当時はパジェロでのラリー活動のほうが注目されていた
三菱から1990年代前半に登場したGTOとFTOは、1970年代に三菱が販売していたスポーティーカーの名前を復活させたモデル。
GTOは1990年のデビューなので、ホンダNSXやトヨタ・スープラ(A70型)の2.5GTツインターボなどと同期。日産のスカイラインGT-Rはその前年=1989年、マツダのRX-7(FD3S)は、1992年の登場なので、こうしたクルマがライバルだった。
三菱としては、スタリオン以来のスポーツモデルで、当時の国産車としては、NSXを除き、もっともスーパーカーっぽいスタイリングを与えられている。
スペックはなかなか立派で、エンジン出力はそのころの国産車の自主規制で上限だった、280馬力を発生する3リッターターボのV型6気筒、6G72型。このエンジン、試乗した限りノーマルでも280馬力以上のパワー感があった。またパワー以上にトルク感があり、カタログ値も43.5 kgf-m/2500rpmと、R32GT-Rの36.0kgf-m/4400rpmを圧倒。とくにピークトルクが2500rpmと低いのは大きな特徴で、発進時は5速でもアイドリングのままクラッチ操作だけで動き出せたほど! このパワー&トルクを4WDで確実に路面に伝えるので、トラクション性能は優れていた。

またディメンションも、全長4590mm、全高1285mm、全幅1840mm、ホイールベース2470mmと立派で、車高はGT-Rよりも55mm低く、全幅は国産乗用車では最大級だった(R32GT-Rより85mmも広い)。
しかも価格はR32GT-Rより50万円も安かったので、これだけ見れば大ヒットしてもよさそうだし、三菱もそう思って世のなかに送り出したのだろうが、市場の反応は冷たかった……。

なぜ、GTOが1900年代スポーツモデルのなかで埋没してしまったかというと、まず三菱にスポーツカーというイメージが希薄だったことが挙げられる。昔のラリーやパリダカールラリーでのパジェロの活躍は知っていても、ロードモデルで三菱というのはイメージが薄かった。

そしてベースが、3ナンバー時代の先駆けとなったFFセダンのディアマンテというのもいただけなかった。スカイラインもセダンベースではあるが、あちらは日本を代表するスポーツセダン。ディアマンテはBMWのデザインを横目で見ながら仕立てた、ちょっと高級風なFFセダン。
フロントのストラットサスも古くさく、横置きなのにオーバーハングにエンジンが載っていたので、フロントヘビーで曲がるのは苦手……。車重も1700kgと重く、加速性能は優れていても、サーキットやワインディングを得意とするクルマではなかったのが痛い。

人気がないので、アフターパーツも種類が少なく、結局GT-RやNSX、スープラ、RX-7などのライバルとしては認められずに終わってしまった……。
タイプRの登場でFTOの存在感が薄まってしまった……
反対にもう1台の二代目FTOはもっと評価されてもよかったクルマ。一番の特徴は、和製クーペフィアットといわれた斬新なデザイン。ホイールベース・トレッド比(ホイールベース÷前後トレッドの平均値)が、1.7を下まわる1.68だったので、操縦性、機動性優位のディメンションだったといっていい。

シャシーのベースはミラージュだったが、剛性感もしっかりしていて、ハンドリングのレベルは高く、ワインディングなどではかなり気持ちよく走れる1台だった。エンジンも可変バルブタイミング・リフト機構=MIVECを採用した2リッターV型6気筒のNAの6A12型(200馬力)を搭載。

これも中間加速に優れたドライバビリティのいいエンジンで、エキゾーストも乾いた良い音でなかなかのし上がり。また、ポルシェのティプトロニックを応用した、国産初のマニュアルモード付きAT=INVECS-II(4速ATでデビューし、マイナーチェンジで5速化)を採用したのもトピック(MTもあった)。

しかし、このクラスのFFスポーツというと、ホンダのインテグラ・シビックという強力なブランドがあり、FTOのデビュー1年後の1995年には、FFスポーツの革命的存在、インテグラタイプRが登場! どちらかといえば、スポーツカーというよりスペシャリティカー的な存在で、スタイリングも先進的過ぎた部分があったFTOは、メジャーな存在にはなりきれなかった。

その後、三菱はランサーエボリューションシリーズを送り出し、WRCを席巻。サーキットでも大活躍して、そのハイパフォーマンスぶりが認められていくわけだが、FTOももう少し三菱のモータースポーツイメージが高まってから登場していれば、もっと人気が出ていたと思われる。そう意味ではとっても惜しい一台だ。