東京大学演習林軌道 森の鉄路の攻防|産業遺産のM&A

東京大学は日本国内に千葉演習林、北海道演習林、秩父演習林、田無演習林、生態水文学研究所、富士癒しの森研究所、樹芸研究所と7つの地方演習林を所有している。そのうち、1916年と最も古くに開設され、規模においては北海道演習林に次ぎ総面積5812ヘクタールを擁するのが秩父演習林である。

荒川水系の上流にある秩父湖のさらに奥、滝川、入川といった清冽な河川の流域をめぐる広大な山々の森を演習林として育成し、また研究に活用してきた。

その演習林内には、いくつかの森林軌道が敷かれていた。主に、伐採した木材を運搬するための鉄道である。馬車からトロッコへ。おそらく森林軌道が活躍した昭和初期には、運搬した木材はもちろんのこと、薪や炭などの林産品を入札によって民間に卸し、大学の収入源とした時期もあったはずだ。

林業と水利権と

東京大学演習林軌道は、その水系によって大きく入川線と滝川線に大別できる。入川線は現在の川又・入川集落から奥の林道に沿って西へ、赤沢吊橋のある赤沢谷出合まで。滝川線は同じく現在の川又から滝川に沿って上流の豆焼沢という沢の出合までである。

この東京大学演習林軌道は、演習林そのものとは別に、軌道の敷設・管理などを民間会社に委託していた経緯もあり、その民間会社において、いくつかのM&Aが繰り広げられてきた。

まず、1920年代後半、東京大学(東京帝国大学)は現在の入川林道の一部に入川線の軌道敷設を始めたが、敷設そのものを東京大学が行ったわけではない。実際の敷設を請け負ったのは、当時、演習林内の木材などの払い下げを受けていた関東木材という会社だった。

また、現在の入川から下流、秩父湖のダムがある二瀬までは、木材の運搬用ではなく工事用の軌道が敷設されていた。それは東京電力の前身の1つである関東水電によるものだった。

広く「山の水」という観点で見ると、関東水電は群馬県の尾瀬の水利権を所有していた会社で、1929年、その関東水電と信越電力、東北電力が合併して東京発電となり、1930年代に東京発電は東京電灯と合併して東京電灯となった。その東京電灯は尾瀬に巨大なダム湖をつくる計画を発表して物議を醸した会社である。そして、東京電灯は戦後、尾瀬の大発電計画を打ち立てた関東発電と合併し、第2次大戦後の1951年に東京電力<9501>となった。

森林軌道というと、「木材を運ぶトロッコ列車」をイメージするが、上流の水利権をめぐる開発の手段という重要な役割も担っていた。

秩父木材工業の台頭

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現在の赤沢吊橋。渓流釣りを楽しむ人や登山者も訪れる

話を東京大学演習林軌道に戻そう。1930年代、関東水電の二瀬(秩父湖)発電所建設のための資材運搬用の軌道は、奥秩運輸組合という組織に譲渡された。

そして東京大学は入川線を現在の赤沢吊橋に向けて延伸するとともに、関東木材が敷設した初期の軌道に対してM&Aを行った。その後、1950年代に関東木材は東大演習林からの林産物の入札から離れるようになり、代わって秩父木材工業という会社が独占的に林産物を卸すようになった。

このように東京大学演習林軌道の維持管理の主役・脇役が入れ替わるなかで動き出したのは、昭和初期に関東水電の発電所建設のための資材運搬用の軌道を関東水電から譲り受けた奥秩運輸組合である。同組合は、発電所建設のための軌道を秩父木材工業に譲渡することになった。

上流の水利権をめぐる開発の手段という重要な役割も担っていた森林軌道が、「木材を運ぶトロッコ列車」にその道を譲ったということになるだろうか。

1960年代に西武が乗り出す

東京大学演習林軌道は、演習林からの林産物とともに秩父木材工業が維持管理するようになった。ところが、その秩父木材工業に対して、1950年代後半に復興社という会社がM&Aを行った。

復興社とは西武鉄道傘下の企業で、1941年に東京耐火建材として設立され、1946年に復興社に商号を変更。そして、1961年に西武建設に商号を変更した経緯がある。

1960年代に、東京大学演習林軌道の維持管理、運営に関東私鉄の雄・西武鉄道が乗り出したのである。

重要な「地の利」

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現在も残る軌道跡。古の鉄道探索を楽しむ人もやってくる

ときを経て1980年代になり、東京大学演習林軌道にとって新たな転機が訪れた。森林軌道そのものは1969年に全線が廃止されている。だが1980年代に入り、入川線の奥、現在の赤沢吊橋の周辺に発電所取水工事を行う際に、その資材を運搬するために東京大学演習林軌道跡を利用することが決まったのである。もちろん完全復活とはいえないが、補修すべきところを補修し、軌道跡を再運用することが決まった。そして、その運用にともなう軌道改修工事は地元秩父市影森に本社を置く三国建設という会社が担うことになった。

1983年に改修工事は完了し、1984年に三国建設による運用は終了することになる。あくまで素人判断になるが、この時期、資材運搬用の軌道整備を超えて、より観光的見地に立って軌道を敷設し直し、さらにトロッコを走らせることができれば、その軌道は今日のエコツーリズムの一翼を担う可能性も秘めていたのではないだろうか。

三国建設は秩父市で50年以上にわたり、山間土木を中心として吊橋、山道の整備、伐採などの特殊な技術を培ってきた。

現在は建設工事、森林整備、施設の維持管理業務のほか、生コンの製造販売なども行う地場の有力企業となっている。

また、別会社として、秩父市大滝地区で「ウッドルーフ奥秩父オートキャンプ場」のほか、かつての東京大学演習林軌道の起点近くの入川地区で「トラウトオン‼ 入川観光釣場」というアウトドア施設も経営している。

現在、入川から奥に軌道跡を歩くと、朽ちた鉄路や枕木、石積みや橋脚など、往時を偲ぶものが数多く残っている。その軌道跡は東大をはじめさまざまな大学・機関の研究の場であるとともに、奥秩父の山に入る登山者、渓流釣りを楽しむ人にも親しまれている。

文:M&A Online編集部

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