「病気が治れば幸せになれると思っていた」余命3カ月宣告から復帰した格闘家が直面した“見えない苦しみ”と社会とのズレ
「病気が治れば幸せになれると思っていた」余命3カ月宣告から復帰した格闘家が直面した“見えない苦しみ”と社会とのズレ

24歳でステージ4肝臓がんを宣告され、一時は「余命3カ月」とも告げられた総合格闘家の高須将大選手。度重なる手術と抗がん剤治療を乗り越え、格闘技復帰も果たした彼は、自身のnoteにこう綴っている。


「病気が治ったら、幸せになれると思っていた」
死の恐怖を知ったあと、社会に戻って直面した“治った人”として扱われる違和感。奇跡の復活劇の裏で、高須選手が抱え続けてきた大病後の現実とは……。

24歳でステージ4肝臓がんに

茨城県で生まれ育った高須さんの高校時代は「野球一色」。部活動を引退するまでは野球のことで頭がいっぱいで、「気がつけば進路のことは何も考えていなかったんです」と苦笑いをした。

やがて地元の重機会社で溶接工として働き始める。職場は人間関係もよく雰囲気も和気あいあいとしていたが、残業時間が長かった。

「定時は8時から17時ですが、毎日3時間ほどの残業は当たり前だったと思います。職場環境はよかったものの、もともと業務内容に特段の思い入れがあって就職したわけではないので、与えられた仕事をこなすだけの毎日には疑問を抱いていました」(高須将大さん、以下同)

かつての野球のような、日常に張り合いがほしい――そんな思いで高須さんが格闘技ジムの門を叩いたのは、20歳のときのこと。残業後に身体を動かすことも苦にはならず、かえってリフレッシュになったと振り返る。

その後、23歳のときにプロデビュー。デビュー戦はドローに終わったが、2戦目は嬉しい初勝利を手にした。しかし次なる3戦目に備えて練習に励んでいた2017年6月、身体の異変に気がついた。

「ちょうど24歳になる1カ月前、スパーリングでボディにもらった蹴りの痛みが全然引かず、力仕事にも支障を来しました。

『これはおかしい』と感じて受診すると、医師から『肝臓に大きな影があって危険な状態』と言われました」

大きな病院ですぐに開腹手術を受け、病巣を取り出した。病理検査によって悪性腫瘍であること、腫瘍の大きさは10センチにおよんでいたことがわかった。医師から聞いた「危険な状態」という言葉が頭に残り続けた。

闘病生活の間、高須さんは生命について考え続けることになる。2017年9月には、再び肝臓に腫瘍が見つかった。当時は明言されなかったが、このときステージ4の肝臓がんの診断がされていたという。

「肝臓がんについて検索すると、“予後”“5年生存率”という言葉がたびたび出てきて、精神的に追い詰められました。手術はもちろん辛かったのですが、それ以上に辛かったのは、抗がん剤治療でした。それは、終わりが見えない辛さです」

「このままでよいのだろうか」

自分の身体は、果たしてもとに戻るのだろうか――。セカンドオピニオンで診てもらった病院の複数の医師から「とても厳しい状態です」と言われ、不安が押し寄せる。

「率直に『死ぬのではないか』と思ったことはあります。それは、ある一瞬に感じると言うよりも、出口のない戦いをするなかで、横にずっと静かに存在している感じでした。

抗がん剤の副作用で40度の高熱が出たり、手足症候群が出てまともに歩くことすらままならなかったり、わかりやすい壮絶な経験よりも、ずっとどこかで『途中で生命が尽きるかもしれない』と思いながら治療を続けること自体が苦痛でした」

当然ながら、闘病中は休職して治療に臨んだ。

会社の規定で基本給の6割が支給され、「経済的な不安にさらされなかったことはありがたいと思っています」と高須さんは述懐する。一方で、死に直面したことで、「このままでよいのだろうか」という思いは残り続けた。

「命を脅かされる大病を経験して、時間が有限であることを強く意識するようになりました。この頃くらいから、『もっと自分の好きなことに集中したい』と思うようになったんです」

その後も肺転移と手術を繰り返しては治療を続けながら、徐々に社会復帰を果たしていった。常に再発の心配を抱える高須さんは、すぐに退職には踏み切れない。そんななかで、社会の“進み”を肌で感じる場面があったという。

「職場に復帰した当初は、『無理しないでね』『大丈夫?』と声をかけていただくことが多かったです。実際、最初のうちは時短勤務などの配慮をしてもらいました。しかし時間の経過とともに、“いつもの高須”に戻っていくんです。それ自体は、悪いことだとは思いません。けれども、自分のなかでモヤモヤする部分も確かにありました」

そのもやもやは、大病を経験し命を脅かされるほどの恐怖感を味わった者にしかわからない性質のものかもしれない。

「たとえば、私は定期検診のたびに緊張し、あるいは少しの体調の変化にも過敏になっています。

しかし周囲はそのようには思っていない。確かに私は見た目も強そうで、虚弱にはとても見えないから仕方がないかもしれません。

でも周囲から『もう治ったから平気でしょ』と思われていると感じたとき、『ああこの恐怖はもう自分のなかにしかなくて、社会はどんどん時間が進んでいっているんだなぁ』と感じるんです」

入院しているときに漠然と描いていた“幸せ”な退院後の生活が高須さんのなかにはあった。しかし実際には、また仕事に忙殺されるだけの日常に戻り、「大病をしたけど治った人」としてみなされる。時の流れの無常さを思わずにはいられない。

再発に怯えながらも戦う人でありたい

2021年、高須さんは会社を退職し、翌年パーソナルトレーニングジムを設立した。現在でもなお、世間からのイメージとのギャップは埋まらないという。

「ありがたいことに、無事に格闘技にも復帰することができ、現在は3連勝中と好調です。世の中からみれば私は“強靭な人”“折れない心を持った人”だと思いますし、自分自身、そうありたいとは思っています。

しかし一方で、がんの再発に怯える自分もいます。これまではそうしたギャップに悩むこともありましたが、ジムを立ち上げた今、もしかすると自分にしか伝えられないこともあるのではないかと思えるようになりました」

死の淵からの生還を果たした高須さんが社会に伝えたいこと。それは、彼のこんな言葉に集約されている。

「私は“戦う人”ですが、“不安と戦う人”でもあります。ただ強いだけではなく、病気の恐ろしさを知ったうえで、試合に出られる自分でいたい。誰しも弱さを抱えているはずなので、そうした部分も理解できることが自分の強みかもしれません」

大病を乗り越えいまも再発不安と向き合うファイターの、勇猛な顔の裏側には人生の懊悩があった。

取材・文/黒島暁生

編集部おすすめ