
「税金のムダ使い」といわれる公共施設は多々あれど、とびきりお粗末なものが群馬県にあった。「群馬県安中総合射撃場」である。
市民からも「迷惑施設」と見なされて…
光がまばゆいほど、できる影は濃くなる。光と影はいつも背中合わせだ。前回の記事で紹介したアジア初の国際的IT教育機関「TUMO」の導入を自治体プロジェクトの「まばゆい光」と形容するなら、「群馬県安中総合射撃場」はまぎれもなく「暗い影」と言えるだろう。
「TUMO Gunma」がある高崎市中心部から碓氷川に並走する国道18号を車で走ること30分ほど、安中市に「群馬県安中総合射撃場」はある。国体選手強化を目的に、1972年に県がクレー専用射撃場としてオープンさせた公営施設だ。
西側に西毛総合運動公園、南側の碓氷川対岸には民家が立ち並ぶ。その距離はわずか250メートルほどだろうか。安全面や発砲音に配慮し、射撃場はたいてい人影まばらな郊外に立地するものだが…。
安中市民のひとりが苦笑いする。
「でも、ここは別。これだけ市街地に近い射撃場は全国でも珍しいのではないか。地元の市民もみんな『迷惑施設』『税金のムダ使い』と話してますよ」
正面ゲートを入ると、まず目に飛び込んでくるのは施設をぐるりと取り囲む鈍色に輝く鉄製のカベだ。
分厚い鉄製ドアをこじあけて場内に入る。
左手に最長射程102メートル、射台5つを備えるライフル射撃場、右手にトラップ2つ、スキート2つの計4射台のクレー射撃場。切り立った正面の崖を弾受けとして利用した扇形の地形で、この規模の射撃場としてはかなり手狭な印象を受ける。
もうひとつ感じたことがある。ひっそりとまるで人の気配がない。とくにクレー射撃場は草刈りなど一応、きれいに整備されているものの、利用された痕跡が見られない。
4つの射台への通路もなだらかで、歩行者の足で踏み固められた様子もない。ただただ、閑散としてものさびしい。
それもそのはず、安中射撃場は現在、ライフル射撃場のみの片肺営業で、敷地の大部分を占めるクレー射撃場は休眠状態となっている。
営業中のライフル射撃場も利用客は多いときでも1か月に5~10件ほどで、禁猟シーズンになると1件の利用もない月もあるという。
当然、射撃場の売上も少なく、年間2000万円の運営コストに対して、250万円ほどにとどまっているという。単純計算で年間1750万円の赤字だ。
民間では考えられない、典型的なお役所仕事
ただ、安中射撃場は利用客が少ないためにライフル射撃場のみの片肺営業をしているわけではない。その経緯を説明しよう。
群馬県では鳥獣被害(年間約5億円・2022年度)が拡大する一方で、シカやイノシシなどを仕留める銃の撃ち手は高齢化などにより減り続けている。ピーク時に9022人もいた第1種銃猟免許取得者は今では1500人ほどにすぎない。
そこで危機感を抱いた群馬県猟友会は2012年2月、県に新たなライフル射撃場を整備してほしいとの請願をした。
同年10月、県議会で請願採択。それを受け、県はライフル射撃場整備検討委員会を設置、およそ1年半にわたる検討の末、安中射撃場内に既存のクレー射撃場に加え、本格的なライフル射撃場を併設する方針が決まった。2015年のことだった。
当初の県の計画では、安中市との防音対策協議を経て2016年中に基本構想をまとめて2017年に着工、2年後の19年にも華々しくオープンさせる予定だった。
だが、その後がいけなかった。安全対策の不備により、これまで半世紀近くにわたって営業を続けてきたクレー射撃場の開場ができなくなってしまったのだ。
射撃場を管轄する群馬県環境森林部の関係者が片肺営業になった顛末をこう説明する。
「ライフル射撃場が完成した後になって、重大な欠陥が発覚したんです。クレー射撃の弾は広角に広がる。その弾が新設したライフル射撃場の建屋の一部に当たってしまうことがわかったんです。
これではクレー射撃場は公安委員会の指定認可が受けられない。そこで安全の見込みが立つまでクレー射撃場は休場とし、まずはライフル射撃場を2024年4月に先行して開場したというわけです」
請願スタートからライフル射撃場オープンまで、じつに13年もかかった計算だ。それだけではない。約半世紀にわたる稼働実績を持つクレー射撃場が休場に追いこまれてしまった。
「あれこれと試行錯誤しているが、どう工夫しても安全基準を満たせそうにない。
これだけプロジェクトが長期にわたると、投入された血税も雪だるま式に膨らむ。当初、県の見込みは5億円ほどだった。ところが、今では17.2億円(ライフル射撃場関連5.9億円、クレー射撃場関連7.2億円、今後の安全対策予定費用4.1億円)にもなっている。
ある地元住民は「作っておいて安全基準が満たせないって…こんなバカな話はない」と嘆く。民間企業では考えられない、典型的なお役所仕事といえるだろう。
いったい、どうしてこんなことになってしまったのか? 13 年間にわたった地方プロジェクト迷走の顛末を#3でお伝えする。
文/集英社オンライン編集部