LiLiCo「“永住者”の文字を見て涙があふれた…」来日して38年も審査基準厳格化で「日本の永住権取得まで2年」の裏側
LiLiCo「“永住者”の文字を見て涙があふれた…」来日して38年も審査基準厳格化で「日本の永住権取得まで2年」の裏側

近年日本の永住権は、審査基準が厳格化され取得のハードルが一段と高まっている。 そうしたなか、タレントのLiLiCoさん(55歳)は2026年4月8日、自身のブログで「日本の永住権!! いただきました 来日して38年」と報告し、大きな反響を呼んだ。

18歳でスウェーデンから来日し、映画コメンテーターとしてブレイクして以降、長年日本で暮らしてきたにもかかわらず、永住権の審査には約2年を要したという。永住権取得の背景やリアルな手続きの実態を聞いた。

「いつか日本で働けなくなる」という不安があった

──まずはスウェーデンから日本に来たきっかけを教えてください。

母が東京・葛飾区の出身で、子どもの頃は5年に1度スウェーデンから母の実家に遊びに来ていました。10歳くらいのときテレビでかわいい洋服を着たアイドルたちが歌っているのを見て、「自分もこんなふうになりたい」と思ったんです。

スウェーデンでは公共放送の2チャンネルしかなかったので、日本のテレビはとても輝いて見えて「夢の箱」のような印象を持っていたんですよね。その記憶がずっと心に残り、18歳のときに来日しました。

──歌手を夢見て来日し、その後38年間日本で活動してきました。 永住権(正式には在留資格「永住者」)を取る前は、どんな在留資格で働いていたんですか。

私は「定住者」という在留資格で、就労内容に制限がなくどの職種でも働ける立場でした。ただ、在留期間には期限があるのでその前に在留カードの更新手続き(在留期間更新許可申請)をしなければなりません。在留カードの更新は、必要書類をそろえて入管で申請し、ハガキが届いたら受け取りに行くという流れです。

──永住権がなくて苦労したことは?

手続きが大変なんです。

更新のたびに法務局・年金事務所・税務署・区役所などを回って書類を集める必要があり、仕事と両立するのは簡単ではありませんでした。

在留期間は当初1年、その後3年5年と延びていきましたが、「もう5年経ったの!?」という感覚で。更新の時期になると、毎回事務所に相談してスケジュールを調整してもらっていました。

入管の受付は平日9時からですが、朝8時前に行ってもすでに100人くらい並んでいるのが普通で、番号札を取ってから4時間ほど待つのは当たり前。そのうえ書類の不備を指摘されると、また出し直しになるんです。

「もし通らなかったらどうしよう」という不安はいつもありました。私は更新の時期になると、事務所やレギュラー番組のスタッフに「通らないことはほぼないと思うけれど、通らなかったら、その週から日本で仕事はできません」と念のために報告していました。

──更新のたびに落ち着かない時間が続くんですね。

そうなんです。在留期間の期限が切れる2週間前になってもハガキが届かず、不安になって入管に電話したこともありました。

「今対応しているので、しばらくしたら届きます」と言われたものの、ビザが切れる日まで入管の窓口が開いている時間帯はすべて仕事が入っていて、取りに行く日がない! とパニックでした(笑)。

たまたま収録日がずれ込んだおかげで、ハガキが来たその日に在留カードを取りに行けましたが、あのときは本当に冷や汗ものでした。

ここ十数年で日本で暮らす外国人が増えたぶん、昔より審査に時間がかかっているんでしょうね。

38年間在留も永住許可まで2年かかる現実

──永住権を申請しようと思ったきっかけは?

在留カードの更新手続きは毎回大変ですし、永住権が取れたら今より不安なく働けるようになるだろうという思いはずっとありました。とはいえ、手続きが本当に億劫でこれまではずっと後回しにしてきたんです。でも結婚して9年目になりますし、「忙しい」を言い訳にはできないなと感じて。

──在留カードの更新よりも大変なんですか?

