朝は5時半起床で労働、食事は昼と夜のみ、体罰は当たり前、テレビは『日本昔ばなし』(TBS系)だけ、そして親とは別の場所で集団生活……。所有のない、争いのない“理想郷”を目指す「カルト村」で生まれ育った少女が、当時の生活をありのままに描いた『カルト村で生まれました。

』(文藝春秋)。WEB連載時から話題を呼んでいたこの実録コミックエッセイの作者である高田かや氏に、作品を描き上げた現在の心境と「家族」に対する思いを伺った。

――まずは、この本『カルト村で生まれました。』を描くことになった経緯を教えてください。

高田かや(以下、高田) 現在、夫であるふさおさんのお母さんと同居しているのですが、私がお義母さんに子どもの頃の話をすると、すごく熱心に聞いてくれて。自分にとっては当たり前の思い出も、一般(※村以外の地域のこと)の人には面白いのかなぁと思ったことが、この本を描くきっかけでした。


――もともと漫画は描いていたのですか?

高田 本当に、ちょこちょこっとしたイラストだったり、いたずら描きとか、そんな程度でした。まさか、初めてWEBに投稿した作品が本になるなんて……と、自分でもびっくりしています。

――本にまとめるにあたって、最も苦労した点はどんなところでしたか?

高田 そうですね。漫画を描くという行為が初めてだったため、自分がどの作業にどれだけ時間がかかるかまったくわからず、思いっきりタイトなスケジュール設定にしてしまいました(笑)。それゆえ、ひたすら時間に追われることになってしまって……。

――本を描く前と描いた後で、ご自身の中に変化はありましたか? 

高田 描く前はぼんやりとしか見えていなかったことが、描いていくうちに「あれ、これっておかしくない?」と、はっきり見えてきたというのはあると思います。
以前に比べて、村のことを、やや客観的に見られるようになったのかもしれません。

――最初にWEBで高田さんのこの作品を拝見したとき、非常に衝撃を受けたんですよ。

高田 本当ですか!? どんなところが?

――それまで私が目にした村に関して書かれているものは、たいてい「被害者」という視点ばかりで、『カルト村で生まれました。』のように、淡々とその生活をつづったものを読んだことがありませんでした。

高田 なるほど。私も、もし村にいるときに、リアルタイムでそのときの気持ちを描いていたら、また違った作品になったんじゃないかなと思います。
月日がたつうちにいろんなことが自分の中で落ち着いてしまい、その上で現在、頭にあるものだけを描いたら、こうなりました。

――作風も、この表現が正しいかはわかりませんが、“あっけらかん”としているから、余計にひとつひとつのエピソードが胸に落ちてきます。

高田 作風については特に意図はなく……最初からこの描き方でした。これが私の表現方法の限界で、これ以外、描きようがないというだけです(笑)。

■“問題児”として過ごした、「村」の生活――

――本の中で、高田さんはご自身を「村の問題児」と表現されています。高田さんのどんなところが、村的に問題児だったのでしょうか?

高田 私、大人の「子どもはこうあるべきだ」「こうするのが当然だ」という雰囲気を感じると、反発したくなるんです。
それで、わざとその大人の思惑とはまったく逆の行動をしてしまうので、そういう態度が問題視されたのではないかと思います。

――では、村で「良い子」とされるのは、どんな子どもでしたか?

高田 大人に言われたことを素直にそのままできる子、どうしたらみんなが暮らしやすいだろうと自発的に考えて行動できる子が、「良い子」とされていた気がします。

――高田さんのように「村で生まれた」子どもと、途中から「村に来た」子どもでは、村の捉え方に違いはありましたか?

高田 違いはあったと思います。途中から村に来た子は、一般の生活を知っているので、村と一般の違いを比較できますよね。だから、村で生まれた子より冷静に、村や親を分析していたと思います。

――外からやってきた子に、影響されたりはしませんでしたか?

高田 外の子からの影響というより、外の子が持ち込んだ物に影響されました。
人それぞれ趣味が違い、持ち込む物も違うので面白かったです。アガサ・クリスティを持ち込んでいる子に全巻借りて読んで、翻訳ミステリもいいなぁと思ったり、TOKIOのファンの子が大事にしていたスクラップブックを貸してくれたので、妙にメンバーについて詳しくなったり(笑)。自分は活字を通して影響されることが多かったです。

――村時代、「反抗期」みたいなものはあったのでしょうか?

高田 親と一緒に暮らせなかったので、村にいたときは、反抗期らしいものはなかったと思います。高等部を卒業したときに、親と一緒に村を出ることになったんですけど、一般で暮らすのも初めてなら、親と生活するのも初めて。そのあたりで、ようやく反抗期がやってきました。
毎日、家で母に口うるさく注意をされているうちに、嫌になってしまって。ほとんど口もきかず、食事も別に作って食べるようになりました。

――それは、親だからこそ、安心してぶつけられる「本音」みたいなものでしょうか?

高田 逆に、親だとあまり認識していないからそうなってしまったと思っています。世話係さん(村では親と子が離されて暮らしているので、子供の世話や説教を担当する大人)に反発したのと同じような感覚でした。ひとつの家に大人の女性が2人いる状況に違和感があって、我慢できなかったんです。

――高等部卒業時に「大方の予想を裏切り一般に出る」と描かれていましたが、村を出ようと決意したのはどうして?

