
ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手の活躍がニュースを埋め尽くす一方、SNSなどでは一部、「野球部はクソ」という声も上がっている。こうした野球部をはじめ体育会系をめぐる「ねじれ」が生まれた背景を考察したのが、本や映画好きの文化系ながら中高大と野球部で体育会系にまみれた中野慧氏だ。
今企業に求められているのは選手よりもマネージャー
――本書のタイトル『文化系のための野球入門「野球部はクソ」を解剖する』のインパクトがすごかったです(笑)。
中野慧(以下同) 以前、マツコ・デラックスさんがテレビで「野球部は十中八九クソ野郎」と発言して、SNSで話題になったことがありました。
ネットではどうしても極端な反応が出やすく、日本で「野球」という文化や、「野球部」という属性が、「性別=男」や「民族=日本人」と似たような、社会的に権力を持ち、それ以外の人たちを抑圧するマジョリティである、という認識を持つ人たちが少なくないからでしょう。しかし、現実はもう少し複雑です。
――2023年夏の甲子園では「エンジョイ・ベースボール」というスローガンを掲げた慶應義塾高校野球部が優勝した時もSNSで様々な反応が出ました。
草創期の日本野球はもともとエリートを育成する「帝国大学」で学ぶための準備教育を施す第一高等学校にいた学生たちが中心となって発展したサブカルチャーでした。
一般的に「高校野球=日本軍っぽい」とイメージされますが、いわゆる軍隊的な「体育会系」文化は戦前はそれほど濃くなく、戦後に大きく拡大したものなんです。
日本において少年の夢というと戦前は軍人、戦後は野球選手へと変化していくのですが、日本のメインカルチャーだった武道は敗戦を機にGHQに禁止され、逆にサブカルチャーだった野球が推奨されていくことで、その立ち位置が入れ替わっていったことも関係しています。
――高度成長期など日本の経済発展の際には、体育会系の学生・生徒たちは身体も鍛えていて健康であり、上下関係もしっかりしているということから、企業はスポーツ経験者を優先的に採用していきました。しかし、現在では求められる人材も変わっています。
慶應義塾高校の甲子園優勝は「脱・体育会系」を象徴する出来事と言えます。
近年、企業側の旧来の体育会系人材に対する評価は低くなっており、むしろ体育会系のマネージャー経験のある方を高く評価する傾向にあります。
――それはなぜでしょうか?
野球部のマネージャーというと、何も考えていなければ補助的な業務だけになってしまいがちですが、現代の体育会系マネージャーは大ヒット小説『もしドラ』のようなトレーナーの勉強をして現場で実践したり、SNS広報企画をしたりと自主的な課題設定ができる人が多いんです。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉で有名なリクルートの創業者・江副浩正イズムを学生時代に自然に実践しているわけですから、企業から求められるのも当然です。
一方、惰性で練習だけやっている選手は、VUCA(変化が激しく予測が困難な状況)の時代には企業に求められなくなりつつあります。
SNSでは「体育会系」や「野球部」への批判が盛んですが、現実に起きている変化が無視されたまま、「どうせ単純で愚かなんだろう」といった偏見だけが強化され続けているのは問題です。社会全体で、スポーツや「身体」への解像度をもっと高めていくべきです。
いま必要なのは、野球や体育会系を揶揄の対象にして共同性を確認することではなく、そこに潜む身体性や社会関係の深層を見つめ直す批評眼だと思います。
ディズニーランド化するプロ野球観戦
――日本のプロ野球だとコロナ禍以降に中野さんが観戦していて、すごく変わった部分などはありますか?
