
1962年に結成されてから半世紀以上も経つロック界のレジェンドバンドのザ・ローリング・ストーンズ。そんな彼らを世界的に有名にした曲『サティスファクション』は今から60年前の1965年6月6日に発売された。
あのリフを一変させたのは、キースに送られたファズ・ボックスのサンプル品
ローリング・ストーンズの名前を世界に知らしめた『サティスファクション』の原型は、40分のいびきと一緒にカセット・テープレコーダーで録音されていたという。
キース・リチャーズにはその曲を書いた確かな記憶がなかった。しかし、夢の中で何かがひらめいたような気がした。そして翌日、テープを聴き直すと、確かにいびきといびきの合間にギターのリフが残っていた。
単なる大まかな曲想だけだったが、キースにはそれで十分だった。
夢でひらめいたギターリフを実際にカセットテープに録音したのは、ローリング・ストーンズがフロリダ州のタンパ・ベイエリアにある、ジャック・ラッセル・スタジアムでコンサートを行った翌日、どうやら1965年5月7日未明のことらしい。
翌朝の地元セント・ピーターズバーグ紙には、舞台最前列に陣取った警察官と会場にいた200人ほどの若者たちが、激しくやり合ったことが大きく報じられていた。
アメリカの若い世代の行き場のないフラストレーションが、宙をさまよったままキースが見ていた夢に、自然に入り込んだのかもしれない。
宿泊先だったクリアウォーターのモーテルにあるプールサイドで、ミックとキースはギターのリフから曲を仕上げていった。
当時のミックと俺の典型的な合作だ。曲と基本的なアイデアはたいてい俺が作る。ミックはそこを埋めて、面白いものにするっていう仕事を引き受ける。
最初のレコーディングはツアーの合間、シカゴのチェス・レコードで5月10日に行われている。そのフレーズがマーサ&ザ・ヴァンデラスの『Dancing in the Streets』のリフに似ていないか、キースにはかなり気にしていた。
だが、ギブソン社から偶然にもキースの元に送られてきたファズ・ボックスのサンプル品が、そのリフを一変させることになった。
ファズ・ボックスを使った有名なギターのリフは5月12日、ロスアンゼルスのハリウッドにあるRCAスタジオでレコーデングされた。
その時に「I Can't Get No Satisfaction(満足できないぜ)」と言わんばかりに、キースのギターがファズトーンの力を得て炸裂したのだった。
ただし、キースはその『サティスファクション』を、まだ完成したとは考えていなかった。
「俺は多重録音(オーバーダブ)したかったんだ」
ホーンセクションのかわりに、ファズのかかったギターを重ねていくつもりだったのである。
もう頭のなかには、その後でオーティス・レディングがやったみたいなリフが鳴り響いていたんだ。しかしストーンズにはホーンはないから、多重録音(オーバーダブ)するつもりでいた。ファズトーンは便利だ。ホーンに似た音にできる。
あくまでホーンを録音するためのガイド代わりに、キースは便利なファズトーンでギターのリフを入れたはずだった。
ところがマネージャーのアンドリュー・オールダムは、アメリカだけでそのまま6月6日にシングル発売してしまったのである。しかもジャケットの右下には大きく、“Produced by ANDREW LOOG OLDAHM”と自分のクレジットを入れていた。
これはキースの意向を無視したアンドリューの独断だったが、機を見るに敏なプロデューサーなりの勝利だったのかもしれない。
アメリカツアー中にラジオから流れてきた『サティスファクション』を耳にして、何も知らされていなかったキースは驚き、当然ながら怒ったし、口惜しがったが、思わぬ発見もあった。
俺は多重録音(オーバーダブ)したかったんだ。ところが、ツアーであちこち回っているうちに、あの曲はアメリカ1位を獲得した! だから、つべこべ言う気はない。それに、教訓も得た。人はときに過剰に走る。何もかもが自分好みでいいわけじゃない。
「何もかもが自分好みでいいわけじゃない」とは、これを機に自然体を貫くようになるキースらしい、なんともさばけたジャッジである。
とはいえ、キースはステージ向きではないという理由で、ライブでは『サティスファクション』をしばらく演奏しなかった。
その気持ちが変わったのは、オーティス・レディングやアレサ・フランクリンが、素晴らしいカヴァーを発表したからだという。
アレサ・フランクリンのバージョンに、最初に書きたかったものが聴こえた。それからあれが好きになって、ステージで演奏し始めた。なにしろ、ソウル音楽の最高峰たちが、俺たちの曲を歌っていたんだから。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
参考・引用/キース・リチャーズ自伝『ライフ』(棚橋志行訳/楓書店)