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とんねるずの名付け親「ビンボーくさいのが嫌い」元日本テレビプロデューサー・井原高忠のすごい功績

2014年9月23日 10時00分

ライター情報:近藤正高

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井原高忠『元祖テレビ屋ゲバゲバ哲学』(恩田泰子取材・構成、愛育社)
2009年に80歳となった井原が、あらためて半生と仕事を振り返った一冊。取材・構成を担当した恩田は読売新聞記者で、井原のほかにも伊東四朗・藤村俊二・井上ひさし・堀威夫・萩本欽一など彼とゆかりの深い人々の証言も収録している。巻末にはまた、1962年、雑誌「ヒッチコック・マガジン」に井原が寄稿した「ショウほど素敵な商売はない」を再録、ショービジネスに対する彼の一貫した考えがうかがえる。

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去る9月14日に亡くなった日本テレビの元プロデューサー・井原高忠(たかただ)は、お笑いコンビ・とんねるずの名付け親としても知られる。

とんねるずの石橋貴明と木梨憲武は帝京高校の同級生で、「貴明&憲武」のコンビ名で活動を始めた。高卒後、2人とも就職したものの、1980年に放送の始まった日本テレビのオーディション番組「お笑いスター誕生!!」への出場を機にやめてしまう。ちょうど東京・赤坂のレストランシアター「コルドンブルー」に面倒を見てやるからと誘われていたこともあり、踏ん切りをつけたのだという。井原からとんねるずと命名されたのも、コルドンブルーでの修業中のことだった。

《木梨 (中略)「たかあき&のりたけ」じゃ覚えづらいから、明日までに考えてあげるからって。次の日に「できたできた」なんつーて、もらった名前がこれなんです。
石橋 貴明のTと憲武のNで「とんねるず」。普通、なんかあるじゃない、意味が。これはなんにもないの! 最初「とんまとのろま」はどうだって言われて、それだけはカンベンしてくださいって言ったんだけど。(笑)だから、これが最初キライでねえ》
(「広告批評」1986年3月号)

井原高忠は、日本テレビ在職中の1971年から退職する80年前後まで10年間、コルドンブルーでフロアショーの演出をしていた。とんねるずと出会ったのは、おそらく日テレをやめるかやめないかという頃だろう。もっとも、客が大人ばかりのコルドンブルーで、とんねるずはちっともウケなかったらしい。木梨いわく、出演し始めて《四カ月めに「あんた来月からいいザンス」って言われて》クビになり(前掲書)、その後1年ほどは新宿のパブなどで修業を続けることになる。

「来月からいいザンス」とは、まちがいなく井原の発言だろう。テレビ業界の用語には独特のものがあるが、そのなかでも井原の口にする言葉はかなり変わったものだったらしい。コント台本の作家として井原の番組にかかわった作家の小林信彦も、《井原高忠の話し言葉は〈ふつう〉ではない》と書いている。

《ぼくの推測では、学習院言葉(戦前戦時の)とバンドマン用語が渾然一体となったものではないかと思う。彼がのべつ口にする「ご機嫌よう」は明らかに往年の学習院言葉である。/「お達者で」とか「ご随意に」とか「よしなに」といった言葉は、たちまち井原組にひろまり、ぼくも、ふざけているうちに、井原語に染まってしまった》(小林信彦『テレビの黄金時代』

小林が書くとおり、井原は学習院出身で、戦後は慶應義塾大学に通いながらバンド活動にのめりこんでいた。

ライター情報

近藤正高

ライター。1976年生まれ。エキレビ!では歴史・科学からドラマ・アイドルまで手広く執筆。著書に『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)など。愛知県在住。

URL:Culture Vulture

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