたことはご承知のとおり。
ですが、1988年のトリノショーで発表した「アズテック」は、彼らにとって特別な1台だったとされています。
アズテックは、それまで顧客のためにデザインしていたイタルデザインが、あえてジウジアーロの名を後世に遺すためにデザインしたものとされています。それゆえ、ジウジアーロらしいディテールやスタイルがそこかしこにちりばめられているのでしょう。
たとえば、ツインキャノピーが中央で分割され翼のように跳ね上げられるスタイルは、1966年のデトマソ・マングスタのリヤフードで採用されたスタイルと思われ、またドアのウエストラインに透明なガラスがはめられて視界を広げるデザインも、1971年のコンセプトモデル、マセラティ・ブーメランに始まったアイディアかと。

もちろん、過去作からのスピンオフばかりでなく、アズテックと命名されるモチーフとなったリヤタイヤハウス前の建築的造形(マヤ・アステカ文明の象徴「石積み」をイメージしたとされています)や、ウェッジシェイプを再解釈したかのようなシルエットは、空力的にもまた造形的にも飛躍的な進化といえるでしょう。このプロファイルにガラスキャノピーをコンバインさせるアイディアは、スバルSVXで見事なまでに実現されたこと記憶されている方もいらっしゃることでしょう。

路上を走る宇宙船とか、地上に降りた戦闘機などと表現されることが多いアズテックですが、そもそもジウジアーロは戦闘機が大好きだそうです。たとえば、分割されたキャノピーや、運転席にハンドルがあるのと同じように、助手席にもハンドル型グリップが設けられるなど、飛行機でいう複座機をイメージしていることは明らか。
また、車体のいたるところに注意書きだの文字が記されていることも「Remove before flight」的なニュアンスに違いありません。いまでこそ、戦闘機や軍艦まで擬人化されていますが、ジウジアーロは何十年も前から戦闘機の擬クルマ化を成功させていたのですね。
リアル運転席とダミー運転席のダブルキャノピー
そして、インテリアについても、これまたジウジアーロお馴染みのデザインワークが目白押し。アッソ・デ・フィオーリ、つまりピアッツァで世界中を驚かせたインパネのサテライトレイアウトや、複座コクピットを踏襲したかのような助手席の眺め、あるいは乗員同士の会話をインカムで行う設定をロードカーに採用したのもジウジアーロらしいギミックといえそうです。

イタルデザインが作るコンセプトモデルは実際に走れるものが少なくありません。ジウジアーロ氏は17歳にしてフィアットに入社して、クルマ作りを根底から叩き込まれているため、走れることはもちろん、生産上の観点やコストといったことにも手抜かりがないためです。
アズテックも走れるどころか限定ながら市販車として路上を走ることが前提で製作されています。前述の創業パートナーである宮川氏とともにプランしたもので、当初は50台限定、1億円という価格設定、トリノショーで予約受付といった計画だったようです。が、生産されたのは半数の25台で、そのうち2台が日本に上陸しています。
また、セールスプロモーションの一環として、モナコGPでデモ走行をしてみせたことも話題となりました。ナンバーをつけて公道を走っている現存車も少なくないようで、動画サイトではわりと勇ましいエンジン音が聞けるはずです。
アズテックのボディは主にアルミで、部分的にカーボンやコンポジット素材が用いられています。リヤタイヤハウス前のモニターやスイッチ類は残念ながらダミーで、機能はもたらされていません。最高速は240km/hとも250km/hともいわれますが、250馬力で約1.5トンのボディですから、戦闘機のようにはいかなかったことでしょう。

シャシーに目を向けるとランチア・デルタ・インテグラーレの駆動系が用いられ、エンジンはアウディの2.2リッター5気筒ターボを横置きミッドシップという構成で、いずれもイタルデザインと結びつきの強いメイクスとの協業だとわかります。
こうしたコラボもまた、日本の自動車殿堂入りしている宮川氏の顔の広さ、ジウジアーロ氏への信頼がなしえた偉業にほかなりません。