蜷川幸雄率いる若手俳優集団 さいたまネクスト・シアター「リチャード二世」は、14世紀、若きイングランド王リチャード二世と彼をとりまく人々の王座をめぐる歴史劇(作・シェイクスピア)だ。
男と男の濃密な絡み合い。蜷川幸雄「リチャード二世」
彩の国シェイクスピア・シリーズ第30弾
さいたまネクスト・シアター第6回公演
『リチャード二世』
撮影:宮川舞子

リチャード二世は、従弟のヘンリー・ボリングブルック(のちのヘンリー四世)を追放し、亡父の全財産も没収するが、栄枯盛衰、やがてボリングブルックの反逆に遭い、王座を奪われてしまう。
誰の声にも耳を傾けず、王権をふりかざし浪費の限りを尽くし邪魔者は排除するなんて、傍から見たらひどいことをしているリチャードだが、彼は彼で、身の回りに陰謀が渦巻くなか、信じられる友もいず激しい孤独に苛まれている(心配してくれる王妃はいるが)。
舞台は、そんなリチャードの狂おしいほどの孤軍奮闘の様子と悲劇的な最期の瞬間までを激しく詩的な台詞で彩りながら描く。

劇中、リチャードはこんなことを言う。
「さあみんな、この大地に座り、王たちの死にまつわる悲しい物語をしよう──ある王は退位させられ、ある王は戦争で虐殺され、ある王は自分が退位させた王の亡霊に取り憑かれた、妻に毒殺された王、寝ているうちに殺された王──みな殺害されたのだ。」
以下、リチャードのもの狂おしい台詞が長々と続く。

この時代、英国で100年戦争が起っている。それを例に挙げるまでもなく、人間の歴史はおおむね殺し合い奪い合いの繰り返しによってできているから、これは世の中をよく表した皮肉めいた台詞だとつくづく思う。

簒奪の物語「リチャード二世」を演出するにあたり、蜷川は、稽古開始直前、さいたまネクスト・シアターのほかに高齢者劇団さいたまゴールド・シアターの俳優たちも出演させることを決めた。
高齢者の参加によって、宮廷にはびこる権謀術数を使う人たちのしたたかさや労働者たちのたくましさが出て、多彩な人間たちの蠢きが一層可視化された。
蜷川は、冒頭、着物姿の老人たちを車いすに乗せて、舞台奥から前進させ、さらには彼らと若者たちとを組ませてタンゴを踊らせた。舞台一面を埋め尽くす60人近い老若男女のダンスは、愛の交歓から騙し合いまで、人間同士のすべての駆け引きを表現しているかのうようで圧巻だ。
その最後には男と男の濃密な絡み合い(タンゴ)がある。蜷川は、劇中、何度か男同士のタンゴを挿入する。
それはリチャードがゲイであることを描いているだけでなく、リチャードが男たちを力で征服している現れのようにも見えた。だからこそリチャードの孤独が哀しみと虚無を帯びていく。
リチャード役に抜擢された新鋭・内田健司(インタビュー)は、自分の唇に触った指で男の唇に触れてみたり、車いすに乗った男の肘掛けにまたがり、まるで男の膝に乗っかているかのようにして相手にプレッシャーをかけたり、タンゴを踊るとき女性のように相手の男の体に絡み付いてみたり、様々な動きを試みる。非常に華奢な身体をしている内田の体の各所の尖った節々は、山嵐のジレンマではないけれど、どんなに相手に近づけば近づくほど相手を傷つけてしまうような狂気と哀しみがある。なにしろ、彼は陰謀と死の恐怖に晒されているのだ。
前述の数々の王たちの死についての台詞を言う場面の舞台は海岸で蜷川は、舞台一面に歌舞伎で使うような波布を敷き、俳優たちは揺らぐその上で、時に横たわり時に駆け回った。

男と男の濃密な絡み合い。蜷川幸雄「リチャード二世」

この舞台の稽古を見学したとき、このシーンで蜷川は、内田に「しゃがんだり横たったりするな」と言った。揺れる波間のなか「必死で自分を支えながら立っていてほしい」と。蜷川は、重圧にひとり耐えている孤高の王の姿に、かつての自分を重ねたのだ。「ハムレット」(78年)をはじめて上演した頃、演劇界に認められず孤立していた蜷川は、そのときの気持ちを「貴族がドアを開けたときに漏れる光を銃弾に見立てそれがハムレットを撃つという演出で表した」という。
内田は当時の蜷川の思いーーおそらくその後もずっと蜷川を支え続けている精神を託されたのだ。彼はまた、最新版「ハムレット」で、ハムレットが死んだあと、次世代を担うことになる王子フォーティンブラスを演じていて、そこでも蜷川はゲネで、現代の若者を体現すべく小声でささやくように台詞をしゃべるとき、「虚弱体質な人間の発声でもちゃんと声を届かすことが大事なテーマなのだ」と言い渡していた。

内田健司、その華奢ななで肩に、ずいぶん重いものを背負されたものだ。彼が演じるリチャード二世は、舞台の上を細い綱を渡るような足取りで歩くことがある。いつ転落するともわからない過酷な道を後戻りすることなく渡ろうとしているところに、生きることの脆さ、危うさ、それでもひとりで進まなくてはいけないという、蜷川幸雄の壮絶な叫びがある。苦悶にねじれ血管が浮かんだ青白い内田の身体は、血のように鮮烈に甘美なシーンを投射する真っ白なスクリーンのようでもある。作ること、生きることがどれほどまでに苦しいものなのか。
無数の車いす、着物姿の老人たち、官能的なタンゴ、床に映る大きな地球、光の十字架、ふわふわと飛ぶ王冠、人間を覆い隠すような波布、差すような光の牢獄・・・哀れな王の儚い人生があまりにも美しすぎる場面の数々で悼まれている。

冷静になってみれば、リチャード二世は人間的にも、一国の王としても、優れていたわけではないのだろうが、なんだかすっかり彼に気持ちをもっていかれてしまう蜷川マジックおそるべし。もっとも、行為はどうであれ、孤独という荒野にたったひとり立ち続ける思いだけは強烈に心を射抜く。(木俣冬)