「資産バブル崩壊の前兆」国際的投資家が警鐘…歴史的株高は「円安の虚像にすぎない」日銀の失態、必ず国民生活に跳ね返ってくる
「資産バブル崩壊の前兆」国際的投資家が警鐘…歴史的株高は「円安の虚像にすぎない」日銀の失態、必ず国民生活に跳ね返ってくる

日経平均が4万5000円を突破し、株式市場は盛り上がっている。それだけでなく金価格を巡っても、地金大手の田中貴金属工業が9月1日も店頭販売価格を1グラム当たり1万8001円に設定し、国内の金小売価格の指標として初めて節目の1万8千円を超えた。

この株高と金価格の上昇は、一見すると経済の好調さを示すように見る。しかし、これは金融資産の危機を告げるサインにほかならない。そう警鐘を鳴らすのは、国際的な名物投資家の木戸次郎氏だ。「過去のバブル崩壊やリーマンショックと同じような『資産バブル崩壊の前兆』ではないか」。木戸氏が、数字上の虚像に惑わされず、金融政策の矛盾や庶民の生活の実態、そして社会の土台を支える人々の献身に光を当て、迫りくる危機の本質を鋭く考察する。 

 

中央銀行への信認が少しずつ剥がれ落ちていく 

株高と金価格の上昇が止まらない。日経平均は連日の高値を追い史上最高値を更新し、金も史上最高を更新し続けている。だがそれは豊かさの象徴ではなく、むしろ金融資産が危うい瀬戸際にあることを示す危機のサインにほかならない。

世界中で有事のたびに買われる金がこれほど高騰するのは、通貨への信認が揺らいでいる裏返しであり、投資家が株や債券から退避している証左でもある。私はむしろ「資産バブル崩壊の前兆」と見ている。

思い出すのは33年前の平成バブル崩壊、そして16年前のリーマンショック。市場が高揚感に酔った直後に奈落へ突き落とされたあの悪夢である。今、同じ修羅場を目前にしているかのような強烈なデジャブを覚える。

そんな中で日銀はやはり5会合連続で利上げを見送った。理由は明白だ。国債を膨大に抱え込み、利上げをすれば巨額の評価損が金融システムを揺るがすからである。

日本は「金利を上げられない国」だと市場に烙印を押されている。しかもFRBがせっかく利下げに踏み切ったのに、日銀が据え置きを続けたために金利差は埋まらず、円は安値圏に縛りつけられた。株高と金高の虚像の裏で、為替要因が庶民の生活をさらに圧迫している。

その上で打ち出したのがETFとJ-REITの売却である。だが植田総裁は会見で「単純に計算すれば100年以上かかる」と言い放った。そこにあったのは決意ではなく諦めと開き直りであり、後世に責任を丸投げする白旗だった。金融正常化を語りながら「自分の任期では無理」と宣言したに等しい。

さらに「市場に混乱を与えぬため少しずつ」と強調した背景には、株価暴落による大ブーイングを避けたい思惑が透けて見えた。だがそれは、政策の失敗を自ら認めるに等しい発言である。



簿価で37兆円、時価で70兆円ものETFを抱え、売却に100年かかるという滑稽な計算が飛び出した瞬間、株価は800円以上急落した。しかしすぐに値を戻した。「どうせ本気で売らない」と市場が見抜いたからだ。中央銀行への信認は、こうして少しずつ剥がれ落ちていく。

一方で庶民の生活は待ったなしだ。ここ3年間で値上げされた品目は累計5万超。卵も牛乳もパンもガソリンも電気もガスも、あらゆる生活必需品が高止まりし、千円を切るランチを探すのも一苦労である。そんな中で総裁が「物価下振れリスク」を口にする姿は、現場感覚からかけ離れたキテレツな響きにしか聞こえない。

バニークラブで働く看護師、介護士、保育士 

新聞やテレビは「家計金融資産が過去最高2,239兆円」と大見出しを打ち、政府は「NISAの成功」を誇示する。しかし金融資産ゼロ世帯や100万円以下の世帯は3割近くにのぼる。投資に回せる余裕のない層は取り残され、格差はむしろ拡大している。