在留カードの更新以上に必要書類も多く、足を運ばなければならない役所も増えるんです。「この書類はどこに行ったらもらえるの?」というところから始まって、書類をそろえるだけでも1か月以上かかりましたし、そこまで準備しても申請が通るかどうかは最後までわかりません。

申請してからの審査も長くて、当初は「結果が出るまで1年くらい」と聞いていました。でも1年経っても連絡がなく、「通らなかったと受け止めるしかないかな」と思って入管に電話してみたら、「永住権を申し込む外国人がすごく多くて、遅れています」と説明されて。そこからさらに待つことになり、トータルで2年かかってようやく取得できました。

──そこまで大変な手続きですが、ブログでは専門家に頼まなかったと書かれていました。自分でやろうと思った理由は?

もともと、そういう性格なんです。仕事の現場にも、マネージャーやスタイリスト、ヘアメイクをつけずに一人で行くようにしているんですよ。全部人任せにしてしまうと、誰かが何かをしてくれたときのありがたみが薄れてしまうし、自分の言葉で経験を語れなくなる気がしていて。

今回の手続きも自分でやったからこそ、「こんなに大変な思いをして得た永住権なんだから、日本での生活をこれまで以上に大切にしよう」と思えるようになりました。

──現在、国籍はスウェーデンとのことですが、日本国籍についてはどう考えていらっしゃいますか。

まず、私の父はスウェーデン人で、母は日本の血筋ですが国籍はスウェーデンです。つまり、私はスウェーデン人同士の間に生まれたスウェーデン人なんです。

これまで日本人と2回結婚しましたが、「日本人と結婚すれば日本国籍になる」と思っている方もいて。でも日本人と結婚しても、自動的に日本国籍になるわけではありません。永住権の手続きだけでも相当パニックになりましたから、それ以上にハードルが高い日本国籍を取るのは、かなり難しいのかなと感じています。

在留カードの「永住者」の文字を見て涙があふれた

──永住権を取得したときはどんな気持ちでしたか?

入管のカウンターに在留カードが置かれて、「永住者」という文字が目に入った瞬間、涙が出てきました。涙と老眼で小さな文字は見えにくいので、カードを近づけて「やっぱり『永住者』だ」と確認して。しばらくそのカードを見つめたまま入管を出ました。

私は「日本にお邪魔させていただいている」という感覚が強いので、「認められた」と感じられたことが、本当にうれしかったですね。

──「お邪魔させていただいている」という感覚は、いつからありましたか?

とくに感じるようになったのは、おばあちゃんのおかげですね。

18歳で歌手を目指して葛飾のおばあちゃんの家に来たとき、それまでは甘やかしてくれたおばあちゃんが「住む」となった途端に態度が変わって。

「あなたは外国人で、この国にお邪魔させていただいているの。だから日本文化を知って、日本語を話せるようにならないとダメだよ」ときつく言われていました。私が「歌手になりたい」と言ったときも、「夢をもつのはいいけど、日本語もわからないのに英語の歌ばかり歌うのは違うよ」と。

靴のまま家に上がってしまったり、湯船の中で石鹸を使って体を洗ったり……そういうところからスタートした私に、日本の文化を教えてくれました。もう亡くなっていますけど、今もずっと見守ってもらえている感じがしますね。

──永住権を手にした今、これから日本でどんなことに挑戦していきたいですか。

今よりもっと仕事を頑張りたいなと思っています。あとは、きれいに漢字が書けるようになりたい。書き順が違うってよく指摘されるので。「日本人でも書き順を気にする人いないよ」と言われることもあるけど、「だから書けなくてもいい」と甘えないでいたい。

もっと日本語のボキャブラリーを増やさないといけないし、これからも日本で生きていくのですから、もっと勉強したいと考えています。

取材・文/福永太郎

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