この記事をまとめると
■三菱のワークスドライバーで世界を舞台に活躍した篠塚建次郎さんが死去した■篠塚建次郎さんは日本人で初めてWRCで勝利し、またパリ-ダカールラリーで優勝するなど輝かしい記録を残した
■2019年、70歳でアフリカエコレースに参戦するなど、常に現役ドライバーとして最前線で活躍
日本ラリー界のパイオニアが逝く
1991年のコートジボワールラリーで日本人ドライバーとして初めてWRCで優勝したほか、1992年には大会2連覇を達成。さらに、1997年のパリ-ダカールラリーで日本人ドライバーとして初優勝を獲得するなどラリー競技で活躍してきた篠塚建次郎さんが3月18日、膵臓がんで死去した。
1971年に三菱自動車に入社した篠塚さんは、ワークスドライバーとして国内外のラリーで活躍し、1972年には全日本ラリー選手権で2連覇を達成したほか、1988年にはAPRC(アジアパシフィックラリー選手権)でチャンピオンを獲得。
さらに前述のとおり、WRCおよびダカールラリーで勝利を挙げるなど、日本人ドライバーとして輝かしいリザルトを築いてきた。
2003年には日産のワークスチームに移籍するほか、2007年にはトーヨータイヤのサポートでダカールラリーに参戦するなど活動を継続。また、ラリー競技のほか、国内外のソーラーカーチャレンジにも参戦しており、2011年にはワールド・ソーラー・チャレンジで勝利を飾った。
70歳を迎えた2019年にはアフリカエコレースに参戦するなど、常に現役ドライバーとして最前線で活躍。
また、プライベートでは俳優の三浦友和さんの姉と結婚して芸能ニュースを沸かせたほか、ダカールラリーのゴール地で有名なセネガルに小学校を寄贈するなどじつにトピックスも多い。
2002年および2003年のダカールラリーで増岡 浩さんが2連覇を達成するなど、クロスカントリーラリーでふたり目の日本人ウイナーが誕生したほか、WRCでは未勝利ながらも新井敏弘選手や勝田貴元選手などポディウムを争える日本人ドライバーが登場しているが、やはり、篠塚さんが歴史的な一歩を切り拓いたことが、のちの日本人ドライバーの活動に大きく影響を与えたに違いない。
近年の国際ラリーシーンでは日本人ドライバーが最前線で活躍しているが、そのパイオニアは篠塚さんであり、唯一無二の存在だった。

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