お金を使わずに生きていきたい。
公開中の映画「ジヌよさらば〜かむろば村へ〜」は、資本主義社会に背を向ける男の物語だ。

東京でお金恐怖症になってしまい、お金を使わずに生きていくために限界集落寸前の過疎の村にやって来た男が体験する、これまで知らなかった人間たちの営みのあれこれを描いたいがらしみきおの漫画「かむろば村へ」を松尾スズキが、福島県奥会津柳津町でのオールロケによって活写した。
「ジヌ」とは、村の方言で「金」のこと。銭(ゼニ)がなまって「ジヌ」になったのか。

主人公・タケこと高見武晴(松田龍平)は東京で銀行員をやっていたが、そこでのお金のやりとりのしがらみによってすっかりお金への恐怖心と嫌悪感が芽生え、触ることすらできなくなってしまった。
お金どころか東京での生活も何もかも捨てて、かむろば村に移住してきたタケは、100万円でボロ屋を買い、村の住人から畑を借り、1円もお金を使わずに自給自足しようと目論むが、そんなタケの言動を、村人たちは奇異な目で見る。
だが、タケにとっては、この村人たちのほうが奇異だった。

原作の人物描写力もすばらしいが、映画は、俳優の存在感と演技力と松尾の演出によって、一層魅力的になった。
やたら乱暴にものを放り投げるが、世話好きな村長・与三郎に阿部サダヲ。カメラが趣味の“神様”と呼ばれる謎の老人・なかぬっさんに西田敏行。パンチパーマでバイクに乗る姿がいさましい、いそ子に片桐はいり。神経細そうな村の助役・伊吉に村杉蝉之介。ワケあり感の漂う旅館の板前・勝男にオクイシュージ。
タケに田んぼを貸している農家の男にモロ師岡。こわいのかかわいいのかよくわからないチンピラ青木に荒川良々。隣町のエロい議員に皆川猿時など濃い面子のほか、女優陣は、与三郎の妻・亜希子に松たか子。女子高生・青葉に二階堂ふみ。色っぽい旅館の女将に中村優子。助役と激しく口喧嘩ばかりしている妻に伊勢志摩と美女が揃う(片桐はいりを個性派俳優のほうにしてしまい申し訳ないが、革ジャン、革パンがオトコマエなんだもの。
立ち姿が名作『マシーン日記』を彷彿とさせるかっこよさなのだもの)。松尾自身も、与三郎の過去を知るヤクザ役で強烈なインパクトを残す。
クセ者ばかりの村人たちではあるが、なんだかんだ言ってみんな世話好きで、タケにコミットしてくる。タケも彼らに助けてもらいながら、慣れない田舎暮らしをなんとか成立させていく。
一方で、タケに親切にする村人もいれば、タケのもっているお金に目をつける者もいるし、村は村で、村長の利権をめぐる抗争が勃発する。
そして、与三郎の過去を知るヤクザ多治見の登場によって、村の均衡が崩れて・・・。

はたして、村はどうなる? タケはお金を使わず生きていけるのか?

「いろいろあるのよ田舎だから」という台詞のとおり、村人たちのアクの強さだけでなく、田舎でタケが見聞きすることは、どれもこれも奇妙なことばかりで、神様はへんな能力があるみたいだし、その神様の娘である旅館の女将の子供の顔がなぜかある男に似ていたり・・・。
大自然に囲まれ、若者が少なく老人が多い閉塞した場だからこそ起こりうる人間関係、科学的には言い表せない現象の数々を、松尾が原作を尊重しながら撮っている。肉体をもった人間が演じているから、性や暴力描写も漫画以上に生々しい。
松尾が演じるヤクザの行う暴力は目をそむけたくなる痛みを感じるし、タケが女子高生・青葉に抱く欲情は実も蓋もなく、そこがいい。おそらく、いま、こういう漫画的な描写をしながらも肉のリアルを残せる、劇画と実写を融合させられるのは松尾世代くらいではないだろうか。世界遺産にしたい行為である。

タケが青葉に夢中になるのが、顔とか胸とかじゃなくて臀部に集中というのもストレートに本能的。都会でお金と頭を使って疲れきって、田舎ではお金が要らないのではないかという思考停止状態に陥っているタケだが、性欲だけはなくならない。タケを昂らせる二階堂ふみのスカートの中の無防備さは最高だ。
ある人にそっくりな子供をもち、エロ議員に狙われている女将・奈津役の中村優子の着物姿も色香が匂い立つ。
だが、さらに上をいくのが、松たか子の二の腕だ。ある事件に巻き込まれ、縛られてしまう松たか子演じる、与三郎の妻・亜希子。
そのときの二の腕のむっちりさが芸術的なのだ。松たか子のむきだし力、最高だ。世界遺産にしたい瞬間であった。
濃いバイプレーヤーたちに囲まれて、ひとり、0円生活を続けようと頑張る主人公タケを演じる松田龍平が、一見草食系のクールな風貌だが、意外と見た目とは裏腹な人間だもの感も絶妙。たったひとりで、これでもかこれでもかと技を仕掛けてくる濃い村人たちと拮抗し得るのは松田龍平の底ヂカラであろう。

オールロケの自然の抜け感の良さと人間のちまちま感を対比させながら、人間臭さとファンタジーも混ぜ合わせながら、たくさんの支流を集めて大きな川の強烈なうねりをつくり出し、生きることとは何なのかという問題に肉薄していく、松尾の腕力が存分に発揮された怪作だ。
(木俣冬)