「最後のスター」と呼ばれた俳優・高倉健が亡くなって以来、テレビやスポーツ紙では健さんの感動秘話が数多く語られている。寡黙で情に厚く誠実、だれにでも分け隔てなく接する人──これがきっと、健さんのオフィシャルイメージではないだろうか。



 だが、健さんにはそんな世間一般のイメージとは違う顔もあったようだ。ひねくれ者の本サイトとしては、そのイメージとは違う部分にスポットを当てて、いくつかのエピソードを紹介していきたい。

●「馬用の下剤を飲ませて...」度が過ぎるいたずらがすごい!
 
 インタビューでは「自分ではわりと器用に生きてるつもり」とよく答えていた健さん。実際は結構おしゃべりで、お茶目な部分も多々あった。たとえば、1994年に当時14年振りとなるラジオ出演をした際は、「こんばんは、緒形拳です」と自己紹介。高田純次の「こんにちは、アンジェリーナ・ジョリーです」より早く"無責任芸"を見せていたとは恐れ入る。


 また、健さんのエッセイ集『あなたに褒められたくて』(集英社/91年)によれば、健さんは端役の役者に数々のいたずらを仕掛けたというが、その中身がすごい。「前歯にマジックを塗ってお歯黒にする」「脱毛クリームで眉毛を落とす」......このあたりまではまだかわいいものだが、「スプレー式の麻酔薬を吹きかける」だの「馬用の下剤を飲ませて、トイレを全て占領する」だの「ありったけの胡椒を入れた胡椒風呂に入らせる」といった具合に、その手の込みようと内容はエゲつない。ここまでくると、お茶目というより"健さんドS説"を疑ってしまいそうだ。

●驚きの自慰行為、童貞喪失、ソープ体験...じつは下ネタ好きだった!?

 おしゃべり好きだった健さんは、インタビューや対談でもサービス精神旺盛。しかも想像に難しいが、じつは"下ネタ発言"も多く、前述のラジオ出演時には、明治大学2年生のときに故郷の福岡の遊郭で童貞を捨てたことをカミングアウトしている。

 さらに、「週刊文春」(文芸春秋)で98年に阿川佐和子と対談した際には、高校時代の話の最中にいきなり「タバコ吸ったり、マスターベーション教わったり。
お寺の本堂で、十人ぐらい並んでマスターベーションするんです」と、特殊な自慰経験談を披露。これには阿川も「お寺の本堂でェ!?」と驚くしかなく、「十人もいると、気が散ったりしないんですか」と質問したが、健さんの回答は「いや、青春のときは気が散るもへちまもないですよね」だった。

 しかも、『檀ふみのほろ酔い対談』(潮出版社/87年)では、健さんはソープランド経験にまで踏み込んでいる。こちらも檀は風俗の話など振っていないのに健さん自らが口火を切り、「昔、一度だけ行って、ひどい目にあったことありますよ」と告白。なんでも監督の機嫌が悪く、「みんなで女のいるところへ行こう」となり、同行したそう。ところが健さんのお相手として現れた女性は「僕の郷里の出身で、お母さんをよく知ってますって。
それでこっちはその気がまったくなくなっちゃってね」。結局、ソープ体験は未遂に終わってしまい、「以来、どんなにいいとこがあるといわれても絶対に行かない。(笑)」と答えている。

 ところで、このような下ネタを女性の対談相手に自分から暴露しておいて、健さんは最後にひと言、「なんでこんな話になっちゃったのかな?」。健さん、そりゃないよ!

●長年の噂"ゲイ疑惑"にも健さんが言及!

 健さんといえば、長く囁かれてきたのが"ゲイ疑惑"である。87年には、映画出演作がなかったことから「アメリカでエイズ死」という説までもが流れた。
当時の「週刊サンケイ」(サンケイ出版/廃刊)によれば、噂の源流は「エイズ関連株を抱えた証券マンが、意識的に株価操作するために流した"兜町情報"」(!)だったらしいが、前述の檀ふみとの対談でも、健さんはまたしても自分からこの噂に言及している。その発言を引用しよう。

「まぁ、子供がいるとか、ホモだとかっていう程度の話なら、笑って済みますけどね。つい最近、ホントにびっくりしたのがありますよ。僕はこの1年ちょっと映画に出てないでしょう。そしたら健さんはエイズにかかって、今、ロック・ハドソンのいたパリの病院に行ってるって。
(爆笑)」

 爆笑。あの健さんが、爆笑......。これだけでも強烈だが、その後も「こんなに女の人を好きな男をつかまえて、ホモだっていうのもおかしな話だと思いますけど」と、健さんは疑惑を否定している。

 たしかに、健さんはゲイ疑惑の一方で、女性との噂もあった。江利チエミとの離婚後は、十朱幸代や倍賞千恵子との交際が取り沙汰され、89年には23歳年下の元CAの女優と、92年には21歳年下のハワイ在住日系女性とも熱愛説が上がった。また、2003年にも女優の児島美ゆきが「20年前に健さんと付き合っていた」と告白している。
しかし、世間の注目はやはり男性との熱愛のほうにあった。

 とくに根強かったのは、俳優・小林稔侍との噂だ。一時はふたりで「美容整形通い」をしていると週刊誌に書かれたが、さらに2人の仲を追及したのは映画評論家のおすぎだ。おすぎはトークショーで2人が共演している映画『鉄道員』の"違った見方"を披露し、健さんが小林を押し倒すシーンや抱き合うシーンを腐女子ばりの視点で解説。そして、「みんな2人の仲を知っててさ、この時とばかりに撮ってるの」「やっぱり、薔薇族なんかに特集すべき映画だわ」と推薦したのだ。

 じつは近年でも、あるブロガーが「DRESSCAMP」デザイナーの岩谷俊和氏と健さんが"手をつないで歩いていたらしい"と綴りネット上で話題となったことも。これもスターの宿命、というものなのだろうか。ちなみに、前述の檀との対談で健さんは、「でも世間体のために結婚するのは嫌じゃないですか」と語っている。世間体のための結婚......解釈次第では、意味深な発言だろう。

●「黒澤監督って怖いの?」...健さんは"恐がり"だった!?

 1985年に公開された黒澤明監督の映画『乱』に、ほんとうは健さんが出演する予定だったというのは、よく知られたエピソードだ。黒澤監督は4度にわたって健さんに直談判したというが、ちょうど『居酒屋兆治』の準備と重なっていたため、断ったという話である。だが、これには裏話があるらしい。というのも、健さんは黒澤監督からオファーがあった直後、『影武者』で黒澤組経験のある萩原健一に連絡し、ひそかに「黒澤監督って怖い?」と尋ねていたというのだ。......『昭和残侠伝』などの任侠シリーズで見せた問答無用の格好よさ、強さを思うと、「映画を断ったら怒られるかな?」と心配している健さんの姿は意外であり、そして何より、微笑ましいではないか。

 健さんと親交のあった左とん平は、健さんの魅力について訊かれた際に「今はなんでも情報が出る時代だけど、わかんないところがいいんだよ」と話している。──今回、いくつかのエピソードを紹介してきたが、これも健さんの断片。多くの人がここまであこがれ、惹かれ、「こうあってほしい」と人格にまで想像をふくらませるような俳優は、きっと健さんが最後なのだろう。
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