この記事をまとめると
■クルマメーカーのなかには航空機やそのエンジンなどを作っていた元航空機メーカーが多い■日本で有名なのはスバルと三菱で、スバルは現在もヘリコプターなどを手がけている
■航空機エンジンで培われたターボチャージャーの技術がクルマのエンジンに転用された
クルマと飛行機が世界最高の機械技術を育んだ
石炭を燃料として人々の暮らしに役立てた18世紀の産業革命後、燃料の主力は石油へ移った。それによって、19世紀末から20世紀にかけてクルマや航空機が新たな移動手段として誕生することになる。
元航空機メーカーで、そこからクルマへ移行したことで有名なのは、日本ではSUBARU(元富士重工業)だろう。
スバルがスバル1000以来登録車で永年使っている水平対向エンジンは、航空機用の星型エンジンから中央の2気筒を活用したとされる。SUBARUには現在も航空宇宙カンパニーの部門があり、先ごろ新多用途ヘリコプターUH-2の試験飛行を行ったほか、新型ヘリコプター412EPXの警察庁への納入や、海上保安庁からの受注などを発表している。

56年前に日産自動車と合併したプリンス自動車工業も、元は航空機メーカーだった。技術に凝ったクルマ作りで評判だったが、経営はうまくいかなかった。ちなみに日産は、かつて航空宇宙部門を持っていた。そのカーボンファイバー技術が、スカイラインGT-Rに応用されたことがある。
三菱自動車工業は、三菱重工業の自動車部門から1970年に独立したメーカーで、三菱重工業といえば、ゼロ戦(零式艦上戦闘機)を開発したことで知られる。これをライセンス生産したのは、SUBARUの源流となる中島飛行機であり、生産数の6割を占めたといわれる。

創業時は、自転車にガソリンエンジンを取り付けた原動機付自転車からはじまったホンダは、創業者である本田宗一郎の夢であったとされる航空機事業へ乗り出し、ホンダジェットを実用化した。

海外の老舗自動車メーカーにも空出身は多い
ドイツでは、BMWが航空機エンジン製造で創業したことで知られる。そのエンジンの元となったのは、ダイムラーのエンジンだ。

ダイムラーの創業者であるゴットリープ・ダイムラーは、ガソリンエンジンを実用化したアウグスト・オットーとともに開発に携わった人である。

ガソリンエンジン自動車の発明者として特許を取得したカール・ベンツと違い、ダイムラーはクルマにこだわらず、船や航空機もエンジンで動かすことに関心があり、陸海空を制する意味で、スリー・ポインテッド・スターという、今日のメルセデス・ベンツ象徴の由来となっている。

英国のロールス・ロイスはガソリンエンジン車で創業したが、第一次世界大戦で航空機エンジンも開発・製造することになった。そもそも、運転が容易で滑らかに走るのが特徴だったロールス・ロイスのクルマは、やがて高級車メーカーとして名を馳せるが、同時に信頼性の高い航空機エンジンメーカーとしての知名度も高い。現在、クルマ部門はドイツのBMWグループに所属し、航空機などのエンジン部門は別会社となっている。
スウェーデンのサーブは、軍用航空機のために設立された。そして第二次世界大戦後にクルマの製造をはじめる。その点は、元航空機メーカーに由来を持つ日本の自動車メーカーに通じる。サーブは、戦後も民間用の小型飛行機を製造し、日本でも地域を結ぶコミューターとして使われてきた。

ジェットエンジンの前の時代、クルマと同じレシプロエンジンを航空機も使っていたころには、高度を飛ぶためターボチャージャーが不可欠であり、その技術を応用したターボエンジン車を1977年にサーブ99ターボとして発売している。BMWも、ターボ技術を活かした2002ターボを1973年に発売している。

一方、経営面でサーブは米国のゼネラル・モーターズ(GM)の傘下になるなどを経て、2017年にその名はクルマ社会から消えている。
イタリアのトリノに創業したフィアットも、のちに航空機用エンジンの開発に着手し、第一次世界大戦や第二次世界大戦の当時は、航空機の製造も行った。フィアットの1年前にフランスで創業したルノーも、第一次世界大戦前後には、航空機やそのエンジンの製造を行ったことがある。じつはポルシェも、一時、航空機用エンジンに参入しようとしたが、1991年に撤退している。