この記事をまとめると
■世界中でスーパーカーに触れてきた山崎元裕氏がこれまでで最高だと思う国産車と輸入車をチョイス■国産車は人生で初めて手に入れたクルマを挙げた
■輸入車では奇才が手がけた珠玉のスーパーカーを選択した
スーパーカー大王が選ぶ史上最高の国産車と輸入車とは
史上最高の名車を国産車と輸入車から、それぞれ1台ずつ選びなさい。簡単なようでじつに難しい質問である。あとで紹介するが、輸入車というか外国車は簡単に決まった。
問題は国産車のほうだ。子どもの頃から慣れ親しんだ国産車。史上最高の1台を決めようと思えば思うほどに、過去の記憶がよみがえり、その候補は膨大な数になってしまうというのが現実なのだ。これは難しい。
ということで、史上最高の国産車を決める条件のひとつは、どれだけそのクルマに対して熱い感情を抱いたのかで決めることにした。それはすなわち自分が人生の最初に買ったクルマ。
長い間、そのカタログや自動車雑誌、あるいは実車を見て憧れ続けた1台こそ、個人的な史上最高の1台としてその名を挙げてもよいのではないか。
時代は1969年にまでさかのぼる。この年の東京モーターショーで発表されたコンセプトカーの「トヨタEX-1」こそが、子ども心ながら最初に強い衝撃を受けたモデルだった。そして史上最高の1台となったのは、このコンセプトカーをベースに1970年に誕生した、「初代セリカ(TA20型)」である。
のちにこのセリカにはハッチバックを備えるリフトバック仕様も追加されるが、自分にはそれよりキャビンがコンパクトでスポーティな感覚が強かったクーペがお気に入りだった。
そのセリカの最強版は、現在でもファンが多い2T-G型エンジンを搭載するGTだった。さらに、1972年には装備を簡素化し、専用のスポーツサスペンションやワイドタイヤなどを装備したGTVも加わった。GTVはレースでも活躍し、将来的に自分でクルマが買えるようになったら、「絶対にこのセリカGTVを手に入れる!」と誓ったことは、いまでも忘れてはいない。

そして実際に1981年、自分はこのセリカGTVを購入。半年後には箱根の山中でクラッシュするという、泣くに泣けない悲劇を演じてしまうのだが……。それでもTA20型セリカこそ史上最高の国産車だったと断言したい。
奇才が手がけた歴史に残るロードゴーイングカー
さて一方、はじめに簡単にそれが決まったと書いた、史上最高の輸入車は何か。輸入された台数は少ないものの、これは迷うことなくマクラーレンの「F1」だ。
1963年にブルース・マクラーレン・モーターレーシングを創立するも、1970年には同年のCan-Amシリーズに投入する計画だった「M8D」のテスト中に事故でこの世を去ってしまったブルース・マクラーレンが、長年にわたって描いていた夢。それは自らの名をメーカーとして掲げたロードカーを生産することだった。
そしてその夢は、1992年のモナコGPでの発表でようやく結実することになるのである。

実際にマクラーレンF1のディテールを検証していくと、そこにはサーキットを走るF1マシン以上のエンジニアリングのこだわりが見受けられる。
かつてブラバムの「BT46B」が採用したものの、やはりレギュレーションの変更によってF1の世界からは締め出されたこの技術。ちなみにその考案者はこのロードカーのF1でチーフエンジニアの役を担ったゴードン・マレー、その人だった。

ドライバーズシートをセンターに配置し、カーボンモノコックを採用するなど、重量配分と軽量化を徹底したF1。ミッドに搭載されたエンジンは、BMW M社から供給された6リッター仕様のV型12気筒DOHC48バルブで、その最高出力は627馬力。これにトリプルディスクのクラッチと6速MTを組み合わせるのがパワーユニットの概要だ。

そのデビューから30年以上を経過しても、いまなお魅力を失わないマクラーレンF1。その生産台数は、コンペティションモデルも含め、わずかに106台。現在ではオークション市場で、ほぼ新車のコンディションを保ったロード仕様が、20億円を超える価格で取り引きされた例もある。