この記事をまとめると
■ランボルギーニクレストの闘牛の絵は、創業者フェルッチオが牡牛座生まれであったことに由来する■闘牛にちなんだ車名が与えられた最初のクルマは「イスレロ」だった
■一部車種を除いて、いまでもランボルギーニの車名は闘牛にちなんだものが採用されている
ランボルギーニの車名は闘牛にちなんだものが多い
以前、フォルクスワーゲンやマセラティの車名には、風の名にちなむものが多いというコラムを書いたことがあるが、今回はランボルギーニの車名についての話をしようと思う。
まず注目してほしいのは、ランボルギーニ車のフロントノーズに掲げられるエンブレム。いかにも猛々しい牡牛をモチーフとしたそれは、創業者のフェルッチオ・ランボルギーニが牡牛座の生まれであったことがその理由で、1963年に設立されたランボルギーニでは、ファーストモデルの「350GT」や、その進化版たる「400GT2+2」などの例を除いて、徹底的に闘牛やそれに関連する名前を、市販車のみならずプロトタイプにも掲げているのだ。
まずは12気筒モデルから順にその車名の由来を解説していこう。400GT2+2の後継車となった「イスレロ」は、1948年8月28日に開催された闘牛に出ていた牛の名で、この闘牛はスペインのアンダルシア地方にある、あの「ミウラ」牧場で飼育されたものである。

ドン・アントニオ・ミウラによって創立され、後に息子のフェデリコ・ミウラに引き継がれたこの牧場とフェルッチオ・ランボルギーニは親密な交際があり、ある日ミウラ牧場を訪ねたフェルッチオは、「ミウラ」の名をまもなく誕生するミッドシップ12気筒モデルに使わせてもらえないかと懇願したという。答えはもちろんイエスだった。しかも一切の使用料を払うこともなく。

「ハラマ」もサーキットの名前ではなく、じつは闘牛の名にちなむ車名である。フェルッチオが創業当初からモータースポーツへの進出に興味を持っていなかったことを考えれば、それも自然といえるのではないか。

このハラマの2年前、1968年にデビューしていた「エスパーダ」は、闘牛士が持つ剣の名である。ちなみにリヤに備わるエスパーダのエンブレムは、これもまたマルッチェロ・ガンディーニによって描かれたもの。

エスパーダのプロトタイプともいえる「マルツァル」は闘牛用の牛の品種を表している。

ミウラの後継車として1973年に登場した「カウンタック」は、残念ながら闘牛には関係のない車名。その語源はイタリアの一部地域で使用される方言、感嘆詞にあるという。

正確な発音は「クンタッシ」に近いようだが、スーパーカーブームを生きた自分には、やはりカウンタックと呼ぶ方がなんとなくしっくりとくる。
「悪魔」や「コウモリ」も伝説の闘牛から名付けられていた
1990年代をひたすらに生きた「ディアブロ」も、そもそもは悪魔の意を持つ車名だが、じつはこれも歴史に残る闘牛の名前。19世紀にスペインのベラグア公爵によって育てられ、1869年7月11日、これも著名な闘牛士だったエルチェロとの死闘をマドリッドで演じた。

ランボルギーニの経営体制がアウディ傘下に入り、最初のニューモデルとなった「ムルシエラゴ」だが、車名に闘牛の名を使うという伝統だけは変わらなかった。

ムルシエラゴはそもそもスペイン語でコウモリを意味する言葉だが、こちらは1879年のコルドバでの戦いを生き延び、その後に種牡牛となった闘牛の名。
その後継車である「アヴェンタドール」は、1990年代にサラゴサ闘牛場で活躍した、こちらも有名な闘牛の名である。

V型12気筒エンジンを搭載しない、いわゆるスモール・ランボにも、闘牛に関連する車名は多くある。
そのファーストモデルである「ウラッコ」は、やはりミウラ牧場の闘牛から選ばれた車名。

続く「シルエット」は、当時のレースカー、スーパーシルエットのような外観を持つことからこう名付けられたが、そのさらなる進化版「ジャルパ」は闘牛のブリーダー、ジャルパ・カンタギアの名から与えられた車名である。

それではエンジンがそれまでのV型8気筒からV型10気筒に変わった、いわゆる現代版のスモール・ランボはどうか。
まず「ガヤルド」は18世紀のスペインの闘牛ブリーダー、フランシスコ・ガヤルドから。

続く「ウラカン」は、1879年にサラゴサ闘牛場で観客を興奮の渦に巻き込んだという伝説の闘牛である。

ときに限定車にも闘牛にちなむ車名を使うランボルギーニ。
2013年に発表された「ヴェネーノ」は、3台のクーペと6台のロードスターが生産されたが、その名前は直訳すれば「毒」。しかしながら、それは1914年、アンダルシアのサンルーカル・デ・パラメーター闘牛場で、闘牛士のホセ・サンチェス・ロドリゲスを突き、死に追いやった闘牛の名だ。

現行モデルの「レヴエルト」や「ウルス」も、もちろんその名は闘牛にちなむ。

その伝統へのこだわりは、ランボルギーニの強い意志の表れでもあるのだ。