今年、結成25周年を迎えるSMAP。1987年に入所、先輩・光GENJIの『ガラスの十代』でスケートボードにのってバックを務めていた「スケートボーイズ」から選抜された6名で結成されたグループだ。

グループ名の由来はいくつか説があるが、スポーツと音楽のために集められたひとたち、という意味の『Sports Music Assemble People』の略という説が有力だ。

1991年、『Can't Stop!! -Loving-』でシングルデビューをするが、オリコンランキング初登場2位。CDの売り上げは約15万枚と爆発的ヒットにはいたらず、ようやく初のオリコン1位を獲得したのが、1994年にリリースした12枚目のシングル「Hey Hey おおきに毎度あり」だ。何故、SMAPは人気が出るまで時間がかかったのだろうか。

ジャニーズで1位をとれなかった初のグループ!?


70年代に法人化したジャニーズ事務所は、1980年デビューの田原俊彦、近藤真彦を皮切りに、シブガキ隊、少年隊、ザ・グッバイ(野村義男ほか)、少年隊、光GENJI、男闘呼組、忍者と、次々ブームを巻き起こし、アイドル王国を確立。
ジャニー喜多川氏は、1位・史上初・記録が好きで、1位をとることにこだわっていたはずだ。本来なら2位は喜ぶべきことだが、当時のジャニーズ事務所でデビュー曲が1位をとれなかったのは異例で、「『お前らは何故売れないんだ』と言われた」「ジャニーズで初めてデビュー曲が1位じゃなかったグループ」と、中居正広が後に語っている。


そもそも、『Can't Stop!! -Loving-』をリリースした1991年9月は、高視聴率の月9ドラマ『101回目のプロポーズ(フジテレビ系)』の主題歌・CHAGE&ASKAの『SAY YES』が13週連続オリコン1位を記録するミリオンヒットした時期とバッティングした。
『Can't Stop!! -Loving-』は、『ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日系)』のエンディングテーマ曲として使われたが、当時は人気ドラマの主題歌に起用されることが大ヒットの近道だった時代。つまり、強力なタイアップがない、ワールドカップバレーボールのスペシャルサポーターといった露出もない、ごり押しもなかった状態だったのだ。

また、当時は、80年代のアイドルブームがフェードアウトして、アイドル氷河期と言われる時代に突入し、音楽番組も減少していた。最年少の香取信吾はCDデビューの時は中学3年生で20時以降のテレビ番組には出られなかったのも要因のひとつだろう。

SMAPの身体を張ったバラエティ、ドラマで大躍進の90年代


そんなこともあり、SMAPはバラエティ番組をメインに活動を広げ、身体をはって芸人顔負けの体当たりロケやギャグなどに挑戦。
徐々に人気を広げ、1998年に「夜空ノムコウ」が初のミリオンを獲得、96年には『SMAP×SMAP』が放送開始。
木村拓哉は96年『ロングバケーション』、97年に『ラブジェネレーション』、『ギフト』、98年は『眠れる森』に主演し、高視聴率を獲得。1990年代は、SMAPが大躍進し、国民的スターとしての基礎をがっちり固めた時期だ。

本来なら大々的なお祭りイヤーとなるはずの2016年だが、解散騒動が尾を引いてか、お祝いのイベントやライブツアーの発表はまだない。なんだかんだ言っても、ジャニーズ事務所が、歌・踊り以外にドラマやバラエティ番組、MCなど、仕事の幅を広げる突破口になったのはSMAPであり、その功績は評価されるべきだろう。
(佐藤ジェニー)