この記事をまとめると
■高級車ブランドの誕生には欧州の階級社会が大きく影響している■日本に自動車が伝来した頃、当然ながら日本車メーカーはなく貴族たちは舶来品を好んだ
■日本メーカーはアメリカメーカーを手本にしており、アメリカも大衆車メーカーしかない
貴族向けの商品だった自動車を作るメーカーが日本にはなかった
日本は、こんなに狭い島国なのに世界的な自動車メーカーがいくつもあってスゴイというのはよく聞く話だ。実際、グローバルに1000万台規模で売るトヨタグループだけでなく、二輪シェアトップのホンダもあれば、ルノーとアライアンスを組んでいる日産・三菱があり、マツダ、スバル、スズキ……、と自動車メーカーは数多い。
しかしながら、これだけ世界的メーカーがありながら、どれも大衆車メーカーというのは不思議な話だ。
簡単にいえば、欧州は階級社会であり、日本では貴族(華族)階級がクルマを求める時代に自動車メーカーが立ち上がらなかったという点に尽きるだろう。
実際、大正天皇の即位時(1912年)に最初の御料車として導入されたのはイギリス王室で使われていたデイムラーであったし、その後はロールスロイスが御料車として導入されている。さらに1932年(昭和7年)にはメルセデス・ベンツが採用されている。

一方で、トヨタが最初の量産モデルとなるトヨダAA型を生産しはじめたのは1936年であるが、これは元号でいうと昭和11年。このモデルは個人所有というよりもハイヤー・タクシーといったフリートユーザーがメインターゲットだった。天皇家に象徴されるハイソサエティな世界とは縁遠いクルマであったのだ。

さらにいえば、よく知られているようにトヨダAA型はアメリカ車を模倣して設計された部分が多い。つまり、アメリカ車のあり方、立ち位置をコピーしたともいえる。後述するが、こうした姿勢も日本の自動車メーカーが大衆車中心になったことに影響している。
日本においては上流階級の頂点といえる天皇家が最初に自動車を導入するというときに日本にはまともな自動車メーカーが存在しなかった。
逆にいえば、自動車発祥の地であるイギリスでは、自動車という超高級品における最初の顧客層が王室など貴族向けだったことで、超高級ブランドが生まれる下地があったといえる。

階級のない社会であるアメリカのメーカーを日本メーカーも真似た
フェラーリについては、また違った方向から生まれたブランドだ。そもそも創始者のエンツォ・フェラーリはアルファロメオのワークスドライバーだったわけだが、アルファロメオがブランドイメージを高くしたのはモータースポーツでの活躍が大きい。

フェラーリはなおさらで、F1グランプリに参戦し続けていることが同ブランドの価値を生み出しているといえる。20世紀初頭からモータースポーツが社会的に認められていたからこそ、スポーツカー専業メーカーが成立する土壌があった。

翻って日本の状況を考えると、常設サーキットが初めて誕生したのが1936年のこと。それは川崎市中原区にあった「多摩川スピードウェイ」というダートオーバルのコースだった。
そんな多摩川スピードウェイの跡は土手に残るコンクリート製のグランドスタンドでうかがううことができたが、2021年秋の護岸工事によってその跡地も取り壊されたという。21世紀になっても自動車文化、モータースポーツへのリスペクトがない国でスポーツカー専業ブランドが生まれなかったのは当然のことだったのかもしれない。
さて、日本の自動車業界には超高級ブランド、スポーツカー専門ブランドがないという前提で話を進めてきたが、それはアメリカも同様だ。世界最大の自動車市場といえる北米で育ってきた、かつてビッグスリーと呼ばれたGM(ゼネラルモーターズ)、フォード、クライスラー(現在はステランティスの一部)にしても、どれも大衆車メーカーといえる。

電気自動車で新しいブランド価値を切り開くテスラモーターズにしても、お金に余裕のあるアーリーアダプター(新しもの好き)向けのブランドという立ち位置ではあるが、超富裕層向けの高級ブランドというわけではない。

ベンチャー的に超少量生産のスポーツカーブランドはあるが、やはりアメリカでもロールスロイスやフェラーリのようなメーカーはこれまで生まれていない。
それはアメリカこそ生まれながらの階級がないという前提の社会であって、その中では高価格帯の高級車は存在しえても、貴族や王族向けの自動車というニーズは生まれなかったからといえる。
そして、日本の自動車メーカーはその多くがアメリカ車の考え方やアプローチを参考にして成長してきた。そうした時代的な背景も日本の自動車メーカーがどこも大衆車ブランドばかりになったポイントといえるだろう。