高田 村を出る理由やそのときの葛藤は、決意する前後の話の流れもあるので、続編で詳しく描こうと思っています。続編が完成したら、また読んでいただけるとうれしいです。

■一人暮らし、そして、結婚

――楽しみにしています! しかし、高校卒業までの18年間をずっと村で暮らしていて、いざ「一般」に出てきたとき、戸惑いはありませんでしたか?

高田 パートの初任給で13万円ももらえたときは、本当にびっくりしました! 今までそんな大きな金額を手にしたことはなく、この金額に見合うほど自分が働いたとは思えず(笑)。うれしかったのは、一人暮らしができたことでしょうか。村にいたときは、常に大勢の人と暮らしていたので、一度でいいから一人暮らしというものをしてみたいなと思っていたんです。

――一人暮らしは楽しめました?

高田 すごく気楽(笑)。自分が、一人でいることが好きなタイプだと知りました。逆に苦しかったことは……村のミーティングで思ったことをなんでも話す癖がついていたため、何げなく発した言葉で人を傷つけたり怒らせたりしてしまう事態が続いたことです。「どうしたら、この癖が直るんだろう?」と悩んだ時期もありました。

――村での生活では「所有する」「自己主張する」ことが激しく制限されていたと思います。今でも、自分の考えを出すことにためらいはありますか?

高田 自己主張を制限されたような気はしていないのですが……鈍いんですかね?(笑) だから、よく叱られてたのかな……。今は思ったことをそのまま口に出すのではなく、常に言っていいことと悪いこととの区別をつけながら話すように心がけています。

――ふさおさんとの結婚を決意した一番の理由は、どんなところでしたか?

高田 本書で描いた子ども時代は、「親子で一緒に暮らせないなんて、私は絶対に子どもは産まない」と思っていました。でも村を出て大人になって、その当時は子どもが欲しかったので、順番としてまず結婚かなと思いました。

――「子どもを持ちたい」と気持ちが動いたのには、何か理由があるのですか?

高田 不思議ですよねー、ずっと産まないって決めていたのに。母が自分を産んだ年齢に近づき、急に産みたくなりました。

――作品にも「ふさおさん」はたびたび登場しては、“ツッコミ役”として作品に絶妙なバランスを与えてくれていますよね。

高田 実際のふさおさんは、確固たる自分を持っている人で、他人に対してかなり辛辣で、威圧的です。ただ、私の考え方や習性をかなり理解してくれていて、私の話したいことをほかの人にもわかるような言葉に直して説明してくれるんですよ。ですので、漫画上でも、私と読者の方をつなぐ通訳をしてもらったり、私が言い難いことを代わりに話してもらったりしています。

――今現在、ご家族(実のご両親や妹さん)とは、どんな関係を築いていますか?

高田 たまにふさおさんと一緒に実家に行って、食事をして話をして、泊まって次の日みんなで出かけて……と、たぶん一般の方々と同じような付き合いをしていますよ。妹も村を出て、一般の人のところにお嫁に行ったので、今はそんなにしょっちゅう会ってはいませんが、彼女も幸せに暮らしています。

■一緒にいたくてもかなわない存在、それが“家族”だった

――幼少期にご両親と一緒に過ごさなかったことは、今の自分にどのような影響を与えていると思いますか?

高田 村にいたとき、家族は「たまに会える、血のつながった人たち」「同じ名字の人たち」という関係でした。だからなのか、私、人との距離感がうまくつかめないんです。仲良くなっても別れるときのことを想像してしまうので、ショックが大きくないように、人とあまり深く付き合わないようにしよう……と、つい思ってしまいます。

――今に限らず、昔から親による虐待やネグレクトの事件は後を絶ちませんが、高田さんはこのような虐待やネグレクトについて、どのような考えをお持ちでしょうか?

高田 特定の考え方などは持っていないのですが……ただ子どもが外に立たされて凍死したニュースなどを聞くと、その子の気持ちを想像して泣きたくなります。

――作品の中で「今でも受けた体罰や暴言は忘れないし、たびたび考え込んでしまう」とありますが、それを思い出すのはどんなときですか? そのときに抱く感情は怒りですか? それとも恐怖?

高田 思い出すのはたいてい、夜寝つけないときや暇なとき、夢に世話係さんが出てきたときなどです。怒りも恐怖も今は感じませんが、「いまだに思い出す、夢に見るってことは、自分がまだその当時の出来事にとらわれて縛られてるってことなのかなぁ。いっそ、記憶喪失になって昔のことを忘れてしまえたら、この考え込むめんどくさい性格も変わるかなぁ」と、らちの明かないことを考えています。

――「村に戻りたいな」と考えるときはありますか? 

高田 戻りたいと思ったことは、一度もありません。

――村に限らず、“カルト”と称される集団については、どんな印象を持っていますか?

高田 何か怖いイメージ。そういった集団と一生関係を持たずに過ごせるなら、それに越したことはないと思います。

――もし自分が村で育たなかったら……と想像することはありますか? 

高田 その想像はしたことがありませんが、もし一般で今の両親の元に生まれたとしたら、きっともう少し勉強ができたんじゃないかなと思います。そして、ふさおさんと一緒になることもなかっただろうと思います。

――生まれたときから村で育った高田さんにとって、「家族」とはどんな存在でしょうか?

高田 一緒にいたくてもかなわない存在……かな。
(取材・文=西澤千央)