この記事をまとめると
■スカイラインGT-R(BNR32)はグループAでの優勝を目指して開発された



■国内レースはもちろん海外のレースにも積極的に参戦していた



■多くのレースで輝かしい成績を残し名実ともに世界最強のツーリングカーとして君臨した



海外でもR32は最強!

インターTECでの優勝を皮切りに、グループAレースで世界制覇を狙うことを目指して、16年ぶりに復活したスカイラインGT-R(BNR32)。



その性能は圧倒的で、国内ではグループAレースで29戦29勝無敗。

N1耐久でも29戦28勝の大記録を達成しているが、じつは海外でもビッグレースを制しており、世界制覇と呼ぶにふさわしい輝かしい成績を残している。



グループAの29戦29勝だけじゃない! 日産スカイラインR3...の画像はこちら >>



R32GT-Rが日本専売モデルだったことを考えると、ちょっと意外かもしれないが、そうした海外での主なレース実績を振り返っておこう。



海外遠征での初勝利は、1990年のスパ・フランコルシャン24時間レース。このレース、ニスモは3台のR32GT-Rを送り込み、グループNクラスで1-2-3フィニッシュを達成!



グループAの29戦29勝だけじゃない! 日産スカイラインR32GT-Rは世界中のレースで無双してライバルを泣かせまくっていた
スパ・フランコルシャンに参戦するBNR32



同じ年、F3世界イチを決めるマカオGPと併催されるツーリングカーによるギア・レースにグループA仕様のGT-Rがもち込まれ、名手長谷見昌弘のドライブで総合優勝。



グループAの29戦29勝だけじゃない! 日産スカイラインR32GT-Rは世界中のレースで無双してライバルを泣かせまくっていた
マカオGPを走るBNR32



プライベーターではあるが、ニュル24時間レースにも出場し、グループNでクラス優勝。イギリスのブリティッシュサルーンカー選手権(グループN)でもチャンピオンに輝いている。



続いて1991年。この年のスパ・フランコルシャン24時間レースには、本命ともいえるグループAのR32で殴り込みをかけ、見事総合優勝。2位に21周の大差をつける圧勝ぶりで、グループNクラスも制覇。



グループAの29戦29勝だけじゃない! 日産スカイラインR32GT-Rは世界中のレースで無双してライバルを泣かせまくっていた
スパ・フランコルシャンで優勝したドライバー



マカオにも出場したが、前年の圧勝ぶりが仇となり、多くのハンデを科せられたため、総合4位にとどまってしまったが、オーストラリアのバサースト1000(km)ではぶっちぎりで優勝(グループA)。同じくオーストラリアのツーリングカー選手権でもチャンピオンになっている(グループA)。



グループAの29戦29勝だけじゃない! 日産スカイラインR32GT-Rは世界中のレースで無双してライバルを泣かせまくっていた
オーストラリアのレースを走るBNR32



そして、ニュル24時間レースでもグループNで優勝し、前年に続き2連覇を達成。

イギリスのブリティッシュ サルーンカー選手権(グループN)でも2年連続チャンピオン。そのほか、ニュージーランドのグループAレースで総合3位に入った記録も残っている。



グループAの29戦29勝だけじゃない! 日産スカイラインR32GT-Rは世界中のレースで無双してライバルを泣かせまくっていた
ニュル24時間レースに参戦するBNR32



1992年もニスモはスパ・フランコルシャン24時間レースにエントリー。グループAのGT-Rは前年のパフォーマンスから90kgものウエイトハンデを科さられ、BMWのM3軍団がGT-Rの前に立ちふさがるが、決勝では早々にトップに立ち快走を見せる。しかし、ピットでの給油時に火災が発生し、リタイヤに……。それでもグループNでは相変わらずの強さでクラス優勝となり、見事3連覇を達成。



グループAの29戦29勝だけじゃない! 日産スカイラインR32GT-Rは世界中のレースで無双してライバルを泣かせまくっていた
スパ・フランコルシャンに参戦するBNR32



オーストラリアのバサースト1000でも、140kgのハンデウエイトと過給圧の制限を受けたが、それでもフォード・シエラやホールデン・コモドールを制して優勝を果たした。



マカオでは残念ながらリタイヤを喫したが、オーストラリアツーリングカー選手権ではチャンピオンに。



1993年は、スペインのツーリングカー選手権でチャンピオン(グループN)になったほか、アメリカのパイクスピークスヒルクライムのオープンクラスでクラス優勝!



なお、1994年にはデイトナ24時間レースにも参戦している(結果は総合20位、クラス10位)。



グループAの29戦29勝だけじゃない! 日産スカイラインR32GT-Rは世界中のレースで無双してライバルを泣かせまくっていた
デイトナ24時間二、三円したBNR32



日本でのグループAレースは1993年で終焉を迎えるが、1990年のグループAレースデビューから、1993年のラストレース=インターTECまでR32GT-Rが無敗だったように、この4年間、R32GT-Rは世界に打って出てもまさに最強のツーリングカーだったことに異論がある人はないだろう。

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