メルセデス・ベンツは約80年前に安全への取り組みをはじめていた
メルセデス・ベンツは、1939年に安全の取り組みをはじめている。日本では、その3年前の1936年に、トヨタ自動車がAA型と呼ばれる最初の乗用車をつくった時代に近い。
ガソリンエンジン自動車は、ドイツのカール・ベンツによって1886年に誕生しているので、メルセデス・ベンツにとっての1939年は、自動車づくりですでに53年もの経験を積んでいた時代になる。
バレニーは、メルセデス・ベンツに34年間在籍し、その間に2500件に及ぶ特許を取得した。なおかつ、「エンジンよりも先に人間を」の基本的考えにより、特許はすべて無償公開している。
バレニーの功績の一つが、今日ではすべての自動車に適用されている衝撃吸収車体構造だ。これは、衝突する車体前後は潰れやすくすることで衝撃を吸収し、客室部分は堅牢な構造として人命を守る考えに基づいた車体設計である。この設計を用いたメルセデス・ベンツ180は、1953年に発表されている。トヨペットクラウンが誕生したのは、その2年後の1955年のことだ。自社開発にこだわったトヨタがようやくクラウンを発売したとき、メルセデス・ベンツは衝突事故を視野に入れた乗用車を実現していたのである。

メーカー自身が事故の原因調査をすることで安全性を高めていった
1969年には、メルセデス・ベンツの技術者みずから事故現場へおもむき、実態調査を行う事故調査を開始した。その2年前には、エアバッグの開発にも着手している。
みずから事故調査をおこなうことで発想されたのが、前面衝突事故でのオフセット衝突の考えだ。

さらに、事故を起こさないようにする取り組みとして、メルセデス・ベンツは、ABS(アンチ・ロック・ブレーキング・システム)を1970年に発表した。85年には、ASR(アクセレレーション・スキッドコントロール)を発表している。それらは、順次すべての車種に搭載されていくことになる。
メルセデス・ベンツの新車開発の根底にある思想は、「シャシーはエンジンよりも速く」である。つまり、馬力にまかせて速く走ることよりも、高いシャシー性能によって安全に走行できるクルマづくりを目指すという意味だ。
メルセデス・ベンツと同様に、スウェーデンのボルボも、安全なクルマとして世界的に知られている。1927年に乗用車の生産を開始するにあたり、その試作段階で試作車が道路をはずれ衝突する事故を経験した。そこから、ボルボは気候条件の厳しい北欧で、人を中心とした安全かつ丈夫なクルマ作りを基本としてきたのである。その取り組みのなかから、3点式シートベルトを1959年に開発し、その特許を無償公開している。

またメルセデス・ベンツと同様に、1970年からみずから事故現場へおもむいて調査する調査隊を結成し、車両の状態だけでなく乗員の様子なども調べあげ、安全技術や安全機能の作り込みに活かしている。
日本では、たとえばオフセット衝突に対応したトヨタのGOAボディが採用されたのが1995年のことである。ことにメルセデス・ベンツやボルボが安全なクルマとして広く認識され、信頼されている背景に、事故現場での調査など含め、取り組みの歴史と知見に他社と大きな開きがある。
