この記事をまとめると
■かつて日本では全日本ツーリングカー選手権(JTC)が開催されていた■JTCのグループA車両は対象車種が多くそのシルエットが市販車に近いことで人気を得た
■グループA規定は世界ラリー選手権(WRC)でも採用されていた
スーパーGTよりも多くの人を熱狂させたJTC
1994年にスタートした全日本GT選手権(JGTC)を受け継ぎ、2004年から国際シリーズとして開催されるようになったスーパーGTは国内最大級の人気を誇るレースに成長。抜群の観客動員数を記録しているが、そのスーパーGTを凌ぐ人気を誇る“箱レース”が日本で開催されていたことをご存じだろうか?
そのレースとはJGTCが始まる少し前の1985年から1993年まで開催されていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)で、数多くのファンがサーキットに来場。まさに伝説の箱レースとして語り継がれるほど、人気レースに発展したのだが、その原動力となったのが、主力モデルとなっていたグループA車両だった。
グループAとは1982年にFIAが導入したツーリングカーの国際規定で、連続する12カ月間に2500台以上の生産実績を持つ4シーター以上の車両がホモロゲーションの対象だった。
このグループA規定は世界ツーリングカー選手権(WTC)、ヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETC)のほか、イギリス、ドイツなど各国のツーリングカー選手権でも採用されたことから、多くの自動車メーカーがグループA車両をラインアップ。その結果、グループA規定を採用したレースは車種バリエーションが多彩で、前述のJTCを例に見ても、トヨタ・カローラレビン(AE86)、ニッサン・スカイライン(R30)、ホンダ・シビックSi、三菱スタリオン、BMW M635、ボルボ240ターボが初年度からエントリーしたほか、その後はトヨタ・スープラ(MA70)、フォード・シエラRSコスワース、ニッサン・スカイラインGT-R(R32)、BMW M3などがエントリー。

この多彩な車種ラインアップがグループAの人気を支えた要因のひとつで、多くのファンが各マシンの対決を満喫していた。
また、グループAにおける特徴が“改造範囲”で、グループAではグループBよりも狭く、グループNよりも広い範囲で改造を実施していた。そのため、グループA仕様車は、見た目は市販車に近く、エンジンは500馬力以上……といった状態で、まさに“羊の皮を被った狼”といった仕上がりになっていた。

この市販車に近いながらも抜群のパフォーマンスを備えていたこともグループAの人気を支えていた要因といっていい。
人気の秘密は市販車に近いシルエットのマシンたち
「やっぱり、シルエットが市販車両に近かったことがグループAの人気につながっていたと思います。そういった親近感にプラスして、エンジンはバリバリにチューニングしていたことでパワーもあったし、タイヤ幅も狭かったので、アクションが大きくなりますよね。だから、そういった豪快な走りが見ている側も楽しめたんだと思います」。

そう語るのはJTCのラストイヤーとなった1993年にスカイラインGT-Rでチャンピオンに輝いた影山正彦氏だ。

さらに影山氏は「いまのスーパーGTは市販モデルと違って見た目が派手ですよね。
「グループAといえば、JTCの最後の年(1993年)の最終戦、富士のインターテックの光景が忘れられない。100Rを立ち上がってヘアピンに入ったら、アウト側の一面がすべてファンで埋まっていました。それに最終コーナーを立ち上がってストレートに帰ってきたらメインスタンドもお客さんで満員の状態。当然、ドライバーとしてはテンションが上がりましたね。あんな光景はあとにも先にもなかった」。

この影山氏の言葉からも、いかにJTCおよびグループAが人気を集めていたかが、窺い知れるだろう。
ちなみにグループA規定はラリー競技の最高峰シリーズ、世界ラリー選手権(WRC)でも1982年から1997年にかけて採用されており、こちらにおいても多彩な車種ラインアップおよび市販車に近いシルエットで人気を博していた。
2000年から2001年のWRCおよびAPRCに三菱ランサーのグループA仕様車で参戦していた田口勝彦選手は「グループAは市販車に形が近かったですからね。WRCで走っているクルマと日本で販売されている市販車がつながっていたので、そこが人気の理由だったと思います」と語る。

とはいえ、グループA車両は特殊なマシンで、「グループNと違って、グループAはパワーもあったし、トルクもありました。
このようにグループAはラリー競技においても特別な存在で、まさにモータースポーツシーンで大きな成功を収めたカテゴリーだったのである。