二極化は単なる経済指標ではなく、社会の治安そのものを脅かす。生活に追い詰められた若者が「闇バイト」に手を出し、組織的な強盗や通り魔的な事件に加担する。

明日の暮らしが見えない不安が、犯罪の入り口を広げている。資産バブル以上に国民生活を揺るがしているのだ。

私はその矛盾を真に目の当たりにした。久しぶりに付き合いで訪れた銀座八丁目ある老舗のバニークラブ。この店はアフターも同伴もノルマも一切なく、出勤も自由だ。だから学生やダブルワークのOLがアルバイト感覚で気軽に働いていた。

そうした仕組みの延長線上に、看護師や介護士、保育士という国家資格を持つ女性たちが副業として立っていた。本業の収入だけでは暮らしを維持できず、夜な夜な銀座でバニーの衣装に身を包む。親御さんが夢にも思わなかった光景に違いない。

さらに彼女たちは語った。職場の中には、ごく一部とはいえ短時間で効率的に稼げる風俗に流れる人もいると。使命感に突き動かされても、疲弊が極限に達すれば現実は容赦なく迫る。

残された選択肢は限られ、生活を守るためにより稼げる方向へ傾かざるを得ない。

副業であるはずの夜の仕事が、いつの間にか本業へとすり替わっていく。こうして国家資格や免許は机の奥で眠り、人材は減る一方で資格だけが積み重なっていく。これが医療や福祉を静かに蝕んでいる現実だ。

政府はこれまで外国人看護師の受け入れで人手不足を補おうとした。しかし言葉や文化、習慣の壁、そして過酷な労働環境のため定着せず、かえって現場の負担を増やした。もちろん、少子高齢化が進む日本において受け容れる国際化は必須だ。だが数合わせの付け焼刃では本質に届かない。必要なのは「時間をかけた育成」である。

子どもの頃から日本の学校で学び、日本語で考え、日本の生活文化を身に刻む世代――移住者の二世・三世を含む若者が、同じ国家試験を受け、同じ現場で経験を積んで初めて本質的な担い手となる。

国際化を否定するのではない。本気で受け容れる覚悟があるなら、教育と制度設計を通じて「時間をかけて根づかせる」方向に舵を切るべきだ。
短期の穴埋めではなく、長期の定着こそが社会を支える筋道である。

金融政策の帰結は必ず国民生活に跳ね返る 

だが現実はどうか。外食チェーンの店長に年収二千万円が提示される一方で、命を支える医療や介護や保育は低賃金に放置されている。人材は使命感ではなく報酬のある場所へ流れる。逆立ちした現実は皮肉を通り越して悲哀そのものである。

数字上はGDPも税収も膨らみ、家計金融資産も過去最高を更新した。だがそれは円安と株高の虚像にすぎない。一人当たりGDPは国際比較で後退を続け、日本人は「安い国」の住人となった。アジアへ旅行した日本人が購買力の差に愕然とする。その現実が何より雄弁に物語っている。

ETF売却に「100年」という言葉を添えた総裁の姿は、金融緩和という宴を終わらせたくない本音を示すと同時に、後世に丸投げする無責任を露呈した。

そこには株価暴落による大ブーイングを避けたい思惑が漂う。

諦めの白旗とも取れる発言は、無責任でキテレツな響きを持ちながら、金融政策の失敗を象徴するフレーズとして歴史に残るだろう。

それでも現場を去らずに使命感を胸に働き続ける人々がいる。夜を徹してナースコールに応じる看護師。痰の吸引やオムツ交換に追われ dignity(尊厳) を守る介護士。生活に余裕はなくとも子どもを支える保育士。

いずれも国家資格や免許を取得し、親も本人も努力を重ねて手にした専門性である。にもかかわらず、その誇りと専門性だけでは食べていけず、副業や夜勤に追われる矛盾を抱えながらも、なお現場に立ち続けている。こうした人々の献身こそが、この国を土台から支えている揺るぎない事実である。

金融政策の帰結は必ず国民生活に跳ね返る。虚像に酔ってはならない。こうした現場をどう支えるかこそが政策の使命である。歴史は繰り返す。誰も予想だにしない逆回転の恐怖は、楽観のバイアスに包まれた市場に大災害前夜の静けさのように静かに忍び寄り、しかし確実に迫っている。

だからこそ私は声を大にして言いたい。統計や株価の幻影に惑わされず、困難な日々を抱えながらも使命感を胸に現場を支える医療従事者や福祉の人々に、心からの敬意とエールを送りたい。あなた方こそがこの国の最後の支えであり、未来をつなぐ希望なのである。

文/木戸次郎

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