この記事をまとめると
■1980~90年代、日本車メーカーは5ドアハッチバックなるモデルを登場させた



■5ドアハッチバックはステーションワゴンに取って代わられてブームには至らなかった



■2003年に登場したとあるクルマによって5ドアハッチバックは完全に市民権を得た



登場しては消滅を繰り返した5ドアハッチバックの苦難の歴史

1980年代後半から1990年代にかけて5ドアセダンブームとも呼べる現象があった。正確に言えばブームにしようとメーカーが頑張ったが市場がそれについてこなかった感じなので、「ブーム未遂」と表現した方が良いかもしれない。



ここでいう5ドアセダンとは少々定義が難しいのだが、セダンから派生したものをそう呼び、3ドアハッチバックがあるモデル、たとえばかつての日産マーチのように3ドアと5ドアの2ボックス車のハッチバックは含まないとする。

なので、イメージ的には5ドアノッチバックとか5ドアセダンハッチバックとか、とするのが良いのかもしれない。



ちなみに、その5ドアセダンの原点は、日本車では3代目トヨタ・コロナの1965年の改良の際に追加されたその名もズバリ「コロナ5ドアセダン」である。



日産もホンダも三菱もマツダも挑んでは散っていった「5ドアセダ...の画像はこちら >>



当時の謳い文句としては「流体力学的」に優れた形状、つまり空気抵抗が少ない、的なメリットが語られているが、果たしてその真意はユーザーに伝わらなかったフシもあり、次世代へのモデルチェンジを待たずして、1968年にはラインアップから落とされている。



しかしながら、よほどコロナ開発陣は5ドアセダンへ思いが強かったのか、以後5世代目で5ドアリフトバック(LB)なる名称で復活。6代目では消滅するも、FF車としてスピンオフした8代目には5ドアリフトバックが復活し、ようやくここでようやくブレークした印象があった。



日産もホンダも三菱もマツダも挑んでは散っていった「5ドアセダン」という難ジャンル! 日本に根付かせた「意外すぎる」1台とは



そして9代目にもリフトバックは設定され、これがセダンをも超える流麗なデザインで評価も高くそこそこ売れた。



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続く10代目にもリフトバックは設定されたが、そこで折り悪くステーションワゴンブームが到来して一気に失速する。



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それを促したのは、奇しくもそのブームの中でも爆発的に売れた名車であり、コロナの兄弟車でもあった、初代カルディナの存在で、セダンとワゴンの中間的な5ドアリフトバックは存在意義を失い、最後のコロナである11代目には5ドアリフトバックは設定されなかった。



マツダ・日産・ホンダ・三菱が市場投入するもカルトモデル化

期せずして前振りだけで随分長くなってしまったが、5ドアセダンがもっとも輝いていた「ブーム未遂」時代、その頂点に君臨した1台として、5代目カペラに設定された5ドアモデル、カペラCGの名前を挙げておきたい。CGは City Gearの頭文字をとったものでその名に相応しい垢抜けた雰囲気が特徴だった。従来の5ドアセダンが、コンベンショナルな4ドアセダンの派生車種的な色合いが強かったのに対して、カペラCGのデザインはむしろ4ドアセダンのほうが後付けに見えるほどのまとまりを見せており、全長は同じながら、スラッと車体が長く低く見えることに驚かされたものだった。



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5代目カペラはスタイリングもさることながら、新しいもの尽くしで、世界初となる電子制御車速感応型4WS、プレッシャーウェーブスーパーチャージャー・ディーゼルといった新装備を満載しており、今にしてみれば、これがSKYACTIVの原点だったんじゃないか、と思いたくなるようなキレッぷりだった。



当時のマツダは1985年と1989年にマツダ323ことファミリアが、ドイツでかの「ゴールデンステアリング賞」を受賞したことで欧州で自信をつけており、5ドアモデルの設定に関しても欧州ですでに同カテゴリーが普遍的な人気を博していたことから、「欧州の風」を日本にも吹き込ませたい狙いがあったはずだ。さらに、1992年には626(カペラ)も同賞に輝いている。それに歩調を合わせるかのように、当時の自動車雑誌や関連メディアでは、5ドアセダン=欧州車では普遍的な存在、という表現をよく目にしたが、結局のところそれは日本のユーザーに浸透することはなかった。



また、コロナに関する記述でも触れたが、1990年代に入ると、それまでの商用のライトバンとは一線を画した、乗用のステーションワゴンがブームとなり、カペラにもブームを牽引するほどまでの人気となった、カペラカーゴが登場したことによってCGの存在意義は一気に薄れてしまったのである。



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日本では1980年代後半からのブーム未遂時以外にも、5ドアセダンは数多のメーカーが挑戦を挑み、そして散っていったジャンルとして知られている。有名なところであれば、R30スカイライン、ホンダ・コンチェルト、三菱エテルナ・サヴァ、トヨタ・スプリンターシエロ、プリメーラGT他が挙げられるが、いずれもネット記事などで「過去のカルトモデル」の常連として扱いを受けている車種ばかりである。



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と、ここまで原稿を書き進めてきて、ふとセダン派生ではないものの(初代はセダンだが)、いつの間にか5ドアセダンというカテゴリーを日本で普遍的な存在にしてしまったクルマがあることに気づいた。そう、プリウスである。



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プリウスが4ドアセダンから5ドアセダンへとシフトした理由は、空気抵抗の軽減からくる省燃費化、ということは誰の目に見ても明らかなことだが、それは奇しくも3代目コロナの5ドアセダンが唱えた「流体力学的」という概念と一致する。つまるところ、3代目コロナ・5ドアセダンの先進性はプリウスの登場によってようやく昇華されたという見方も出来るはずだ。



そして、ハイデッキ化されたことによって失われる後方視界はバックパネル面に垂直につけられたサブウィンドウが補うというのは、ランボルギーニ・エスパーダなどが試みたのと同じ手法であり、これもまた古のアイデアへの回顧である。



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内燃機関を搭載した自動車の最終進化形として、極く客観的に見ればプリウスの名前を挙げることに異論を挟む余地は無いが、期せずしてプリウスというクルマの奥深さを知る契機となったのである。

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