印象論ですが、昔と比べると観客が試合途中に帰らなくなったと感じます。プロ野球のライブエンターテインメントの希少性に観客が気づいたのかもしれませんし、もう一つは「勝ち負けにこだわる」という勝利至上主義の感覚が薄れたのかもしれません 。
たとえば昔なら、横浜ベイスターズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)が強かった頃に九回にクローザーの「大魔神」こと佐々木主浩投手が出てきたら、相手チームのファンがゾロゾロと帰途につく光景がよく見られました。
今は勝ち負けだけではなく、自分が応援しているチームを最後まで応援し続ける。負けている状況では若手のチャンスをつかみたくてもがいている選手たちが出てくることもあるので、彼らの頑張りを見守るわけです。
――「AKB48は高校野球をイメージしていた」と秋元康さんも言われていますが、AKB48以降に発展したアイドルの推し文化や、IT企業が親会社になることで観客を球場に呼ぶ工夫をしていることも変化に関係していそうです。
そうですね。さきほどの解像度高く、より深くスポーツを楽しむという見方が出てきた。もう一方ではIT企業が親会社の球団などはいろんな工夫をして集客しているんですが、すごくディズニーランド的なんです。
アメフトのスーパーボウルのハーフタイムショーなどにかなり影響されていると思いますが、エンターテイメント化が著しくなっています。「ハレとケ」という言い方がありますが、観戦は「ハレの日」で本当に祝祭の日みたいになっていて、もともとあった縁日っぽい要素が拡大してエンタメ化されているんです。
プロスポーツにはもともと国民に対して「運動の奨励」という目的があったことを論じているんですが、それが現代では消えていき、すべて消費文化としてお金を使わせる方向に向かっています。
――客単価を上げていくという企業努力を惜しまないことによって、より消費文化が加速してしまう。
客単価を上げるという流れはコロナ以前からありました。しかしプロスポーツから「運動の奨励」という目的を取り去り、消費文化に全振りすると、スポーツの本義からますます離れていく、ということは意識される必要があると思います。
大谷翔平の前には野茂英雄、そして「タカ・タナカ」がいた
――先日、YouTubeでとんねるずの石橋貴明さんが食道がんを告白し「帝京魂!」と胸を拳で叩くシーンを見て、文化系とは正反対なまさに「体育会系」を感じました。
実は、石橋さんは映画『メジャーリーグ2』(1994年公開)に「タカ・タナカ」というファンキーな日本人メジャーリーガー役で出演しているので、アメリカでもレジェンド扱いされています。
石橋さんが取材に来ると、大谷と並ぶドジャースのスター選手であるムーキー・ベッツをはじめ、アメリカの人たちも「タカが来た!」とすごく喜ぶんです。「タカ・タナカ」は我々日本人が当初思ってもみなかった形で、日米を繋ぐ役割を果たしています。
――WBCで有名になったラーズ・ヌートバー選手は逆タカ・タナカとも言えるかもしれません。
ヌートバー選手の活躍で、日系人という存在に再び光が当たりましたよね。栗山英樹監督は視座が高い人なので、そういった社会的な意図も込みで、初めて日系人選手を日本代表に加えたのではないでしょうか。
ヌートバー以外にも「ベイビー・イチロー」ことスティーブン・クワン選手をはじめ、今のアメリカで日系人選手は活躍の場を広げています。
本書を書く中で日系移民の歴史にも触れましたが、私自身も含め日本社会はこうした海外移民に対する関心が驚くほど薄いと感じたんです。
――現在、大谷翔平選手が所属するドジャースというとやはり野茂英雄さんが1995年にメジャーリーグに挑戦した際に所属した球団と印象があります。調べてみると野茂さんの背番号16はタカ・タナカの背番号から選んだそうです。
野茂さんの歴史的インパクトについては私も考えていて、戦前に日系移民としてアメリカに移り住んだ両親を持ち、敵国として日本と戦った日系二世の人々の中には、野茂さんがドジャー・スタジアムのマウンドに立つ姿に感銘を受けた人も多くいたはずです。
東アジア系に対する人種的偏見が根強く残るなかで、ロサンゼルスなどのアメリカ西海岸の日系人の方々は野茂さんの活躍にすごく勇気づけられたのではないか、と思います。
ですが、日本のメディアにはそういうインパクトについての語りはほとんどないと感じています。
ロサンゼルスのリトル・トーキョーに「Rafu Shimpo(羅府新報)」という日系人向けメディアがあるので、今後ぜひその点を聞いてみたいな、と思っています。
取材・文/碇本学 写真/Shutterstock
〈プロフィール〉
中野慧 (なかの けい)
編集者・ライター。1986年、神奈川県生まれ。一橋大学社会学部社会学科卒、同大学院社会学研究科修士課程中退。批評誌「PLANETS」編集部、株式会社LIG広報を経て独立。構成を担当した主な本に『共感という病』(永井陽右著、かんき出版)、『現代アニメ「超」講義』(石岡良治著、PLANETS)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(宇野常寛著、朝日新聞出版)など。現在は「Tarzan」などで身体・文化に関する取材を行いつつ、企業PRにも携わる。クラブチームExodus Baseball Club代表。
文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する (光文社新書 1352)
中野 慧